2002/04/16 毎日新聞夕刊
[解説]有事3法案、テロ対応は先送り−−冷戦構造そのままに
政府が閣議決定する有事法制関連3法案は、憲法が想定していない緊急事態に関する規定を包括的に盛り込んだ点で、戦後の安保政策の大きな節目となるものだ。だが、主眼は外国による直接の武力攻撃という冷戦下に想定されていた「有事」に置かれ、テロや不審船など身近な危機への対応は先送りされた。「なぜ今、有事法制なのか」について、政府や与党は国会審議を通じ明確にする責任がある。
今回の法案には、あいまいさがつきまとう。武力攻撃事態の定義や首相の権限がどこまで及ぶのかなどの点が、極めて不明確だ。
「武力攻撃事態」は攻撃が予測される事態を含むが、周辺事態法の「周辺事態」は入るのか。大規模なテロも「武力攻撃事態」に含まれると政府は言うが、どの程度の規模を指すのか。政府はこれらに納得のいく説明をしていない。
また、有事における首相の自治体への指示や代執行の権限は、別に定める法律を根拠にすることになり、具体的な中身は今回の法案でははっきり書かれていない。国民の権利保護のための個別法も「2年以内を目標として法整備を実施する」と先送りした。
個人の財産権などを保障する憲法や、集団的自衛権行使を認めていない政府の憲法解釈と、今回の法案の整合性をどうとるのか、政府も政党の側も整理できていない。
長年の悲願だった有事法制の実現に一歩近づいたにもかかわらず、ある防衛庁幹部は今回の法案を「空っぽ、開くための鍵もない箱」との表現で実効性に疑問を呈した。別の幹部は「破れた傘」とも述べた。
「空っぽの箱」は防衛庁には不満かもしれないが、国民にとっては「何が飛び出すかわからない不安な箱」になる。破れた傘では雨を防げない。今後は有事法制の慎重派だけでなく、推進派からも法案への批判が噴き出すことは必至だ。
与党安全保障プロジェクトチーム座長の久間章生元防衛庁長官は「50点の法案だが、積み重ねて70点、80点にしていけばいい」と第一歩を踏み出した意義を強調する。だが、昨年9月の米同時多発テロや同12月の不審船事件を追い風に国会提出を急ぐあまり、肝心のテロ、不審船対策を先送りするという「ねじれ」が生じた。それが、今回の法案の拙速ぶりを象徴している。
【鬼木浩文】
◇「事件」の都度、積極論
政府は有事法制について、90年代末まで「研究は進めるが、法制化は前提としない」との立場を取り続けた。議論さえ問題となる時代もあっただけに、今回の関連3法案の閣議決定でタブーの一つが破られたことになる。
有事法制論議がタブー視されたのは、54年に自衛隊が法的根拠のあいまいさを残したまま発足したことに始まる。
65年には朝鮮半島有事を想定した統合幕僚会議事務局の図上研究「三矢研究」が明らかになり、国会で野党の追及を受けるなど政治問題化した。防衛庁は77年に有事法制の研究に着手、81、84年にそれぞれ同庁所管の法令(第1分類)、他省庁所管の法令(第2分類)に関する研究結果を公表したが、常に「立法準備ではない」という「まやかし」の説明を繰り返した。その影響もあり、住民の保護といった所管官庁が明確でない法令(第3分類)は今回も具体化を先送りした。
政府も手をこまねいていただけではない。テポドン・ミサイル発射(98年8月)と工作船領海侵犯(99年3月)の後、小渕恵三首相(当時)が法整備は「政府の責任」と従来の見解から踏み出したのをはじめ、90年代以降、「事件」が起きるたびに積極論が打ち上げられた。
また、日本周辺有事の際の米軍への協力を定めた周辺事態法成立を受け、「本来は日本有事に関する法整備を優先すべきだった」(陸将OB)など、有事法制の必要性を指摘する意見が強まっていた。
米同時多発テロ(昨年9月)とその後のテロ対策支援法成立で、自民党国防関係議員は「従来になく議論の環境が整った」と述べており、小泉純一郎首相の積極姿勢とあいまって、今国会はタブーを破る格好のタイミングと位置づけられた。
【末次省三】
◆有事法制をめぐる動き◆(肩書はいずれも当時)
1954・ |
7 |
防衛庁設置、自衛隊発足 |
65・ |
2 |
朝鮮半島有事を想定した統合幕僚会議事務局の図上研究「三矢研究」が表面化。「戦時思想につながる」と国会で問題に |
77・ |
8 |
福田赳夫首相の了承を受け、防衛庁が有事法制の研究を開始 |
78・ |
9 |
「防衛庁における有事法制研究について」が公表される |
81・ |
4 |
防衛庁が有事法制・第1分類の研究結果公表 |
84・ |
10 |
防衛庁が有事法制・第2分類の研究結果公表 |
93・ |
5 |
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が日本海に向けてノドン・ミサイル発射実験 |
98・ |
8 |
北朝鮮がテポドン・ミサイルを発射、日本上空を飛び越える |
99・ |
3 |
能登半島沖で起きた北朝鮮の工作船による領海侵犯事件で、初の海上警備行動発令 |
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〃 |
小渕恵三首相が「政府としての責任」と法制化に前向きの国会答弁 |
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5 |
周辺事態法成立 |
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10 |
自民、自由、公明の与党3党が、第1分類、第2分類のうち合意が得られる事項の立法化と、それ以外も第3分類を含めて法整備を前提に検討を進めることで合意 |
2000・ |
3 |
与党政策責任者が「法制化を前提にしない」のしばりを外し、新しい事態を含めた緊急事態法制としての整備を政府に要請 |
01・ |
1 |
森喜朗首相が施政方針演説で「00年の与党の考え方を十分に受け止め、検討を開始する」と表明 |
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5 |
小泉純一郎首相が所信表明演説で「検討を進める」と表明 |
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9 |
米同時多発テロ発生 |
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12 |
鹿児島・奄美大島沖で不審船事件が発生。不審船は沈没 |
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〃 |
小泉首相が「包括的処理」を山崎拓自民党幹事長に指示 |
02・ |
1 |
小泉首相が年頭会見で今通常国会提出を明言 |
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4 |
閣議決定 |
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