1999年4月号 正論
拝啓 広島県教育委員会殿 第5弾 「広島解放区」にうごめく教員組合と校長会
歴史教科書研究家●うえすぎ・ちとし 上杉千年
1 平和教育の実態
「広島県の教育を考える広島市民の会」(川村光夫事務局長)の県民意識調査によると、「偏向教育をしている教師がいると思うか」の設問に対して、「思う、四八・〇%」「思わない、四・五%」「わからない、四七・五%」となっている。そして、平和学習は「日の丸害悪論ばかり」という(『産経新聞』平成十年十一月四日付)。
この偏向した平和学習を推進しているのは、広島県教組、その県教組が中心として設立している広島平和教育研究所、そして県教組の外郭団体である広島県教育用品株式会社の三者といわれている。いずれも広島市東区光町のビルに入居して一体となって活動をしている。
広島県教育用品株式会社の役員等は、広島県教組の役員の兼務である。たとえば取締役・山今彰(同県教組書記長)、取締役・坂本健(同副委員長)、取締役・柴田信昭(同書記次長)といったぐあいである。
この三者によって推進されている平和教育の実態を紹介しよう。
広島平和教育研究所が編集し、広島県教育用品株式会社が販売する『ひろしま――十五年戦争と広島――(試案)』(昭和六十一年初版・平成四年に第四刷発行)は、六十四頁・頒価二六三円の小冊子である。
その「はじめに」で、つぎのような小冊子刊行の目的が示されている。
〈広島には、世界で最初の原子爆弾による悲惨な被爆体験と、明治以後の朝鮮・中国をはじめ、アジアの国ぐにを武力で侵略し、多くの人びとを殺傷した加害基地としての長い歴史があります。この副読本は、かつて侵略戦争の基地であった軍都・広島から中国に出陣した元日本兵の体験などをもとに、戦争とはなにかをみんなで考えるため、編集されたものです〉とある。
小冊子は、明治以降の我が国が行った戦争をすべて「侵略戦争」と断定している。「I 原爆と軍都広島」には、〈日清戦争で、朝鮮や中国を日本の言いなりになる国にしようとしました。日清戦争は、朝鮮に出兵していた清国(中国)軍への攻撃で始められた戦争〉とか、〈日本軍は、宣戦布告する数日前に、清国の海軍や朝鮮に駐留していた陸軍を攻撃して戦争を始め〉たと、日本軍は宣戦布告もせず一方的に「侵略戦争」を開始した非道の国家であると生徒・児童に錯覚をおこさせるような記述をしている。
大体、「開戦ニ関スル条約」は効力発生が一九一〇年(明治四十三)一月二十六日であって、日本は、明治四十四年に批准しているのである。それを、「宣戦布告する数日前に」攻撃を開始したと強調する必要性があるのであろうか。
「2 十五年戦争前夜の日本」では、治安維持法により、昭和三年三月十五日に共産党員の大検挙を行ったことを、
〈政府に反抗しているなどの理由で、全国では千六百人あまりの人たちが警察に捕えられました〉
〈しかし、ほんとうは、軍部や政府がやろうとしている戦争に反対し、中国など外国を攻めることに反対した人たちだったのです。そういう人たちが逮捕される数は年ねん多くなり、一九二九年(昭和4)は約五千人、三〇年(昭和5)は六千百余人、三一年(昭和6)は一万四百余人、三二年(昭和7)は一万三千九百余人にものぼりました〉
としている。
この一連の検挙は、大正十一年七月に非合法のうちに堺利彦、山川均らによって日本共産党がコミンテルンの支部として結成され、翌年党員の検挙で混乱したが、大正十五年に再建された。そして、昭和三年(一九二八)に行われた普通選挙法による第一回総選挙があり、この時、日本共産党が公然と活動を開始したことにより、田中義一内閣が選挙直後の三月十五日に共産党員の検挙を実施したものである。
それを、「戦争に反対し、中国など外国を攻めることに反対した人たち」を検挙したとしている。これは、詐話をもって生徒・児重を誤導していると批判されてもいたしかたがない。
「5 戦争とはなにか」では、支那戦線での兵士たちの手記・証言を紹介している。ここでは三光作戦を具体的に示している。「すべての物を奪いつくす」「すべての物を焼きつくす」「そして殺しつくす」「度胸をつけろ!」(「百人斬り超記録=vと題する新聞記事を掲示)「死の山からはい出て」という小見出しで、計十二頁も日本軍の残虐行為が記述されている。
