1999年8月号 正論
拝啓 広島県教育委員会殿 第6弾 校長を苦しめる文部官僚の論文 歴史教科書研究家●上杉千年(うえすぎ ちとし)
広島県教育界の荒廃した実情を『正論』(平成九年十月号)に告発して以来、文部省の調査も入って大幅に正常化してきた。
しかし、最近の情報では、教員組合側に有利な事態が続発しているという。
「八者懇合意文書」「菅川確認書」をすみやかに破棄せよ
広島県教育界では、昭和五十年代を中心として校長や同和教育担当教諭など十五名の自殺などが発生した。そこで、昭和六十年(一九八五)二月二十六日から三月二十二日までの県議会で徹底討論の結果、木山県会議長が竹下知事と熊平県教育委員会委員長に対して、
〈本県教育について、荒廃の最大の元凶が、日教組の組合活動理念の教育現場への持ち込みと、それを支援する部落解放同盟(広島県連)の不当介入にあることが、予算特別委員会の質疑過程で明らかとなった〉
として、
〈今後も日教組や部落解放同盟がこのような姿勢を続けるならば、(1)同和行政における予算の大幅削除を含む見直し、(2)高同教、広同教の公費助成と組織の見直し――などの措置を検討せざるを得ない〉
とする「教育正常化に関する要請文」を提出した。
ところが、教員組合と解放同盟県連の激烈な反撃にあって、同年八月十三日、木山議長は突然「要請文」を撤回してしまった。
こうした事態を収拾するために、竹下知事の呼びかけで、『広島県における学校教育の安定と充実のために』という八者懇談会合意文書が、昭和六十年九月十七日付で作成された。
周知のように八者とは、知事、県議会議長、県教育委員会教育長、部落解放同盟広島県連合会、広島県教職員組合、広島県高等学校教職員組合、広島県同和教育研究協議会、広島県高等学校同和教育推進協議会である。
ここに、広島県公教育は、日教組系組合と日本社会党(現新社会党)系解放同盟県連との合意がなければ実施できなくなった。
この合意文書で最も問題の箇所は、つぎの「第四項」である。
同和教育の推進に、われわれは一致して努力する。差別事件の解決に当たっては、関係団体とも連携し、学校及び教育行政において、誠意をもって主体的に取り組み、早期解決に努める。また、激発する差別事件の現実に鑑み、社会啓発に全力をあげる。
この「第四項」について、ことし三月十日、参議院予算委員会で岸元學・広島県高校長協会会長が、つぎのように述べている。
〈合意文書の中にこういう一節があります。「差別事件の解決に当たっては、関係団体とも連携し」という文言です。「関係団体」とはこの場合は部落解放同盟(県連)でございます。この「連携」という言葉が拡大解釈、ひとり歩きし、今回の卒業式の持ち方についてまでいろいろと部落解放同盟に介入を許すという結果を招いたのではないかというふうに私は受けとめております〉
岸元会長が証言されたごとく、これは県立世羅高校・石川敏浩校長の殉職の原因をつくった元凶である。
しかし、藤田雄山知事は、ことし三月十五日の定例記者会見で、
〈教育関係者の一部から出ている「八者合意の『連携』という言葉が拡大解釈されている」との指摘について藤田知事は「拡大解釈されているなら問題があるが、文章自体には問題ないと考えている」と説明。「合意の見直しや破棄を求める意見は聞いていない。今のところ、ただちにそうする考えはない」との見解を示した〉(『中国新聞』平成十一年三月十六日付)
というのである。大体、こうした合意文書を教員組合や民間団体である解放同盟県連と締結すること自体が教育行政の筋を乱すことである。現に、県教委は、校長などが教員組合との間に締結している合意文書の破棄に努力しているではないか。
知事や県教育長が不当な合意文書を締結し、それを遵守すると表明していて、立場の弱い校長たちに破棄を要求するとは一体どうしたことか。また、教育正常化を主張する県政自民党は、なぜ知事と県教育長に断固として破棄要求をしないのか。
