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1998/11/02 毎日新聞朝刊
[論点争点]大学入試廃止論 東京工業大学教授・橋爪大三郎さん(その1)
 
◇避けられぬ抜本改革 実現へ前向き議論を
 日本の激しい受験競争は、長い間教育改革論議の中心課題になってきた。中教審は近く、「高校教育と大学教育の接続のあり方」について改めて審議に入るが、今、注目されるのが、「大学入試の廃止」を明確に打ち出した社会経済生産性本部の「教育改革に関する中間報告書」だ。廃止論をめぐり、起草の中心になった社会学者で東京工業大学教授の橋爪大三郎さんに、その意図と手法を聞いた。(論説委員・瀬戸純一)
 
■空洞化した小中教育
瀬戸 なぜ入試廃止ですか。
 
橋爪 目的は二つあります。小中学校の教育の正常化と、大学を内実のある教育機関として再生させることです。
 初等中等教育と高等教育とは本来別のものです。初中教育はだれもが受ける教育。高等教育は一部の人のものです。歴史的には高等教育の方が先に出来た。初中はごく最近。日本では明治時代です。当時、両者は必ずしもつながっておらず、小学校は小学校で完結していた。
 ところが戦後、大学が大衆化してきてから、それがくっついた。小、中学校が、上の学校へ進学するための準備の場になってしまった。学校が空洞化して塾で進学のための学力を身につけようとなってしまった。これを元に戻そうということです。
 日本のように高度に発達した産業社会では大学や大学院で専門知識を身につけた人材が必要とされますから、大学で勉強するための競争は当然あっていいが、それが大学の入り口で、入試という形で起きている。大学の中でも、出てからでもない。
 
瀬戸 大学に入ったところで競争は終わり、勉強は打ち止めとなるわけですね。大学審議会は、大学生はもっと勉強しなさい、と呼びかけていますが。
 
橋爪 後ろ向きですね。私は競争がよくないから大学入試をなくせと言ってはいない。競争する場所が間違っていると言っている。大学の中で、学生はもっと学力で競争すべきです。大学同士は、教育や研究の成果をめぐって、もっと競争すべきです。今は、いい大学が入試の難易度で決まっている。それ以外に競争が働かない。これをやめようということです。
 
瀬戸 具体的には、学生定員の廃止。それと入学してからの単位認定、卒業認定を厳しくするという考え方ですね。
 
■最大の原因は定員制
橋爪 入試をなくせない一番の原因は、学生定員の制度なのです。定員の運用は硬直的で、多すぎても少なすぎても文部省に怒られる。しかも勉強しなくても定員のまま全員が卒業することが原則となっている。この結果、大学教育が空洞化した。大学生がエリートだった時代には、一人の落ちこぼれもなく社会に出て活躍してほしいというのが国民の願いでした。しかし大衆化した今は違います。大学の中に競争があって、選び抜かれた人が専門職につくべきだ。そのチャンスをすべての人に開くのが、今の大学の役割だと思います。
 卒業を厳しくするために私たちは、入学後の成績が基準にみたない者は留年・中退させるキックアウト制の採用を提案しています。制度の採用に先立って大学はカリキュラムを公開し、期末試験の問題や合格点を事前に公表しておくのです。卒業できる自信と覚悟のある人が入学することになります。
 
瀬戸 入試廃止論に対して、教育現場や専門家の間から、批判や懸念も出ています。一つは入試がなければ勉強しなくなり、基礎学力が落ちる。大学入学には一定の学力水準が必要だが、それでなくてもレベルが下がっているのに、入試をやめたのでは、世界の中でやっていけなくなるというものです。
 
橋爪 大学入試がなくなると試験が一切なくなると思うとすれば、それは誤解です。試験には競争試験と資格試験の2種類があるのです。競争試験は何番まで合格させるか順番をつける試験。資格試験は合格点が決まっていて、それを上回れば合格です。学力を身につけたかどうか測るのは、当然資格試験です。高校についても資格試験をやるべきだ。大学入試は代わりにはなりません。入試のレベルはバラバラだから、一定の学力が維持できる保証はない。
 競争は、本来自分の得意な分野でやるべきです。得意な分野が職業になるわけだから、得意な分野を伸ばして、医者の適性のある人は医者に、法律に適性のある人は法律家に順番になればいい。それをいっしょくたにして高校までの勉強でどれだけ頑張ったかで選抜するのは不合理であり、社会的な無駄です。そういうタイプの競争試験で選ばれるのは、人のいうことをよく聞いて、コツコツと何でも勉強するゼネラリスト。リストラにあいそうなサラリーマンが大量に養成されてしまう。競争は得意な分野で、専門で、つまり大学でやるべきなのです。

◇ポイント
(1)大学入試は、大学がごく一部の人のものだった時代のシステムであり、大衆化した今は、意味がない。廃止すべきだ。
(2)具体的には、学生定員を廃止。入学後の成績が基準にみたない者は、留年・中退させるキックアウト制を採用する。
(3)競争は、大学に入ってからやればいい。高校の学力を身につけているかどうかは、教科ごとに資格試験を新たに実施して判定。
(4)新方式では、混雑現象はおきない。ただシステムを柔軟化して中途編入を容易にしたり、国立、私立の区別をなくすなどの工夫が必要だ。
 
 
[論点争点]大学入試廃止論 (その2止)
 
◇入り口の競争、無意味 重視すべきは専門性
■有効なキックアウト制
瀬戸 入試廃止批判のもう一つの視点は、考え方は分かるにしても、施設や指導体制面で現実的に無理なのではないか、というものです。学生が都市部の有名大学に集中して大混乱になるのではないか、という懸念は当然出てくると思いますが。
 