「6 十五年戦争が終わって」では、「中国の戦犯管理所へ収容されて」「鬼から人間へ」「戦犯管理所の中国人たち」という小見出しで十一頁にわたって記述されている。
この戦犯管理所とは、ソ連から昭和二十五年(一九五〇)七月に九六九人が中共側に引き渡されたものを収容したフーシュン(撫順)戦犯管理所のことである。ここでの教育過程は、
1 反省学習(マルクス主義史観や毛沢東思想の学習が中心)
2 罪行自白(坦白(タンパイ)=罪行の自白段階)
3 尋問
この坦白の突破口となったのは、第三十九師団第二三二連隊第一大隊の中隊長・宮崎弘中尉であって一九五四年四月の朝、全戦犯が中庭に集合させられた。壇上に立った宮崎中尉は用意していた原稿を読み上げた。彼は、自分の行った残虐行為を告白し、「わたしは人間の皮をかぶった鬼でした。今ここに中国人民に心からおわびをし、このうえはいかなる処罰をも受ける覚悟です」と謝罪した。これを契機として「認罪運動」「認罪学習」が進行していくのである。
こうして得た、〈一九五六年に中国で行われた日本人戦犯裁判で有罪判決を受けた四五人分の「筆供自述」=供述書の一部が、四〇年ぶりに公表されることになった〉。これは『世界』(岩波書店刊。平成十年五月号、六月号、七月号)が紹介したものである。
この供述書の出鱈目ぶりを秦郁彦・日本大学教授の論文「『世界』が持ち上げる『撫順戦犯裁判』認罪書の読みかた」(『諸君!』平成十年八月号)などによって指摘されている。
小学校「夏やすみ」帳の内容
夏休み学習帳の小学校編は、広島県夏やすみ編集委員会が編集し、広島県教育用品株式会社・広島平和教育研究所出版部の発行となっている。広島市教育委員会によると、平成十年夏では市立小学校百三十五校のうち八十二校が採用しているという。
この小学校の『一九九八年度 夏やすみ』を紹介することにする。
五年生用『夏やすみ』は四十八頁ある。その最初の「楽しい夏休みの計画をたてよう」の欄の「読書」のすすめの「戦争や平和をあつかった本も読んでみましょう」では、中沢啓治著『はだしのゲン』(汐文社)等五冊が紹介されている。
次で、「八月六日 原爆記念日」二頁と「地図から消された島」(大久野島の陸軍毒ガス工場の話)が八頁もある。この外に、「付録」として、「軍都広島の戦争を語る証言者」一頁・「ミニ・ガイド」(戦争関係のみ)一頁・「いってみようヒロシマ」(戦争関係のみの地図)二頁がある。
この「軍都広島の戦争を語る証言者」の中には、つぎのような記述がある。
〈オキナワでは、地上戦が行われたために、住んでいたたくさんの人びと、とりわけ女性や老人、そして子どもたちが戦争のじゃまになるという理由で、日本軍に殺されてしまった事実がたくさんあるのです〉
〈朝鮮や台湾など日本が植民地にしていたところでは、戦争をおしすすめるために多くの人びとが日本に連れてこられ、きびしい条件でむちゃくちゃに働かされたり、女性は人権をふみにじられたことをさせられたりしました〉
ここには、問題点が二つある。沖縄戦の記述の中で「日本軍に殺されてしまった事実がたくさんあるのです」とあるのは、慶良間列島の我が軍による集団自決強要事件を指していると推測する。
この事件については、海上挺身第三戦隊(渡嘉敷村渡嘉敷島駐屯)の戦隊長・赤松嘉次陸軍大尉の方は、曽野綾子著『ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決―』(昭和四十五年に文藝春秋社刊・五十二年に角川文庫に収録)で、その実相が究明されている。
沖縄県沖縄史料編集所員大城将保氏(ペンネームは嶋津与志)も、
〈赤松元隊長以下元隊員たちの証言とをつき合わせて、自決命令はなかったこと、集団自決の実態がかなり誇大化されている点などを立証した。この事実関係については今のところ曽野説をくつがえすだけの反証はでてきていない〉(『沖縄戦を考える』昭和五十八年。那覇市ひるぎ社刊)
としている。残る海上第一戦隊(座間見村座間見島駐屯)の戦隊長梅澤裕陸軍少佐の方は、筆者が「沖縄戦『集団自決強要』の事実はなかった」(『月曜評論』月曜評論社 昭和六十二年九月二十八日号)という論文で、村の遺族補償業務に従事した宮村幸延氏(旧姓は宮里)が厚生省との交渉過程で「軍命令」による犠牲者なら、戦没者適用年齢が十四歳以上という規則を変更して六歳以上に拡大可能であることを察知して考えついたことによる真相を紹介した。この小論は、上杉著『総括・教科書問題と教育裁判』(善本社。平成二年七月十五日刊)に収録した。即ち、悪魔の戦隊長≠ヘ存在しなかったのである。