この八者懇合意文書の延長上にあるのが、平成四年(一九九二)二月二十八日、県教委の菅川健二県教育長より解放同盟県連と県高教組へ提出された「日の丸・君が代」に関する合意文書である。これは「菅川確認書」、あるいは二・二八文書」なるものである、といわれるもので本誌においてもしばしば取りあげられている。重要なポイントなので、繰り返して指摘しておく。
それは、〈君が代については歌詞が主権在民という憲法になじまないという見解もあり、身分差別につながるおそれもあり〉〈日の丸は、天皇制の補強や侵略、植民地支配に援用されたこと、これからもあやまちを繰り返すおそれ〉があるとしたもので、教員組合らの信念的見解を百%是認したものである。
この「菅川確認書」が、教員組合のみならず教育行政担当者まで拘束している。
平成九年、福山市立城北中学校の佐藤泰典教諭は「日の丸・君が代」教育において「菅川確認書」に違反するとして糾弾され、四月一日に市立加茂中学に転出となった。同年九月二十九日の県議会で石橋良三県議はつぎのように発言している。
〈福山市教育委員会学校教育部長は、その教諭(佐藤教諭)が同和対策審議会答申にもある教育の中立性に従って授業を行ったと主張し、その文書を示したところ、その文書と主張を退けさせ、代わりに「二・二八確認書」を示し、「日の丸・君が代についての県教育委員会の解釈がここにある。県のトップがこういう確認書を出しており、君も行政の一員であるからこれを守らねばならない」と、反「日の丸・君が代・天皇教育」をしなかったことを厳しく指摘した、とのことであります〉
この「菅川確認書」だけでも木曽功前県教育長、辰野裕一現県教育長が破棄することをしないのは、県教委のメンツを保全するためか。それとも教員組合と解放同盟県連が怖いのか。
「八者懇合意文書」「菅川確認書」を県知事・県教育長が破棄しない限り、教員組合らは、現在の教育正常化攻勢に耐え忍んで嵐が過ぎ去ったときには、再び、攻勢に堂々と打って出るだろうというのが現地の声である。
教員組合を勇気づけた文部省高官の論文
広島県教育委員会は、告示形式第四回学習指導要領(平成元年三月十五日告示)の「特別活動」に示す、〈入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする〉(小中高校共に同文)によって、国旗・国歌の指導を実施してきた。
この指導要領をコテンパンに批判し、揶揄した「今こそ『たかが学習指導要領』という思いを強く持ってほしいのです」という論文が、小学館刊『総合教育技術』(平成十年九月号)に掲載された。
筆者は、文部省初等中等教育局生涯学習振興課長(四月より大臣官房政策課長)の寺脇研氏である。寺脇氏は、文部省より広島県教育長として派遺された最初の官僚である。すなわち、寺脇研→木曽功→辰野裕一ということになる。
この論文と時を同じくして文部省初等中等教育局主任教科書調査官の福地惇氏が、会員制月刊誌『MOKU』(平成十年八〜十月号)で「どういう日本を創ろうとしたのか――西郷隆盛」というテーマで、勝部真長氏(お茶の水女子大学名誉教授)と岡崎久彦氏(外交評論家)とで座談会を行った。その中で検定で合格した図書を「贖罪のパンフレット」というなど、学習指導要領と教科書検定制度に対する国民の信頼をゆるがしかねない発言があり、「国民の信頼を回復するため・・・」として昨年十一月二十六日に更迭処分をうけた。
文部省が問題にしたのはつぎの二か所であった。
〈今年の四月から文部省の教科書調査官になったんですが、平成十年度は小学校の社会科で六年生から日本史が入っていまして、それを読むと、近代史が幕末から現代迄の半分ぐらいあって、殆ど戦争に対する贖罪のパンフレットなんです。それで、侵略戦争を二度としないようにすることが最後の結びになっている。僕はちょっと気が滅入りました〉
〈僕は、文部省が教育を統制しているとは言わないけれども、初等・中等教育を学習指導要領で押さえ続けている限り、僕はいつ迄もだめだろうと思うんです。教育の自由化をしないと、本当の教養人、エリートは育っていかない。幕藩体制下の各藩の教育というのはそれぞれ思い思いにやっていたんです。ただモデルはあった。幕府の教育システムがモデルなんです。それを上手に作った藩は立派な藩士が期待できるんです。だからこれからは教育も地方分権ですね。モデルは中央にあってもいいので、それをどう上手に咀嚼して各地方で実体化するか。そういうことを考えていくべきだと思います〉
