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1992/06/10 毎日新聞朝刊
[記者の目]PKO法案参議院通過 なぜ急ぐ自衛隊派遣 防大出身記者として
 
 どうしてそんなに急いで、自衛隊を海外へ出したいのか。九日、参議院を通過した国連平和維持活動(PKO)協力法案をめぐる国会論議を聞きながら、そう思った。私は防衛大学校の出身。幹部自衛官の友人がたくさんいる。彼らは決して、海外派遣について心の整理をつけているわけではない。むしろ部下を持つ身として、戸惑っている。国民の意見が分かれているのも、気にしている。法案の提出側が言うように「論議は尽くされた」のか。当事者の自衛隊員も揺れている。国民はそれ以上だろう。まだ時間をかける問題だ。
 最初に断っておかねばならないが、私はPKO自体は評価できると思っている。いや、もっといえばPKOに「あこがれ」めいた感情を持っていた。
 十年ちょっと前、私は横須賀基地を見下ろす高台にある防衛大学校の学生だった。「国際関係論」を専攻していたが、授業も体育系のクラブ活動も、そして自衛官としての実技訓練もまじめだったとはいえない。ただ、幹部自衛官候補の一人として「国とは何なのか」「安全保障はどうあるべきか」については、考え、友人とも議論した。
 憲法をごく素直に読めば、自衛隊は極めてあやふやな存在だと、そのころは思えた。一方、本来の使命とは別に、災害派遣の時だけ注目された。「軍事力」とは何なのか。自衛隊の「国のため身を挺(てい)する」という姿勢には共感できる。が、自分の職業としてはちゅうちょがあった。
 自分の将来にかかわる悩みの中で、「軍備管理論」などの講義で知った「PKO」の存在はある種、「輝き」をもってみえた。国を超え、紛争解決のために行動がとれる。危険は伴うが、すばらしい任務に思えた。
 それなら当時、PKOに参加する制度を自衛隊が持っていたら、私は任官拒否をしなかったろうか。今、振り返ってみても、答えは出てこない。ただ、「国の安全とか、平和の問題に一生かかわりたい」と考えていた。新聞記者を選んだのは、卒業して一年後だ。
 私は昨年、政府のPKO協力法案に反対する立場の人たちをたくさん取材した。法案に対する不安を直接読者から聞くホットラインを担当したこともある。「自衛隊の海外派遣は憲法違反ではないか」。そんな素朴な声には、とりあえずはうなずけた。
 東京にいるアジア各国の通信社特派員たちからも取材した。「日本人は忘れっぽいから」といった中国・新華社通信のベテラン記者の言葉。戦争を知らない世代の私からすれば過剰ともいえる反応を彼らがするのも、ひざ詰めで話していると、かつて日本の侵略を受けた国民の思いがよく分かる。
 国会での激しいやりとりが連日報道されていた五月下旬、同期生ら陸上自衛隊幹部十数人と都内の居酒屋で飲んだ。階級は現在一尉。もうすぐ三佐に昇格する。法案が成立すれば、部隊の中心にいて実際現場に立たねばならないポジションだ。
 「PKOは大事だぜ。日本の安全保障上、絶対プラスになる」。これは彼らの共通意見。「オレ自身はいい。だけど、やっぱり家族のことを考えると補償とか何もないに等しいだろう。カミさんが反対するよ」「だいいち国民の大多数が賛成してくれなくっちゃイヤだ」。これは共通したホンネ。が、「でも我々は上から行けという命令があれば、個人的感情はどうあれ行くぜ」と幹部らしい声も。
 酒が進むと、議論は大声になった。法案が成立すれば、最初の派遣地としてカンボジアがあげられている。「行けば隊員が絶対けがをする。それに麻薬に手を出す者も出てきたら、オレらどうすればいいのよ」。私たちが考えている以上に、彼らの心配は具体的だ。ただ、私が「アジア諸国に対する戦後処理が、まだ未解決ではないか」と持ち出すと、一様に「お前は問題を混同している」と言われた。私は声を荒らげて反論。相手もさらに大声で反論してきた。
 私からすれば、制服を着る彼らは「視野が狭い」存在だし、彼らからすれば、私の立場は「現実を理解していない」存在に見えるのだろう。二時間程度でその居酒屋を後にした。「まだ飲もう」という誘いを断って家に帰った。これ以上話しても、話が平行線のままだという気がしたからだ。
 一般隊員は彼ら以上に不安を募らせていると思う。学者や文化人が全国に開設した「自衛官110番」には、親から「会社勤めを辞めて自衛隊に入った一人息子が悩んでいる」などの電話が入り始めている。「法案が成立して、話が具体的になったらこの電話、鳴りっぱなしになりますよ」と担当の大学教授は話す。
 私の同期生は派遣の命令が出た場合、自分の部下にどう説明するのだろう。「隊長、どうして私らが行かねばならんのですか」と根源的な問いを受けたら、私が隊長なら言葉を失ってしまう。
 それから数日後、酒を飲んだ何人かの同期生から電話をもらった。「こないだは大声出して悪かったな」と切り出し、「お前と話していて、ちょっと自分が世間から離れているかなと思った」と話す。自衛隊の幹部も悩んでいると感じた。少なくとも私の同期生たちは、PKOの有効性は認めながらも「カンボジア」に行くことに執着していない。「一番目の派遣地はアジアではない方がいい」ともいっている。アジア各国との戦後処理の問題が決着していない状況で、相手の国民感情を考えてのことのようだ。
 国民の多くは、湾岸戦争で初めて国際舞台の中での自分たちの位置を確認したのではないか。それから「国際貢献」について考えてきた。自衛隊を海外へ派遣すべきかどうかの論議は、国民の間で始まったばかりだ。
 法案に対して、韓国や中国などの警戒心はなくなっていない。その中で、目的はどうあれ自衛隊を国外に出すという日本の基本政策の一大転換を図ろうとしているのである。
 「重大な問題なので派遣にはもう少し時間がほしい」とはっきり世界に説明すべきだ。たとえ「何を今さら」と批判されても、国民的な合意を得る時間は、まだ必要だと思う。
<滝野隆浩・社会部>
 
 
 
 
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