次の、朝鮮婦女子の、〈女性は人権をふみにじられたことをさせられたりしました〉とあるのは、「従軍」慰安婦問題を紹介したもののようである。今日、「従軍」慰安婦論は、「作り話」派の虚像であることは天下周知のことで、その実像については、上杉著の『従軍慰安婦問題の経緯』(国民会館叢書第十集。平成六年五月三十一日刊)と『検証 従軍慰安婦』(全貌社。平成五年七月二十九日初版・八年九月十二日増補版)で論証した如くである。特に、中学生段階での慰安婦問題の教授は時期尚早であることを「義務教育諸学校教科用図書検定基準」(平成元年四月四日告示)等を引用して再三再四論じてきたところである。それを小学校段階から教授しようとする広島県教組の非常識ぶりには困ったものである。
また、「ミニ・ガイド」の「2 高暮ダム」では、
〈二〇〇〇人もの朝鮮人が苛酷な労働をさせられた。儀牲者の中にはコンクリートで生き埋めにされた人もいたという。無念な思いで死んだ人びとのことを思わずには、おれない〉
という説明文が付いている。これは、満州の豊満ダム万人坑にも出てくる、〈労働者は飢えと寒さでバタバタ倒れ、再起不能になると生き埋めにされた〉(田辺敏雄著『朝日に貶(オトシ)められた現代史』、全貌社刊、参照)にも共通する「作り話」であろう。
次の第六学年用の『夏やすみ』は四十八頁ある。その最初の「楽しい夏休みの計画をたてよう」の欄の「読書」のすすめの「戦争や平和をあつかった本も読んでみましょう」では、長田新編『わたしがちいさかったとき』(童心社)等五冊が紹介されている。次で、「八月六日原爆記念日」四頁・いぬいとみこ作「川とノリオ」(原爆文学)五頁・「地球・いのち―未来のために―原発列島―核について考えよう」二頁・「ヒロシマの歌 折鶴のとぶ日」(音楽)二頁がある。この外に、五年用にもある「付録」四頁がついている。
この中で、「八月六日 原爆記念日」四頁は、「核について考えよう」というサブタイトルがついている。その書き出しは、
〈日本の未来のエネルギーをつくりだすために、実験用につくられていた原子力発電所があります。福井県の敦賀にある、高速増殖炉「もんじゅ」です。それが、一九九五年十二月八日に、事故を起こしました〉に続いて、〈宇宙船で月に人類を送り出したアメリカ合衆国や、宇宙ステーションで実験を続けているソビエト連邦(現在のロシア)でさえも、原子力発電所の原子炉で、事故を起こしています〉
と、原子力発電事故と原爆被害を結びつけて原子力発電反対運動を展開している。さらに、平成五年のフランスの核実験は非難するが、中共の核実験は紹介しないという典型的な「反核運動」論等があって、「原爆記念日」の学習には不適当な文章である。
次の、「原発列島」では、
〈みなさんは、八月六日・九日を中心にした平和学習で、核のおそろしさについては、よく知っていると思います。ふたたび、「ヒロシマ」「ナガサキ」「チェルノブイリ」などをくり返してはなりません〉
と前置して、原子力発電に関するマイナスの学習を一方的に強要している。そして、
〈日本には沖縄をはじめ、各地に米軍基地があり、核がもちこまれている可能性もあります〉
と、囲み記事で小学六年生にアッピールして日米安全保障条約に絶対反対を強調する等極めて政治的な夏休みの学習帳である。
2 違法テストと広島県高教組
広島県高教組は昭和四十八年に株式会社広島県学校用品協会を作り、同二十九年に登記した中国ブロック高校文化事業連絡会の「中国ブロックテスト」を委託した。
広島県高教組と広島県学校用品脇会は、共に広島市中区平野町の同じビルに同居している。そして、広島県学校用品協会の役員等も広島県高教組の役員の兼務がほとんどのようである。即ち、代表取締役・秋光民恵(同県高教組副執行委員長)、取締役・安保英賢(同執行委員長)、事務局長天満猛(同執行委員)といったぐあいである。
「中国ブロックテスト」について、『たたかう広高教組』(平成四年九月刊。第四版)はこう記述している。
〈問題作成・編集・採点は、地理的なこともあって広島市内公立高校が担当することになりました。一九五四年は、三年のみを対象とし、国語・英語・数学・社会・理科のテストを年間三回実施しました。
