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2003年4月号 正論
あの上野千鶴子女史も仰天!
全国一ひどい三重県桑名市のジェンダー条例
皇學館大学助教授●新田 均(にった・ひとし)
 
 「資料を読んでビックリした」
 「これは画期的な条例です」
 「日本全国で、こんなに素晴らしい男女平等条例をつくられたところはほかにありません。ここが最先進地域です」
 ラディカルなフェミニスト・上野千鶴子女史(東京大学教授)から、このように絶賛される男女共同参画条例が昨年十月から三重県桑名市で施行された。上野女史がここまで褒め上げる「桑名市の男女平等をすすめるための条例」(以下「桑名条例」)とは一体どんな内容で、どのようにして作られたのか。興味津々で調べてみると、呆れた地方の実態と、フェミニストが理想とする“おぞましい”社会の近未来像が見えてきた。
 
「市民主導」の驚くべき中身
 
 上野女史の発言は、「桑名条例」の施行を記念して、「くわなウイン」という女性団体が主催した講演会で飛び出したものだが、この講演の中で上野女史は「桑名条例」の“凄さ”を三つ挙げている(講演内容は、「インターネットタイムズ」〔http://www.internet-times.co.jp/〕を参照)。その第一は、この条例が「市民主導」で作られたということである。
 「桑名条例」は、桑名市が男女共同参画条例を協議・検討するために設けた「桑名市男女共同参画推進協議会」(以下「協議会」)の答申を受けて、市議会に提案され、可決・成立した。ところが、この「協議会」の設置規程には、学識経験者や公募市民などの他に、「ネットワークINくわな」(以下「ネットワーク」)という特定の市民団体の代表者に委員を委嘱することが予め定められていた。しかも、委員総数十三人の中で、学識経験者らが各一名であるのに対して、「ネットワーク」には三名もの委員が委嘱されたのである。
 さらに、条例案を検討するために開かれた平成十三年九月三日の第二回「協議会」では、市役所のワーキンググループが作成した市役所案だけでなく、「ネットワーク」が作成・提出した市民団体案が協議の対象となった。そして、結局、「ネットワーク」案を「素案」として、足りない部分を市役所案で補うことで合意が成立し、それが答申になったというのである。
 この経緯を上野女史は絶賛し、桑名市役所は「条例作成の『新しい形』」(「その手は桑名のホームページ」)と誇っている。
 しかし、平成十四年三月に作成された政府の「人権教育・啓発に関する基本計画」においては、政策実施の際の行政側の注意事項として「人権教育・啓発を担当する行政は、特定の団体等から不当な影響を受けることなく、主体性や中立性を確保することが厳に求められる。人権教育・啓発にかかわる活動の実施に当たっては、政治運動や社会運動との関係を明確に区別し、それらの運動そのものも教育・啓発であるということがないよう、十分留意しなければならない」と記されている。政府がこのような注意を行政に対して促すのは、政策の策定・実施を担当する公務員は、憲法によって「全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とされているからである。
 この「一部の奉仕者ではない」という観点からすれば、「ネットワーク」の行政への食い込み方はかなり問題だと思うのだが、どうして、こういうことになったのだろうか。桑名市政策課の説明によると、それは、そもそも「ネットワーク」は、男女共同参画政策を進めるにあたって、桑名市が様々なテーマで活動している女性団体などに呼びかけて結成を誘導し、事務局を政策課においたもので、個人四人を含む市内十八の女性団体から構成される連合体である。したがって、特定の運動団体とはいえず、しかも、「桑名条例」案の作成にあたっては、“和気藹々とした雰囲気の中で話し合いが進められ”、決して「不当な影響」などは受けていない。“だから、これは問題ないし、これこそ行政と市民との新しい協働の形なのだ”というのが桑名市役所の立場なのだという。
 一見もっともな説明に聞こえるが、本当にこれでいいのだろうか? そのおかしさは、同様の手法を別のケースに当てはめてみればよく分かる。たとえば、文部科学省が中教審の答申を受けて、教育基本法の改正を決意したとしよう。その際、これに協力してくれそうな市民団体に呼びかけて、連合体を組織し、勉強会を促し、そこで作成された改正案を、文科省案とともに公式の諮問機関にはかる。しかも、その諮問機関には市民団体案を作成した連合体の幹部が相当数委員として委嘱されているのである。この諮問機関で市民団体案をべースとした法案が作成・答申され、国会を通過したとすればどうだろう?
 しかも、桑名市の場合、連合体の結成にあたっては、構成員たる個人や団体の資格については、表面的な活動目的や活動内容以外は問題にされなかったという。つまり、裏面の政治的・思想的背景は問われていないのである。こういった事態が国政レベルで起こったとしたら、“これこそ政府と市民との新しい協働の形だ”と上野女史は絶賛するだろうか?ちなみに、「ネットワーク」がいくら市民の連合体だとはいっても、平成十五年二月現在で、会員総数は一千百六十人にすぎない。これに対して、桑名市の人口は約十一万人(内、有権者は約八万六千人弱)である。
 
