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2002年10月号 正論
「歴史的和解」から7年、文科省をあざ笑う地方教組の暴走
皇學館大学助教授●新田 均(にった・ひとし)
 
組織的関与の驚くべき実態
 
 反対五二一五票(約六七%)、賛成二五一二票(約三二%)。平成十三年十一月十八日、原発誘致の可否を問うために実施された三重県海山(みやま)町での住民投票は、反対票が投票総数の約七割(有権者総数の約六割)を占め、原発誘致は断念ということになった。
 ところが、この海山町における住民投票は、他とは違って誘致推進派の方が積極的におしすすめたものだった。同年二月に海山町商工会などが中心となって町議会に提出した誘致決議請願書には、有権者の約六四%(五六〇六人)の署名が添えられていた。推進派は、この住民多数の支持を背景に住民投票を実施して原発誘致を一挙に実現しようとしたわけだ。
 たしかに、誘致請願に署名した人々がそのまま投票していたら、原発誘致は圧倒的多数で実現していたに違いない。しかし、わずか八カ月余の間に住民の考えはガラリと変わり、逆に圧倒的多数で否定されてしまった。この激変の理由は何か、この短期間に一体何が起こったのか。その経緯を探ってみると、一地方の問題として見過ごすことのできない構造的な歪みが見えてきた。
 平成十三年十二月、三重県議会では、教育公務員(公立学校の教員)に対して勤務時間中の組合活動のための無給の休暇を、新たに三十日間認めるという条例が審議されていた。このとき一般質問に立った浜田耕司県議は、この条例が教師の政治活動を“公認”することになるのではないかとの懸念から、「私はここで原発の是非を問うつもりはありません」と前置きした上で、海山町の住民投票の際に、三重県教職員組合(「三教組」)が組織的に政治活動を行っていた事実を明らかにした。浜田県議の独自調査によれば、それは次のようなものだった。
 まず、原発予定地の大白浜という地区で反対派がはじめた「立木トラスト」運動に参加している七十三名のうち、実に四十一名が教員であった。「立木トラスト」というのは、建設予定地の樹木を反対派が所有し、その伐採を拒否することによって、原発建設を阻止しようとするものだが、その運動に参加している者の半数以上が教員であったというのである。
 しかも、そのほとんどが海山町外に住んでおり、前嶌徳男氏(現中央執行委員長)以下、三教組執行委員がズラリと名を連ねていた。
 いま一つは、海山町議会議員に宛てて出された反対要請ハガキ百十一通のすべてが、三重県内の教員によって出されたものだったことも判明した。しかも、文面がほとんど同じで、「脱原発は、世界的傾向にあります。ヨーロッパでは、原発の持つ危険性と経済的理由から脱原発の方向を目指しており、ドイツでは二〇二〇年に原発全廃の方策を打ち出しています」などと書かれていた。このようにマニュアル化された大量のハガキが出されているということは、この反対運動が、個人の自主的な判断や自然な良心によるものではなく、組織的な動員・命令によって行われたものであるらしいことを窺わせた。
 また、三教組三泗支部が発行している「三泗教育ニュース」によって、反対集会で掲示された「原発反対ハンカチ」が、海山町から遠く離れた四日市市にある三泗教育会館で、組合員の組織動員によって作られていた事実もあきらかになった。
 さらに、三教組自身が、「三教組大会でも、地元反対住民等と連携して反対運動をすすめることを決定し、全体でとりくむことを確認しました」(「三重県教組新聞」)と明言していたことも分かり、これによって運動団体の組織的な介入が大々的におこなわれていた事実が明白になった。
 日教組は平成七年の文部省(当時)との“手打ち”以来、「日の丸・君が代反対闘争」を棚上げにした。それは日教組が政治活動から手を引いて、本来の職員団体(いわゆる「教職員組合」)の役割である教員の福利厚生のための活動に専念するという方向転換とも受け取れた。しかし、それは「麗しい誤解」に過ぎなかったようだ。
 日教組の地方組織の一つである三教組は、昨年四月、数十年にわたって続けてきた勤務時間中の不正な組合活動への追及に対して、約三年分の不正取得に過ぎない八億円を、「寄付」という形で県に返還するという姑息な手段で、県民に対する反省も謝罪もないままに乗り切った。しかも、依然として、政治活動は継続する、と公言してはばからない。
 ところが、何故か、この三教組に県当局は妥協して、勤務時間中の無給の組合活動を認める条例を通過させた。これでは、またぞろ三教組が条例を悪用して、勤務時間中に政治活動を益々公然と行うようになるのではないか、と浜田県議が心配したのも無理はない。
 それにしても、法律上、教育公務員は政治的行為を厳しく制限されていたはずである。それなのに何故、前述のような運動を公然と行うことができるのか。教育委員会はどうしてそれを取り締まれないのか。私はこの疑問を、三重県教育委員会人材政策チーム・マネージャー高杉晴文氏に尋ねてみた。
 