・・・県内公私立学校のほとんどの参加を得て、延べ一二〇校(注・当時の学校数は県立五十校、市町村立四校)、九、九〇〇人という数にのぼりました。一九五六年には一・二年にまで拡大し、一・二年生には国語・英語・数学の三科目・年三回、三年生は年四回としました。翌一九五七年、島根県の学校が参加〉
昭和五十一年には延べ一、四〇〇校、二〇万人という多数の参加があったという。
この「中国ブロックテスト」の執行体制は、会長・安保英賢(執行委員長)、副会長・天満猛(執行委員)、事務局長・増岡清七(用品協会取締役)となっている。それぞれの編集長は、国語=丸本泰造(観音高校教員)、英語=小野哲雄(安西高校教員)、数学=土井仁(井ノ口高校教員)、社会=藤原浩修(五日市高校教員)、理科=桑原修三(五日市高校教員)となっている。このように、高校の教師が民間会社の役員や編集長という仕事に従事しているのである。
「中国ブロックテスト」は授業時間内に実施し、年間約二億一六〇〇万円を売り上げ、教師に謝礼を支払っているものである。
昨年九月二十九日の県議会文教委員会で石橋良三県議が「中国ブロックテスト」について質問を行い、十月十九日に県当局からつぎのような文書回答があった。
◆業者テストを受けない生徒は、この授業時間何をしているのかというご質問ですが。
今回実施した調査によりますと、業者テスト等を授業中に実施する場合、ほとんどの学校では、生徒全員が受験しております。
ご質問のように、希望者のみ受験させる場合(平成九年度該当校三校)、このテストを受験しない生徒については、他のテスト・検定を受けたり(二校)、自習させたり(一校)しております。
◆試験は、教師が問題を作成、採点する。問題作成料は一問約一万円、採点は一枚あたり五〇円となっているがこれは事実か。
事実とすれば、アルバイト行為になり地方公務員法三十八条(営利企業等の従事制限)に違反するのではないかというご質問でございますが。
この度行った実態調査によると、概ね委員ご指摘の額を作問及び採点手数料として受領しております。
教職員が業者テストの問題作成や採点等に携わり、それに対して謝礼を受け取ることについては、「任命権者の許可を受けなければ報酬を得ていかなる事業若しくは事務にも従事してはならない」とする地方公務員法の規定に抵触するおそれがあると考えております。
(なお、許可申請が出た場合、許可ができるかについては、検討中であります。)
◆この業者テストは、業者より受験料の十五%が学校に支払われている。広島市内の五校では、校長が正確な金額も使途も知らないと言っているが、年間一〇〇万円を超えるこのお金は誰が受け取っているのか、このお金はどういう名目のもので、その使い道はどうなっているのかというご質問ですが。
この度の実態調査によりますと、生徒からの徴集は進路係が担当となっている場合が多く、徴集形態は次のような状況でありました。
(1)生徒から、実力診断テスト料金どおりに徴集し、十五%に相当する額を「学校経費」として充当している学校(九年度七十三校、十年度七十六校)
(2)生徒から、あらかじめ実力診断テスト料から「学校経費」として十五%に相当する額を差し引いて徴集している学校(九年度三校、十年度四校)であります。
また、この学校経費の使途については、
(1)進路指導に関する書籍等の購入代金、生徒が参考書等を購入する際に補助するなど、生徒の負担を軽減する、あるいは、何らかの方法で生徒へ還元するという目的に使用している場合
(2)土曜日の午後、日曜日に実施した学校の一部の学校においては、個人に俗にいう「監督料」として個人に支払われている場合などがありました。
禁止されている業者テスト
このように「中国ブロックテスト」は明白に業者テストである。この業者テストについては、平成五年二月二十二日付で文部事務次官通知(初中局職業教育課)で、
〈中学校は業者テストの実施に関与することは厳に慎むべきであり、授業時間中及び教職員の勤務時間中に業者テストを実施してはならないし、また、教職員は業者テストの費用の徴収や監督、問題作成や採点に携わることがあってはならないこと。そのため、学校の管理運営及び教職員の服務の適正が図られるよう直ちに改善すること〉
として禁止している。この点について、参議院文教・科学委員会でも亀井郁夫議員の質問に対して、文部省(辻村哲夫初中局長)は、こう答弁している。