行政による私企業への統制も
 
 上野女史が凄いという第二の点は、「男女の構成比率を平等」にする(要するに男女同数にする)という「積極的格差是正措置」を、市が所管する委員会や審議会ばかりでなく、民間の「企業等」にも要求していることだ。「桑名条例」第11条には次のようにある。
〈企業等は、この条例の基本理念に基づき、次のことをおこないます。(中略)
(4)管理職への登用は、男女構成比率で平等になるよう積極的格差是正措置をとるようつとめます。
(5)市の求めに応じて、男女の就業状況その他必要な報告をします〉
 この条文を、上野女史は以下のように高く評価している。
 「よく通りましたね。こんなこと〔男女共同参画社会〕基本法に書いてないです」「千葉県の堂本〔暁子〕知事がこの案を出したところ、抵抗勢力が反対しましてこの案を潰しました。潰した理由は自由な市場の活動に対する行政の介入であると」
 「ですからこの桑名の条例は凄い。どないして通したんや、反対はたったの一人。議会の多数派の人たちが、これを通すことの意味がよう分からんかったからか?」
 たしかに、よく通ったものである。市の施策に協力しない、協力できない企業が出てきた場合、市はどのように対処するつもりなのだろうか。場合によっては、行政による私企業の活動に対する統制、圧迫にもなりかねない。このような場合の対処について具体的にどのように考えているのか? 私は市議会多数派よりも、むしろ「桑名条例」案を提出した行政の考えを知りたいと思った。
 
「レディース・デイ」も取締対象?
 
 上野女史が褒め称えている第三の点は、苦情処理機関の設置を規定したことである。「桑名条例」の第15条の3には次のように書かれている。
〈3、この機関は、この条例の施行に関する苦情を受理したときは、次にあげることをおこないます。
(1)必要に応じて、関係機関に対し説明を求め、または書類その他の公開を求めます。
(2)必要があると認めるときは、市に対して是正その他の措置をとるよう勧告を行うことができます〉
 この条文を指して上野女史は「これは凄いですね。これは絵に描いたモチにならずに済む素晴らしい方法ですね」と手放しで讃えている。そうだろうか?
 現在この機関は弁護士一人、学者一人の計二人の委員で構成されており、現在審議中の苦情は“映画館やレストラン、ガソリンスタンドで行われている「レディース・デイ」は条例違反だ”というものだそうだが、もしも、この二人の委員によって「レディース・デイ」が「条例違反」と認定されたら、市はどのような対応を取るつもりなのだろうか?
 上野女史の指摘にはないが、私が「桑名条例」を読んで、これは「凄い」と思ったことを一つ付け加えておこう。それは、「ジェンダー・フリー」の徹底ぶりである。まず、第2条で、「男女平等」を「男女が、性別にかかわりなく個人として尊重」されることだと定義している。つまり、「男女平等」=「ジェンダー・フリー」だというのである。そして、第9条では次のように言うのだ。
〈誰であつても、あらゆる情報において、ジェンダーや過度な性的表現やこれらを連想させるような表現をしてはならないものとします〉。さらに〈2、市、市民、企業等は、前項の表現をおこなったものに対して、協力して改善するよう申し入れをすることができます〉。
 次のような規定もある。
〈第12条 市民は、この条例の基本理念に基づき、次のことをおこないます。
(1)市が実施する施策に積極的に協力します。
(2)日常の生活の中において、性別の意識にとらわれないようにします。
(3)家庭、職場、学校、地域その他のあらゆる分野において、男女平等が実現するようつとめます。
 第13条 全ての教育や学習の場では、次のことをおこないます。
(1)ジェンダー・フリーの教育や学習を実施するようつとめます。(中略)
(3)メディア・リテラシーの教育や学習を実施するようにつとめます〉
 「メディア・リテラシー」とは、第2条で「テレビ・新聞・雑誌・コンピューターネットワークなど、あらゆる情報についてそのまま受け取るのではなく、それらの意味のゆがみ・価値観について深く考え、読み解く能力をいいます」と定義されている。要するに、ジェンダー・フリーの観点からあらゆる情報をチェックするということだ。
 
ドイツ語を使ったらどうなる?
 