骨抜き状態の「政治活動の制限」
 
 あらかじめ確認しておくと、教育公務員が法律によって政治的行為を厳しく制限されているのは、一方では、教育という事業が心身ともに未成熟な児童生徒に対して強い影響力を持つからであり、他方では、全体の奉仕者たる公務員は市民に対して偏った行動をとってはならないからである(文部省地方課法令研究会編著『新学校管理読本』)。
 具体的な法律を挙げれば、たとえば、「教育基本法第八条第二項」は「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と規定している。要するに、学校内や勤務時間中には政治活動をしてはならないということである。
 さらに、この「教基法第八条第二項」が学校内・勤務時間中に限って適用されるものであるのに対して、勤務時間の内外をとわず、公務員としての身分を有する限りたとえ休職中・停職中でも適用され、一定の「政治目的」を有する一定の「政治的行為」を禁じているのが「人事院規則一四―七」である。そこで言われている「政治目的」とは、「政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し又はこれに反対すること」「国の機関又は公の機関において決定した政策(法令、規則又は条例に包含されたものを含む)の実施を妨害すること」等であり、「政治的行為」とは、「政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、回覧に供し、掲示し若しくは配布し又は多数の人に対して朗読し若しくは聴取させ、あるいはこれらの用に供するために著作し又は編集すること」等である。
 この「人事院規則一四―七」に照らせば、学校外・勤務時間外であったとしても、前述の三教組の行為は「明らかに組織的な違法行為ではないか」と私は質したわけだが、高杉氏から返ってきた答えは意外なものだった。そのやりとりを要約すれば以下のようだ。
 「個々の具体的な行為の中に法律に抵触するようなものがあれば厳正に対処させていただく方針です。ご指摘のあった行為についても、県立学校については県教委自身が、小中学校については、服務監督者である市町村教委を通じて、直接の監督者である学校長に問い合わせましたが、規律違反にあたるような行為があったという報告は受けておりません」
 「何故、三教組の行為を人事院規則違反だと断定できないのですか」
 「それは、『人事院規則一四―七』とは別に、その運用方針について人事院から通知が出ておりまして、それによると、『政治的目的』とは、端的に言えば、日本を根本的に転覆させようとするような意図を有するものだけに限られているからです」
 この答えを聞いて「政治的行為の運用方針について」(昭和二十四年十月)という人事院の通知を見てみると、そこには次のように書かれていた。
 「政治の方向に影響を与える意図」とは「日本国憲法に定められた民主主義政治の根本原則を変更しようとする意思をいう。(中略)日本国憲法に定められた民主主義政治の根本原則を変更しようとするものでない限り、本号には該当しない」「政策の実施を妨害すること」とは「その手段のいかんを問わず、有形無形の威力をもって組織的、計画的又は継続的にその政策の目的の達成を妨げることをいう。従つて、単に当該政策を批判することは、これに該当しない」