〈これは直接的には中学校の業者テストに対しての通知でございますけれども、この考え方は高等学校にも当てはまるというふうに考えております〉
また、亀井議員と文部省(御手洗康教育助成局長)の間で、つぎのような問答があった。
〈問題作成料、採点料だけでも年間二千万近くの金が払われているというふうに推定されるわけであります。そういう意味では、こういうことをしますと、これは地方公務員法第三十八条並びに教育公務員法第二十一条の兼業にやはりひっかかるだろうと思うのであります〉
〈私どもといたしましても地方公務員法第三十八条に抵触するものと考えているところでございますが、なお個々の職員の実態につきまして県教育委員会の詳細な調査が続行中でありますので、それを踏まえた上で広島県教育委員会におきまして適切な措置が行われるものと考えているところでございます〉
このような非常識で違法な「中国ブロックテスト」は直ちに追放すべきである。地元の『日本時事評論』(平成十年十月三十日号)は、「学力診断や進路指導に役立たない中ブロテスト(注・「中国ブロックテスト」の略称)」と批評している。要するに、これで利益を得ているのは広島県高教組のみ、というわけである。
3 校長会の「反乱」
広島県の公教育の異常性は、県教委―地教委―校長会、そして、教員組合とが一体化して、「反日の丸・君が代」教育を通じて「反天皇制学習」と称するものを学校教育で行ってきたところにある。さらに、同和教育とか反核平和教育と称して、偏向した内容でも実施してきたことである。
それが、平成九年九月頃より『産経新聞』と『正論』の糾弾を受け、福山市立加茂中学・佐藤泰典教諭の国会証言となり、遂に、文部省の中小学校の実態調査へと発展した。この間、木曽功県教育長は正常化へ努力され、後任の辰野裕一氏が平成十年七月に着任されると強い決意表明をされた。
しかし、県教育長は文部省より落下傘で降下し、二〜三年すれば帰ってしまうが、県庁幹部や校長は地侍である。文部省の監視期間三年が過ぎたら、再び教員組合等の天下に逆転すること必至である。
そこで、県教育長に面従腹背でいこうという空気が濃厚であるという。従って、教育行政の正常化が推進する一方では、その阻止行動も顕著である。
それは、「中国ブロックテスト」に関連して、教諭ら三人を処分した。『産経新聞』(平成十年十二月二十九日付)によると、〈広島県教委は二十八日、テストを実施している株式会社広島県学校用品協会(広島市)の役職に就任していた県立高校教諭ら三人を、地方公務員法に違反する行為として戒告などの処分にした〉。
処分されたのは、県立尾道商業高校の天満猛教諭(五十二歳)、戒告。県立広島商業高校の上川裕司教諭(四十四歳)、厳重注意。同校の瀬尾圭三校長(五十六歳)、厳重注意である。
天満教諭は広島県高教組に在籍専従しているが、県高校生活協同組合の専務理事として、また学校用品協会事務局長として無許可で従事、報酬を受け取っていた。
その額は、高校生協より平成九年度九二九万七六八七円、学校用品協会より月額四六万円であると、『産経新聞』(二月九日付)は報じている。
そこで、組合への在籍専従もことし一月一日付で取り消すことになった。また、上川教諭も許可を得ずに学校用品協会監査役に就任し、瀬尾校長はそれを認めていた。なお、天満・上川の両教諭は十一月に学校用品協会の役職を退いているという。
二股膏薬的な態度
また、県教委は、昨年十二月十七日に卒業式・入学式における「国旗・国歌」の扱いを徹底するように通達を出した。この通達を受け、十二月二十一日に公立校長会の岸元会長(国泰寺高校)と灘尾副会長(呉三津田高校)が広島県高教組本部を訪問し、平成三年十二月五日の校長会と高教組との間で約定した「日の丸・君が代の取り扱いについて」の三項のうち、第二項目の解消を求めた。
これは、第一項目が「日の丸」は、〈当面、三脚で会場に設置することを基本に双方努力する〉というものである。第二項目が「君が代」は、〈歌詞の解釈をめぐっては種々の議論があり、それが君が代を実施するに当たっての混乱派生の要因になるという事実認識に立ち、新たな混乱は回避するという方向で双方努力する〉という表現で、「君が代」斉唱はしないとするものである。
そこで、高教組は、