この福地発言に対する文部省の態度を批判した明星大学の高橋史朗教授がこう書いている(「教科書制度と『近隣諸国条項』を見直せ――『教科書調査官更迭問題を考える緊急シンポジウム』が問題提起したこと――」=『正論』三月号)。
〈江沢民来日に照準を合わせて共同通信が配信した記事を地方紙が十一月二十三日朝刊で掲載したことは、後述する教科書「外圧修正」事件とまったく同様に、日本のマスコミが「外圧」を利用するために意図的に仕組んだ陰謀である。共同通信は一体なぜこの時期まで記事の配信をしなかったのか。翌日の記者会見で有馬文相は「厳正に対処したい」と早くも処分をほのめかす発言をし、江沢民が来日した二十五日、出版労連、歴史教育者協議会などの六団体が福地解任の要請書を提出すると、二十六日には更迭処分が発表されるという前代未聞の素早さであった〉
さて、福地発言について、十二月二十四日のシンポジウムの発言をみると、高橋史朗、岡崎久彦、藤岡信勝(東大教授)、米田健三(衆議院議員)の各氏は処分の不当性を提示している。
しかし、京都産業大学教授で元教科書調査官の所功氏は、福地発言の後段の学習指導要領に対する部分については、
〈これは明らかに福地さんの誤解もしくは失言であり、この点でもし今回の更迭がなされたとすれば、残念だけれども、やむを得ない〉としている。
では、寺脇課長は、学習指導要領に対してどう発言しているかというと、昨年六月二十二日に教育課程審議会から「審議のまとめ」が公表されたことに関連してこう述べている。
〈課題と言われ続けていた教育内容の削減については、その具体的方針が示されましたが、今までの「総論賛成、各論反対」の経緯を知る者としては、よくぞここまでの思いを持ちました。大人たちがいつまでも現状維持で大過なく過ごそうと思ってきたことが子どもたちをここまで追い詰めてきたのですから、ここはひとつ、勇気を持ってやっていこうということだと思います。しかし、新聞などで教育現場や「識者」の反応を見る限り、相変わらずの論を述べている人も多くいます〉
〈ここで、ぜひ、考えていきたいことは、もちろん、「されど学習指導要領」なのですが、今こそ「たかが学習指導要領」の思いを強く持ってほしいということです。つまり、「指導要領に書いてあること」がイコール、「日本の子どもが身につけることのすべて」という発想は、大間違いなのです〉
〈指導要領は、そして学校は、絶対的存在から相対的存在へと変わってきているのです。「たかが指導要領」なのです〉
〈指導要領は法規としての性格も持っています。しかし、このことは教師をがんじがらめにするものではありません。指導要領は弾力的な基準であって、労働基準法のような厳しい基準ではありません。もし厳格な基準だとしたら、例えば、残念ながら九九が完全に分からぬままに小学校を卒業している子どももいる現在、その担任の先生たちは全員処分を受けなければいけなくなります。小学一年担任のとき、漢字を覚えさせ損ねたから処分を受けたなどという話は聞いたことがありません〉
〈画一的に、学習指導要領どおりに指導することとされていた時代があったことを否定するつもりはありません。文部省にしても、こうしなさい、ああしなさいという指示を出し、学校の裁量をあまり認めなかった時代が、過去にありました。しかし、今は、先ほどから述べているような方向に変えようとしているのですから、そのことを前提に学習指導要領も読み取ってもらわないと随分おかしな話になると思うのです〉
この寺脇論文に驚喜したのが、広島県の教員組合であった。しかし、福地論文が問題となり更迭されている時期に寺脇論文を歓迎する行動は寺脇更迭へ発展して元も子もなくなることを考慮してか、自重の末、ことし二月二十五日の広島県教組機関紙「広島 教育時報 号外」(四七七号)に論文の全文を転記し、「学習指導要領は絶対ですか辰野さん?」というアッピールを付して刊行した。