 桑名市はこんな政策を本気で実行するつもりなのだろうか? 第9条では、「ジェンダー」や「これらを連想させるような表現」を「してはならない」と言い切っている。ジェンダーとは、文化的に創られた男女の区別のことだから、例えば、生物としての性別を本来もたない「船」や「海」を「女性」になぞらえて、「タイタニック号。彼女は処女航海で母なる海の藻屑と消えた」などと書けば、これはジェンダー表現であり、すくなくともジェンダーを連想させる表現であることは間違いない。また、そもそも無生物に対しても性を区別する言語であるドイツ語を用いることなどもジェンダー表現だろう。
 だから明らかに「桑名条例」に反する。そう考えて、改善を要求する市民が現れたら、市はその人と協力して、表現者に対して改善を申し入れなければならない。条文を文字通りに解すれば、そういうことになる。これは憲法が保障する表現の自由との関係で重大な問題を引き起こすことになるだろうし、市民間の思想の相違に行政が介入し、しかも一方の肩を持って抗議活動を正当化し、結果的に大混乱を引き起こすことにもなりかねない。
 「いや、そんな極端なことは考えておりません」と言うのなら、混乱の発生を未然に防ぐために、はじめからもっと穏健な条文にしておくか、あるいは予め解釈基準を確定しておいて、どこまでが許される表現で、どこからが許されない表現なのか、市は何に協力し、何に協力しないのか、明確に市民に分かるようにしておかなければならない。これは、「ジェンダー・フリーの教育や学習」「メディア・リテラシーの教育や学習」を実施する場合についても同様である。
 ならば、どの程度正確な羅針盤を用意して、桑名市は“前人未到の処女航海”に出発したのだろうか。その辺りの事情を確認するために、私は桑名市役所の政策課を訪ねることにした。
 桑名市役所では、私の取材に、「桑名条例」実施の主体である政策課の現任スタッフと条例の制定に携わったかつてのスタッフが対応してくれた。しかし、残念なことにと言うべきだろう、彼らの真摯な対応にもかかわらず、私がこれまで書いて来たような、条例の解釈・運用についての諸々の疑問に対しては、ついに明確な答えは返ってこなかった。
 「何が許されないジェンダー表現なのかは、具体的な問題がおこってから、苦情処理委員会や男女平等審議委員会で考えていただきます」
 「ジェンダー・フリーやメディア・リテラシーの教育・学習の内容については教育委員会で考えていただいております」
 こういった曖昧な答えがほとんどだったが、中には現政策課長と前政策課長(現市長公室長)とで、明らかに解釈が異なるものもあった。それは苦情処理委員会が市民の苦情を「条例違反行為」と認定した場合の行政の対応についてだった。
 
「条例案」作成の過程は?
 
 具体的には、現在審査中の「レディース・デイ」についてだが、現課長は「インターネット・タイムズ」の取材に対して「違反しているという回答があると市(政策課)の職員がその事業所などに出向いて、是正を要望することになります」と答えていた。
 この記事を踏まえた上で、私は「埼玉県では苦情処理委員会が男女別学を改めるように県教委に勧告したことが大問題になっています。たった三人の委員の判断に対して、市民二十七万人の反対署名が集まるという民主主義にとってゆゆしき事態ですが、桑名市でも二人の苦情処理委員の回答にしたがって、自動的に行政が是正に動かれるつもりなのですか」と質問した。
 すると、条例案作成にかかわった前課長は「自動的に動くわけではなく、動くか動かないか、またどう動くのかについては、審議会に相談したり、行政が独自に判断したりします」と答えたのである。
 行政の具体的行動基準が、重要な条項について曖昧だったり、担当者間で食い違っていては話にならない。そこで、原点に立ち返って正確な解釈を示してもらうために、私は「桑名条例」案を作成・審議した「協議会」の議事録を確認してもらうことにした。それによって分かったことは、なんと、私が提出したような問題については、条例案作成の段階で何一つ話し合われてはいなかったということだった。
 行政側はジェンダー・フリー政策が含んでいる重大な問題や予想される深刻な混乱をまったく検討せずに、とにかく今の流行で良いことなのだからというので、ひたすら、最先端、桑名らしさ、を目指していたらしい。言ってみれば、副作用についての検討を一切省略して、ひたすら効果だけを考えて新薬の開発・販売を行ったようなものだ。
 この取材中に行政側から、“とにかく実効性あるものにしたかった”という言葉が何回も発せられた。そのためには“市民と仲良く、市民の意見を取り入れることが大切だ”という考えであったらしい。しかし、いくら行政と市民団体とが“仲良く協働”したとしても、それだけでは公共政策として不十分だろう。冬山登山にたとえてみれば、特に初めての山に登るについては、予めしっかりとした計画を立てていなかったら、いくらパーティーの内輪の仲が良くても、遭難してしまうことになるだろう。
 私が今回の取材でもっとも驚かされたのは、「市役所案ではなくて、市民団体案を素案にすると決めた理由は何ですか」とたずねた時に、「大きな違いはなかったのですが、市民案の方が表現が分かりやすかったからです」という答えが返ってきたことだった。内容の違いではなく、表現の分かりやすさが理由とは!?本当だろうかと思って議事録を確認してもらうと、確かに「結論」として「両案ともいいものであるが、読みやすさ・簡素さを重視する」という観点から、市民団体案を素案とし、それに市役所案を盛り込むことになったと記されていた。
 ならば、本当に両案に大した相違はなかったのだろうか?
 