〈各地区支部は「日の丸・君が代強制阻止闘争の顛末と課題」を学習資料とし、分会執行部、解放教育推進委員、平和教育推進委員を集めての学習会を原則一月二十二日までに開催します。それを受けて各分会において全組合員による学習会を開催します〉
としている。
ところが、県高校長会は、広島県高等学校同和教育推進協議会(高同教)が十二月十七日の通達について県教委に抗議しようという協議には賛成しているのである。この高同教は、校長を含む全教職員が加入するものである。従って、校長会の動向は高同教の動向に重大な影響を与えうる組織になっている。
高同教は昨年十二月十八日、県教委の通達に対して早々に「抗議と要請」と題するものを県教育長宛に提出している。その中に、こんなくだりがある。
〈身分差別や、かっての侵略行為をすすめた天皇制イデオロギーを象徴する歴史をもつ「元号」や「日の丸」、「君が代」についても、その問題性の学習を通じて、現在の自分や社会のありようを考えるための教育内容化をすすめてきました。
・・・とりわけ、「君が代」に関しては、その歌詞が主権在民という憲法になじまないという見解もあり、身分差別につながるおそれもあり、国民の十分なコンセンサスが得られていない状況もあるとした、菅川元広島県教育長の見解が明らかにされ、今日に至っています。しかしながら、県教育委員会は「学校における国旗及び国歌の取扱いについて」という十二月十七日付通達(以下「通達」)を唐突に出しました〉
高同教は「通達」に強く抗議するとともに、その撤回を要求しているのである。
高同教は、県立高校の校長が会長を務め、県教委から教育研究団体として平成十年度は補助金三一万八〇〇〇円を交付されているという。この補助金交付について県議会・文教委員会で廃止要求が高まってくること必至の情勢である。そして、校長会の二股膏薬的な態度も強い非難を受けることになるであろう。
また、小中学校長会の動向は「反乱」「ストライキ」といっても過言でない異常事態である。県教委は、各教育事務所毎に巡回指導をして、今春の卒業式・入学式での国旗掲揚・国歌斉唱の完全実施を目標としていた。
ところが、福山教育事務所管内の小中学校長会が一月十八日に開催されたところ、管内百四十九校のうち四十校の校長がボイコットして出席をしなかった。その実態は、府中市の小学校十二校・中学校四校は全員欠席、新市町の小学校四校・中学校二校は全員欠席、神辺町の小学校六校・中学校三校のうち五校欠席、福山市の小学校六十三校・中学校二十七校のうち十二校欠席という具合である。
次いで、尾道教育事務所管内の小中学校長会が一月二十五日に開催されたところ、百五十七校のうち欠席三校にとどまった。
ところが、海田教育事務所管内の小中学校長会が一月二十六日に開催されたが、百六十四校のうち呉市内の十一人を含む十五人が欠席した。
さらに、三次市・高田郡・甲奴郡の小中学校長会が一月末に県教育長へ「日の丸・君が代」強制反対の要望書を提出したという。
こうした辰野裕一県教育長の教育正常化への方針に対する抵抗運動は小中高校長会ばかりでない。それは、県教育事務局の課長クラスすら県教育長を無視して校長会や組合に迎合する文書を配布するという有様である。
昨十年九月十六日付の『産経新聞』によると、県立高校百五校のうち六十八校が職員会議を「最高議決機関」と位置づけていたので、県教委は六月十六日に是正を通達した。
ところが、かなりの校長より校務運営規定をどう改訂したらよいかの問い合わせがあったので、高校教育課長と障害児教育室長名で八月十一日に例文を示した文書を各校に配布した。それは、「職員会議の議長は○名の議長団が交替で行う」「議案の審議は職員会議の意見を尊重し、校長がこれを決定する」などとなっていて、九月十四日の県議会・文教委員会で石橋良三議員より県教育長通達の主旨に即応していないと指摘された。また、辰野県教育長は「この文書の配布を知らなかった」と答弁するという具合に県教委事務局にすら問題を抱えている。
こうした情勢を憂慮した県民有志が一月二十四日に広島県教育会議準備会を五百人も集めて開催し、五月十五日の結成大会へ向けて活動を展開している。
◇上杉 千年(うえすぎ ちとし)
1927年生まれ。
国学院大学史学科卒業。
岐阜県立斐太高校、同高山高校の社会科教諭を務め現在、歴史教科書研究家。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
|