寺脇論文は昨年四月二十七、八日と文部省の広島調査があり、全国が注目している時期の執筆である。それだけに、寺脇氏の職務の生涯学習振興課長よりみた教育課程審議会の「審議のまとめ」への感想に託して、広島県教育長時代の教育がそんなに間違っていなかったことを自己弁護し、かつ、教員組合へのある種のエールを送るものとしてのかくされた意図を持って執筆されたとの見方もある。
この見方の当否は別として、寺脇論文が広島県の日教組系組合を勇気づけたことは否めない。
現在の教育正常化の波が過ぎ去れば、教員組合らは、「八者懇合意文書」「菅川確認書」そして文部省の「寺脇論文」を振りかざして、地教委や校長のせめ道具とすること必至である。
国旗・国歌法未成立に憂慮
広島県教育界が国旗・国歌問題で混乱していたことし二月二十五日の参議院予算委員会で狩野安議員(茨城県選出)が国旗・国歌の法制化について質問した。それに対して、小渕首相は、今の時点では法制化の考えがないことを表明した。
しかし、二月二十八日に県立世羅高校の石川敏浩校長の殉職事件が発生すると、矢野哲朗議員(栃木県選出)の三月三日の質問に対して、小渕首相は、「国旗・国歌法」を検討するとした。
この法案成立の要件は、参議院で公明党の賛成が必要である。幸い、五月十八日に公明党が賛成する方針を決めた。ここに、参議院本会議では五月二十四日に可決成立する見通しが立った。
ところが公明党内の「自自公」路線への反発から法案可決成立のメドが立たなくなり、五月二十五日に法案の今国会提出を断念するに至った。政府は、次の臨時国会へ提出する意向というが事態は深刻である。
日教組は、「一九九九年度 運動方針(案)」の中で、
〈学習指導要領は、教育課程編成の大綱的基準として定められている。これをふまえ、各学校では、憲法・教育基本法に定める教育の目的を達成するため、すべての教職員が学習指導要領にもとづき創意工夫をこらした教育実践にとりくむ〉
としている。
しかし、国旗・国歌問題については、〈文部省は、九六年、九七年と中止していた「日の丸・君が代」の悉皆調査を実施し、七県で掲揚率・斉唱率が低いとして指導を強めた。広島においては校長へ職務命令が発せられ、斉唱しなかった学校の校長を処分するなど、強力な指導が行われた。日教組は、広島県教組・高教組と連携を密にしながら対策を強化し、日教組組織対策本部を設置した。三月、政府は「国旗」「国歌」の法制化を表明した。日教組は、十分な国民的議論とコンセンサスを得ないまま「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」として法制化することには反対の態度を明らかにし、第百三十四回中央委員会で決議(三月二十日のこと)をあげた〉
としている。
また、筆者(上杉)がテレビ朝日の「朝まで生テレビ」(三月二十六日、金)の「激論・“日の丸・君が代”とニッポン!」に出演した折に感じたことは、日本共産党や司会の田原総一朗氏などの考えは国民投票へもっていこうとしていることである。
このように、国旗・国歌法の前途は多難である。もし、当分の間法案が可決成立する見込みがない場合には、広島県のみならず全国的にも重大な悪影響が発生すること必至である。
なお、政府の国旗・国歌法案は、元号法と同様に単純明快である。即ち、
一、国旗は、日章旗とする。
二、国歌は、君が代とする。
(別表に、「日の丸」の比率と彩色、「君が代」の歌詞と楽譜を掲示)
この法案に対して、筆者も賛成である。しかし、「日章旗」という表記より「日の丸」とした方がより適切である。また、「三、国旗・国歌は国家の象徴にして、尊厳である」の第三条の追記を期待したい。
いずれにしても、国旗・国歌法の成立は、教育界で最も重大な問題である。
◇上杉 千年(うえすぎ ちとし)
1927年生まれ。
国学院大学史学科卒業。
岐阜県立斐太高校、同高山高校の社会科教諭を務め現在、歴史教科書研究家。
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