 なんだ、要するに〈暴力革命やテロを賛美する活動以外なら、なんでもOK!〉ということではないか。これでは、教育公務員が政治的行為を厳しく制限されているというのは、法律上の“単なる建前”にすぎない。なんのことはない、建前を骨抜きにする「通知」によって、教育公務員の政治活動は、実際には“野放し状態”になっていたのである。
 教育の中立性・公務員の中立性から見て、どんなに問題ある行為であったとしも、勤務時間外の政治活動は法では取り締まれない。これでは、教育委員会としては教師の「道徳心」をあてにする以外に手はない。しかし、当てにされた方の教師は、道徳などどこ吹く風で政治活動を続けてきた。なるほど、そう考えると、教師がこれまで道徳教育に不熱心だった理由も納得できる。
 私は質問を変えて、「勤務時間中に、原発について偏った政治教育が行われている実態があるのではないか」と尋ねてみた。それは、今年一月十日付の産経新聞投書欄に「原発の教え方、偏りあきれる」と題して、三重県における教育の実状について、次のような匿名の投書が載っていたからだ。
 〈私は電力会社に勤務する者です。ある日、会社から帰り夕食を終えてくつろいでいると、小学校四年生になる息子が『僕は原発、反対や』と突然言い出した。―ふだん、息子はテレビゲームとドラえもんくらいしか興味がないと思っていた」ので、この発言に少し驚くと同時に何があったのか尋ねた。/『学校の先生がゆうとった。原発は原子爆弾といっしょやて。事故が起きたらたいへんなことになる。そやで、先生も原発反対やて』とのことである。/核兵器という人間の愚かしさの頂点を極めるものと人々の豊かで安全な生活に寄与するものを同列において、その利害得失をよく説明せず、次代を担う子供たちにこのような指導が教育の場で行われているとすれば残念なことである。/子供たちに非常に影響力のある学校の先生方には視点の偏らない教育を望みたい〉
 「学校内でこのような教育が行われているとすれば、これは明らかに教育基本法違反ではないか」と私は尋ねた。それに対して高杉氏は「このような投書があったという事実は知っていますが、匿名の投書に対してどの程度県教委が動いたらいいのかについては判断が難しいわけです。名前を名乗らない指摘にしたがって動いて、もしそのような事実がなかった場合には逆に人権問題にもなりかねませんから」と答えた。
 なるほど、県教委が難しい立場にあることは分かった。しかし、保護者にこのような問題で“名を名乗れ”というのは酷だろう。なにしろ、事実関係を明らかにするためには、小学四年生の子供に先生の言行について証言させなければならないからだ。そんなわけで、教室内での政治教育についても、結局は教師の良心をあてにするしかないというのが現状のようだ。
 それでも県教委はできる限り県議会の疑念に答えるべく、各学校長を通じて実態調査を行ったようだが、「法律に違反するような行為は確認できませんでした」ということだった。教育委員会としてはここまでが精一杯ということなのだろうが、違法行為があったと報告した場合に自らの管理責任を問われ兼ねない校長が、まともに県教委の調査要請に応じるだろうか? こうなれば、教育委員会をあてにせず、自分で調べてみるしかないと考えて、取りあえず、海山町の住民投票について報じた新聞記事を丹念に読んでみた。すると、公立学校をも巻き込んだ反対運動の異常な実態が見えてきた。
 