恐るべき迂闊さ
 
 とんでもない! 市役所案が想定していた「積極的改善措置」が“機会の平等”の実現を目指していたのに対して、市民団体案の「積極的格差是正措置」(アファーマティブ・アクション)は“結果の平等”の実現を目指していた。市役所案にいう「教育・啓発」が「男女平等及び男女共同参画」を内容としていたのに対して、市民団体案の「教育・学習」の内容は「ジェンダー・フリー」と「メディア・リテラシー」だった。さらに、市役所案にあったのが「相談事業」だったのに対して、市民団体案では「苦情処理機関」の設置が提案されていた。
 これだけ中身の違う両案をどうやって一本化することができたのか。聞いてみると、平成十三年九月三日の第二回「協議会」の中で、「作業部会」をもうけて「たたき台」を作ることが決定し、その「作業部会」が作成した「たたき台」に基づいて、第三回目以降の「協議会」で審議を行ったのだという(作成された「たたき台」については、その後の「協議会」ではほとんど異論らしい異論は出ていない)。
 その「作業部会」の構成メンバーがまた凄い! 市民団体案を作成した「ネットワーク」の代表三人の他に、さらに「ネットワーク」の構成員一人を加えた「市民」四人と、政策課を中心とした市役所の職員五人の計九人で「作業部会」を組織したというのである。この「作業部会」の議事録も見せてもらったが、ここでも私が疑問としたような事項については何等話し合われていなかった。ただ、市民団体案が条例としてふさわしい体裁や形式を整えるために行政が協力したという程度である。
 それから、「作業部会」の構成メンバーについて質問している過程で分かったことだが、市民団体案(「ネットワーク」案)とはいっても、それを作成したのは「ネットワーク」の中の一つの部会、それもたった五人で構成された「意識部会」で、しかも、その五人の内の四人が「たたき台」作成のための「作業部会」のメンバーとなっていたのである。十八団体(四人の個人を含む)、一千百六十人の市民からなる連合体の案とはいっても、実際に草案作成に深く関わったのはたったの五人。しかも彼女たちに行政がすりより、何の副作用も考えずに作成したのが「桑名条例」だったのである。その迂闊さたるや恐るべし!
 
国会答弁もどこ吹く風
 
 「目標は『機会の平等』であり『結果の平等』ではない」
 「『ジェンダーフリー』という言葉は国連も日本の法令も使っていない」
 「一部に、男女の区別をなくす、男女の違いを画一的に排除しようという意味で使っている人がいるが、男女共同参画社会はこのようなものを目指していない」
 昨年十一月十二日、政府はこのような国会答弁を行い、地方自治体にその旨を通知したわけだが、桑名市においては、この通知にどのように対応するのか、まったく方針がたたず、ただ、教育委員会、苦情処理機関、桑名市男女平等審議委員会の判断に委ねる、つまり「丸投げ」している状態のようだ。
 ちなみに、「桑名条例」の運用を評価する機関として設置された「桑名市男女平等審議委員会」の総員十名の委員の中に、市民から公募された委員が三人含まれているが、その内の二人が「ネットワーク」の関係者だという。政策課は、名前を伏せて応募作文を審査した結果たまたまそうなっただけで、意識的に「ネットワーク」の関係者を入れたわけではないと説明しているが、市民公募の定員三人に対して、応募総数はたったの七人だった。“市民の中には「ジェンダー」が一体何を意味するのかさえ分からない人々が多くいます”というのが政策課の現状認識である。そうであれば、委員を公募した場合、どんな人々が応募してくるか。そんなことは言わずもがなの暗黙の了解事項だったろう。
 