橋爪 国民の知恵を甘くみているように思います。そんな大混乱にはならない。なぜ混雑現象が心配になるかというと、今までの常識を新しい教育システムに当てはめるからです。今までは、入学すれば卒業できる。しかし、キックアウト制では入学しても卒業できるかどうか分からない。卒業できなければ学費は払い損だし、入学しただけでは社会的評価は得られない。だから、入らない。
 大学にとっては、卒業生の学力レベルと人数を厳重に管理することが、とても大事になる。有効なのは、高校の教科内容の達成度テストです。多くの国で統一的な資格試験を工夫してやっている。日本でも教科ごとに絶対評価の試験を新たに作ってはどうか。大学がそれを利用してこの教科で何点以上の人をと入学者をしぼることもできる。 瀬戸 大学入試センター試験のシステムを変え、資格試験にして、それに充てることは考えられませんか。
 
橋爪 それも一つの考え方です。でも私は、民間にやらせた方がうまくいくと思う。センター試験は大学側がやる入学試験です。発想が違うから、衣替えは難しいのではないか。達成度テストは、高校の教育ができているかを判定するのだから、大学がやるのは筋違い。高校側がやらなくてはいけない。民間機関がやってもよい。
 
瀬戸 キックアウト制なら、転入学が容易にできるようにしないといけないですね。他大学で取った単位を認定するとか、大学間の単位互換を徹底するとか、硬直的なシステムを相当柔らかくしないと機能しない。
 
橋爪 原則、単位は互換できなければいけない。中途編入を認めるとやはり混雑現象を心配する人がいますが、同じ理屈でカバーできる。
 
瀬戸 もう一点、私立大学を含めて一斉に入試廃止ができるのか、という問題がある。国公立と私立では財政構造が違う。現実問題として私立は、程度の差はあるが、受験料収入に負うところが大きい。財政面の改革がないと、難しいものがある。
 
■国私の別なくすのも
橋爪 国立と私立では、税金の投入の割合が大きく違う。公正な競争が望めない。国私の区別をなくすか、私学への寄付を集めやすくするなど、工夫が必要です。受験料依存は本末転倒で、教育への対価、授業料によって経営されることが望ましい。そうすると授業料が高くなりすぎるので、大部分を奨学金として貸与する。大学の経費を直接大学に渡すのではなく、学生に奨学金として渡して、授業料として回収する方がいい。
 
瀬戸 学費が上がるのは分かるが、中間報告のように今の数倍となると大変だ。年間数百万円では、奨学金が出ても、一部の人しか大学に行けなくなる。 橋爪 学生本人名義の長期ローンにして、将来の収入から返すことにすれば、機会均等は損なわれない。自分の子供が大学に行っても、学費を払わずにすむでしょう。大学の成績と連動させて条件を変える。優秀なら返還免除にしてもいい。
 
瀬戸 入試廃止は破天荒な提言ではない。それに近い形でやっているところもあります。結局、教育の現状にどれだけ危機感を持っているかにかかっている気がします。難しい問題が多く混乱も避けられないだろうがここまで徹底しないと、出口は見つからないのかもしれないと私も思います。中教審などは従来のように非現実的とはねつけるのではなく、土俵に上がって議論してほしいと思います。
 
橋爪 教育の専門家は、現状維持でいいと思いがちです。でもそんなものではない。深いところで危機が進行しています。 入試は、大学がごく一部の人のものであった時代のシステムです。私たちは今、最終報告をまとめる作業をしていますが、入試廃止は、実現可能だという論拠を補強していきたい。一斉にではなく、どこかでまずやってみないかという話になるかもしれない。仮に先導的試行でやるとしても、全体でできるということを証明するものでなければいけない。やってみれば、必ずうまくいくと思いますよ。

◇社会経済生産性本部の教育改革中間報告書の骨子
 社会経済生産性本部の教育改革に関する中間報告書「選択・責任・連帯の教育改革――学校の機能回復をめざして」の骨子は、次の通り。
 
●問題の背景と基本認識
 明治以降の日本は、急速に近代化を進めるため、産業社会に役立つ人材を生み出すことを、教育の目標にしてきた。今後は産業社会に奉仕してきたこれまでの教育を人間中心の教育に作り直さなければならない。
 
●具体的な改革提案
 学校が教育の場としての機能を失っている。その原因は、学校、生徒、家庭のあいだの「連帯の欠如」である。
 学校の場に連帯を回復し、選択の自由と自己責任により学校の教育機能を回復するために
 (1)公立の小中学校の学区制を廃止、親・生徒が学校を自由に選択できるようにする。
 (2)校長がリーダーシップを発揮して、教師との連帯による教育ができるように、校長に学校経営権を与える。
 (3)高校教育の機能を回復しながら、カリキュラムを多様化する条件として、大学入学検定試験(大検)を発展的に解消して、高等学校学力検定試験を導入。
 (4)大学の定員制度を廃止して、大学入試をなくす。キックアウト制を導入する。
 (5)文部省はこれまでのように教育のプロセスを直接的に管理するのではなく、学校、親、地方自治体、地域社会などの能力を信じて、それを間接的に支援するように発想を転換する。
◇橋爪 大三郎(はしづめ だいさぶろう)
1948年生まれ。
東京大学大学院修了。
東京工業大学助教授を経て現在、東京工業大学大学院教授。


 
 
 
 
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