−−良かったと思う。日教組という組織は教員の生活なり労働条件を向上させ維持するという任務と、平和民主主義国家としての教育をまっとうしていく任務の両面がある。現場を預かる日教組と行政の元締めの文部省がただ反対だけでは成功しない。書記長9年、委員長12年の間もそう言い続けてきた。でも、行政の方が頑として戸閉まりがきつかった。
−−そんなことはない。内容の分析はしていた。文部省の審議会では日教組は絶対排除だったからね。そうすると現場の声が入らんわけですよ。日教組の中執入り(49年)したころは僕も各審議会で発言していた。当時は、日教組の意見だから聞かないということはなかった。ところが、52年から文部大臣も文部官僚も入れ替わった。大臣はそのころから「私は教育にはまったく素人」とあいさつするような自民党の(年功序列的な)“順番大臣”の時代になり、文部官僚は自民党文教族の言いなりになった。そのままやっていれば出世コースに乗れるわけだから。それ以前は行政官の中に大学の教授や高校教諭をしとった者が入っていて教育に関心があり、勉強もしているので話ができた。
−−それはやりましたよ。いわゆる悪い意味での裏取引ではなくね。文部省と日教組が公式に会えないから非公式に会ったという面もある。西岡武夫さん(現新進党幹事長)は文部政務次官の時に突然、日教組の書記局に現れた。僕が書記長の終わりのころだ。当時の政務次官が日教組を訪れるなんて大変なことでね。「何ですか?」と聞いたら、「文部官僚から説明を受けたが、どうも官僚の立場を擁護する一方的な意見に思える。勉強させてもらいに来た」と。教員の定数について、官僚は米国の子供の総人口に対する比率を日本と比較し、「日本はいい」と説明したそうだ。「それはトリックがある。日本は小規模学校が多いから」と教えると、「なるほどなあ。両方の話を聞いてよかった」と言っていた。(つづく)
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