条例に反対した市議の孤立
 
 市役所での取材を終えた私は、「桑名条例」案にただ一人反対したという成田正人(なりたまさんど)市議の話を聞くことにした。以下はその時のやりとりである。
 
 成田「普通、行政側が条例案を市議会にかける場合には、議会の前の全員協議会という場で、議員に対して議案説明を行うのですが、この条例案については説明がありませんでした。これは私の二期八年の議員経験の中でも異例のことです」
 新田「なぜ、なかったんでしょうか?」
 成田「意図的だと思いますね。説明できなかったからではないでしょうか。自分たちが作ったものなら説明できたでしょうが、これはほとんど市民団体が作ったものですから、詳しい説明を求められたら説明できないからではないでしょうか」
 新田「市民の代表である議員に条例案についての説明をしなかったというのは驚きですが、議員が条例案が出されているのに気がつかないということはあるのでしょうか?」
 成田「膨大な予算案を審議しなければならない三月議会にかけたところにも意図的なものを感じますね。これが予算書の厚さが全然ちがう補正予算を審議する六月議会だったら、賛成する、しないはともかく、他の議員も気がついて質問くらいはしたと思いますよ」
 成田市議は、総務委員会での審議中に「桑名条例」案の上程に気がついて反対意見を述べ、さらに本会議の最終日に反対討論を行ったが、時既に遅かったという。
 本当に議員に対する議案の事前説明はなかったのか? この点を当時の政策課長に確認してみると、確かに、説明はしなかったらしい。ただ、その理由は「草案を作成した『協議会』には、市議会の代表として市議会議長が加わっており、内容はよく承知していただいていた。また、前年度の三月議会で『協議会』設置の予算を計上して、審議していただいているので、条例を作成することについて議員さんたちもご承知のはずだった。また、全員協議会では必ずしも全議案について説明するわけではなく、議員の方々がご存じないようなことについて説明するというやり方をしている」とのことだった。
 理由や経緯はともかく、最先進の画期的な条例案が全議員への事前説明なく上程されたことだけは事実らしい。上野女史は「議会の多数派の人たちが、これを通すことの意味がよう分からんかったからか?」との疑問を呈していたが、そうではなくて、成田市議が反対を表明するまで“上程されていることすら知らなかった”議員が多かった、というのが実態のようだ。
 このような経緯で平成十四年の三月議会で成立した「桑名条例」に対して、成田市議はその後、六月議会、九月議会、十二月議会で、ほぼ私が示したのと同じような観点から、条例の未熟さ、稚拙さを指摘して行政の見解を質している。このためにすっかり「女性の敵」に仕立て上げられてしまったらしい。成田氏のスタッフだったある人物は、「成田さん、これまであなたを支持してた人達が、あいつは女性の敵だから、今度の選挙では落とさなければいかんと言っているよ。だから僕らも一緒にやることはできない」と言って去って行ったという。
 
議会制民主主義の原則を踏み越えた凄さ
 
 今回の取材を通して確認できたことは、確かに「桑名条例」は画期的で、凄い条例だということだった。ただし、議会制民主主義の原則を踏み越えているという意味で――。
 あらためて言うまでもないことかもしれないが、条例が全市民の意思を体現したものとして正当化されるためには、「全体の奉仕者」たることを義務づけられている公務員が、中立性を守って主体的に草案を錬り挙げ、それを市民の代表者たる議員が詳細に検討するという手続きが守られなければならない。それこそが、我々日本国民が採用している代議制民主主義の原則であるはずだ。
 ところが、市民参加という美名の下で、行政の中立性・主体性は骨抜きとなり、市民の代表である議員への説明は省略され、市民の代表として当然なすべき突っ込んだ質問を行った議員が、「女性の敵」というレッテル貼りで窮地に陥れられる。これがフェミニストが望んでいる市民参加社会の未来像なのだとすれば、それを見事に示してくれている点で、たしかに桑名市は最先進地域に違いない。
◇新田 均(にった ひとし)
1958年生まれ。
早稲田大学大学院政治学研究科博士後期過程に学ぶ。
現在、皇学館大学助教授。


 
 
 
 
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