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1991/04/27 毎日新聞朝刊
「破られたタブー」 自衛隊掃海艇派遣/下 防衛庁の計算 活路は「国際貢献」
 
 「法律を作っても、政令を作ってもダメだったのに、何もしないで派遣できるとは・・・」。池田防衛庁長官が佐久間一海上幕僚長に掃海艇派遣の具体的検討を指示した今月十六日、防衛庁幹部がこう言ってほくそ笑んだ。
 自衛隊の海外派遣論議は、中曽根政権時代のイラン・イラク戦争の際の掃海艇派遣や国際緊急援助隊への自衛隊参加など、これまで何回となく浮かんでは消えた。
 昨年八月の湾岸危機が引き金となった国連平和協力法案は、野党や国民世論の反発で廃案になった。今年一月、湾岸の避難民輸送のため政府が自衛隊法第一〇〇条の五(国賓等の輸送)に基づいて新設した特例政令も、避難民が少なく、自衛隊機が飛び立つことなく廃止された。
 にもかかわらず、掃海艇は「国際貢献」「石油輸送路の確保」というにしきのみ旗のもと、論議らしい論議がないままあれよあれよという間に決まった。法律論議を意識的に避けることで、実現にこぎつけたと言っていいかもしれない。
 しかし、そうした論議とは別に、当の防衛庁の動きには、したたかな計算が見え隠れしていた。
 自衛官に国連平和協力隊員を併任させ、国連決議に基づく停戦監視、輸送、通信、医療支援などを行わせようという協力法案が廃案になった時、ある防衛庁幹部は、こう「本音」を口にした。
 「たとえ法案が成立したとしても、現実に派遣できるのは海上自衛隊の補給艦だけだ。空の輸送機や陸の医療チームはリスクが大きすぎる」
 艦艇の派遣は紛争状態になっても、退避行動が可能で、安全度が格段に高い。しかも、海上自衛隊は隊員全員が遠洋訓練航海を経験しているなど、国際舞台には最も強い。加えて今回派遣対象となった掃海艇の技術水準は世界でもトップクラス。防衛庁が当時から「海外派遣のエース」として掃海艇を念頭に置いていたとしても、不思議ではない。
 先月十三日に自民党の加藤政調会長が「掃海艇派遣で非公式に米側から打診があった」と発言、にわかに掃海艇派遣が話題となった。その一週間後には今回の掃海艇派遣部隊の指揮官となった落合〓(たおさ)一佐が、第一掃海隊群司令に就任する人事が発令されたが、海上自衛隊では「掃海のベテランで、掃海艇の海外派遣の布石では」とのウワサがたった。
 さらに、自衛隊機派遣の見送りが確実になってからは、防衛庁の依田事務次官や日吉官房長らが頻繁に自民党幹部を訪ねた。「自衛隊の派遣をやるなら、すっきりした形でやっていただきたいと申し入れた」(防衛庁筋)という。
 防衛庁が「何もしなかった」わけではない。こうした「水面下の努力」があったわけだが、それが奏功したのか、海部首相は米国から帰国した今月上旬、派遣の意向を固めた。防衛庁の思惑通りの展開だった。
 もとより世界的にデタント(緊張緩和)が進む中で、各国で「平和時の軍隊」の在り方が問われている。昨年秋の協力法論議以来、自衛隊が活路を求めているのは、「国際貢献」であった。防衛庁内には自衛隊法三条(自衛隊の任務)を改正し、防衛出動とともに主任務となっている治安出動に代え、新たな海外派遣を念頭に置き災害出動を主任務に加えようという積極論も出始めている。
 しかし、その一方で「今回は法律論より、湾岸後の国際情勢という実体論を優先せざるを得なかったが、実力組織を動かす以上、本来は法律論をきちんとやるべきだ」「国際貢献は単に防衛庁、自衛隊の問題ではない。国の根幹にかかわる問題だ」との慎重な認識も庁内には生まれつつある。
 「自衛隊の歴史に新たな一ページを開く」(池田長官)掃海艇が二十六日、ペルシャ湾に向けて出港したが、その舵(かじ)取りは、日本の進路を左右する重要な要素を秘めている。
 
 
 
 
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