1999/04/02 毎日新聞朝刊
[記者の目]不審船と「有事法制」 「便乗政治」は許されぬ=瀧野隆浩(社会部)
◇政府は正面から論議を
防衛庁の野呂田芳成長官は3月24日未明、自衛隊法82条により海上警備行動を発令した。新潟沖で発見された不審船を追尾していた護衛艦はすぐさま警告射撃する。自衛隊創設以来、初めての出来事だった。夜通し防衛庁で取材した。その経過については改めてじっくり検証したいが、その後の政府の対応や国会審議のやりとりを見て、違和感を覚えた。
24日午前1時。「海上警備行動発令」を発表する長官会見には、山本安正海上幕僚長(3月31日付で退任)も同席していた。終了後、私は海上幕僚監部のビルに向かって歩く山本海幕長の横を歩いた。いま我々は事件の結末を知っている。23日早朝に発見された不審船は、ひたすら逃げた。しかし、その時は、どんな武器を隠し持っているか、分からない。部下を危険にさらす命令を受けた直後の制服トップの声を、ぜひ聞きたかった。
「粛々とやってくれると思います」。ふだんから物静かな海幕長はやはり言葉少なだった。「船の立ち入りをする時は防弾チョッキを着ますか、装備はだいじょうぶですか」。海上警備行動を実施する護衛艦は相手を停船させ、その後、立ち入り検査を実施する。危険度はさらに増す。初めての任務だけに、気になることは山ほどあった。その問いに、山本海幕長は「ふふふっ、・・・それはねぇ」と笑った。私にはそう見えた。極度の緊張があったのだと思う。命令を下したのは長官である。だが、制服トップには別の思いがあったろう。後で、防弾チョッキは積んでいなかったことが分かった。
一方、私が乗員らから直接聞いた範囲では、現場は拍子抜けするほど冷静だったという。命令が下っていた時間の大半が夜間。夜だと、ほとんどの乗員はレーダー画面を見ながらの作業になり、緊迫感は薄くなるのか。
私が違和感を覚えたのは海自の現場のことではなく、永田町のことである。事件後すぐ小渕恵三首相や野呂田長官が「有事法制」について積極的に発言をし始めた。長官は28日の防衛医科大での訓示で、「研究にとどまらず、その結果に基づき法制が整備されることが望ましいと考えている」とまで踏み込んだ。
有事法制とは、まさに国土が直接侵略された事態において、現行法では不都合があるために整備される法律である。ミサイルで穴があいた国道を自衛隊が自ら補修したり、海岸線の防衛に必要な陣地を仮設するなどの例がよく挙げられる。今回の不審船事件で浮き彫りになったのは、明らかな領海侵犯事件に対して海上保安庁と海上自衛隊の連携がうまくいかない法制や運用の問題であろう。それがなぜ、一気に「有事法制化」となるのだろうか。
私は有事法制は大事だと思っている。直接侵略にかかわることだから、日米防衛指針(ガイドライン)関連法案よりも整備を急ぐべきだとの考えにも一理ある。また、今回、初の発令となった海上警備行動も必要だろう。だが、不審船事件をそのまま有事法制化とつなげようとする政府の姿勢は絶対おかしいと思う。
ある事件が起きて国民全体が感情的になっている時、政策を出して通そうとすることは「便乗政治」といっていいだろう。この便乗策を私が感じたのは、1995年秋、オウム真理教に対する破壊活動防止法適用の動きに際してである。坂本堤弁護士一家殺害事件で親子の痛ましい遺体捜索が進むのに合わせるように、政府首脳らが唐突に「適用」を言い始めた。遺体発見、教祖の逮捕、遺族の記者会見などと奇妙に政府の動きは一致している。真相はヤミの中だが、国民の怒りを背景に破防法が適用されようとした形跡はある。
4年も前の話を持ち出さなくても、昨年8月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の弾道ミサイル発射後の政治の流れを見ていても分かる。領空を飛び越えたミサイル発射に国民が怒りや恐怖を感じたすぐ後、それまでは決して積極的ではなかった情報収集衛星の導入が決まり、米国の戦域ミサイル防衛(TMD)構想への参加が表明された。
今回の不審船事件では、入り口に自衛官の比較的冷静な行動があり、出口には有事法制化という便乗政治が待っていた。これが私の違和感の正体である。
もう一度、繰り返したい。私は、有事法制や情報収集衛星の導入がよくないと言っているのではない。国民が冷静でない時に、混乱に乗じる形で進む政治のあり方が許せないのだ。安全保障にかかわる問題は国民には分かりにくいかもしれない。平和な時に平和でない事態の話をし、そのことを国民に分かってもらうことは困難だ。もちろん、それは我々報道の使命にもつながることであろう。だが、やはり政治の世界ではズルをせず、正面からの論議をしてほしいのだ。
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