高校生を巻き込んだ反対運動
 
 海山原発反対の運動団体には「紀北地区平和環境労組会議」(紀北労組)、「脱原発三重ネットワークみやま」(脱原発みやま)、「原発反対みやま町民の会」、「SOS運動海山グループ」の四団体があった。このうち「紀北労組」は三教組や県職労、全林野労組などの組合員からなり、会員約七百人、三教組紀北支部長の玉置保氏が議長を務めていた。「脱原発みやま」は、会員数約五百人で、東京から海山町へ単身移住してきたヨットマンの杉本賢一氏が事務局長を務める団体だった。この二団体が会員数の上で、反原発団体の主流をなしていた(両団体の実質的な事務局を担っていたのは、尾鷲工業高校教諭の岡村哲雄氏だったと地元では言われている)。
 この四団体を中心に「チェルノブイリの真実の声を聞く会」なる実行委員会が結成され、ここが主催して平成十三年五月十二日夜にフォトジャーナリストの広河隆一氏の講演会が開かれた。これだけなら何の問題もないのだが、「伊勢新聞」の報道によると、この実行委員会に、なんと「尾鷲高校自然環境研究会」というクラブが名を連ねているのだ。この報道が事実であるとすれば、特定運動団体の政治活動に高校生のクラブが“動員”されていたことになる。
 さらに驚くべきことは、平成十二年十月五日の「紀勢新聞」の報道である。それによれば、尾鷲高校の文化祭で「自然環境研究同好(ママ)会」が、同じ広河隆一氏が撮影した写真を借用して「チェルノブイリ写真展」を開き、「写真のほかにも『地震大国に原発はごめんだ』『原発のない未来へ今こそ脱原発』などを見出しとした調査資料やチェルノブイリ級の事故を海山町に当てはめた被害想定エリアの地図を掲出」したという。そして、こともあろうに、この記事には「原発誘致をけん制 尾鷲高文化祭 チェルノブイリ写真展」との見出しがつけられているのである。同じく、「紀勢新聞」によれば、この文化祭の翌月、「脱原発みやま」は海山町の五会場でそれぞれ一日ずつ、「原発そのものの安全性が確立されていないことを訴える」ために、「チェルノブイリ被ばく写真展」を開催している。
 海山町には高校がないために、海山町の高校生の多くが尾鷲市の高校に通っている。尾鷲高校の文化祭を報じた「紀勢新聞」は、海山町、尾鷲市、紀伊長島町などで約六千部(全戸数の約三分の一)発行されていて、地元での影響力は小さくない。
 尾鷲に通う高校生たち、その保護者たち、そして、海山町の住民に、高校での「写真展」やその報道は、どんな思いで受け止められたのだろうか。報道が事実とすれば、私としては公立高校を巻き込んだ政治運動が展開されていたと断ぜざるを得ないが、管理責任者である校長、教育委員会はどのように判断したのだろうか。
 さらに、推進派の住民投票条例に対抗するために、杉本氏を中心に結成された「住民投票条例をつくる会」は、“投票資格者を十六歳以上の町民とする”という独自案を作成したらしい。一連の流れを知ったことで、私には、高校生にも投票権を与えようとする反対派の条例案の意図するところが、「なるほど」とうなずけた。
 なお、これは後日談であるが、今年度から尾鷲工業高校と尾鷲高校が再編統合され、その結果だと思われるが、反原発で活躍し、これまでは尾鷲工業高校に在職していた岡村哲雄教諭が、現在、「自然環境研究会」の顧問に加わっているという。老婆心ながら、「客観的かつ公正な指導」が行われているのかどうかが気にかかる。チェルノブイリ原発と日本の原発の構造や運用の違いはきちっと教えられているのだろうか。単に同じ原発だという理由だけで安易な同一化が行われているとすれば、プロペラ機とジェット機の安全性を、同じ飛行機だという理由で同一視するのと同様な「とんちんかん」になりかねない。ソ連という異常な体制の下で起こった出来事について、政治体制・社会制度の違いにまで踏み込んだ指導が行われているのだろうか。運動に熱心な教師が、自らの政治信条を脇において、「客観的かつ公正な指導」を行うことはなかなか困難だと思うのだが・・・。
 さて、このように報道を分析しただけでも、尋常でない状況の中での住民投票であったらしいことがうかがえた。そこで、さらに、詳しい事実を知るために、私は浜田耕司県議とともに現地におもむき、住民の生の声を聞いてみることにした。
 
本当に住民の良識が反映されたのか
 
 「確かに、反対運動の中では先生たちの活動が目立ちました。時には目に余るものもあり、教育委員会に自粛をお願いに行ったこともありました。町議会の傍聴も多かったですね。中には“組合から動員がかかったもんでな”なんて、言い訳していた先生もいましたね」
 「三重県では長年原発賛成、反対で揺れ動いた南島町の例があり、そこでは“子供がおぼれていても、賛成派か反対派かを確かめてからでないと助けない”なんて聞いていましたから、子供を巻き込まないというのが、私たちの方針でした。そのへんの認識が先生方とは違っていましたね」。ある推進派住民はこう語った。
 以下、取材で集めた住民の声を要約して紹介しよう(“いやがらせ”の再発が予想されるので、実名の公表は差し控えさせていただく)。
 「小学校で先生に生徒が“お前の親は推進運動をしている”と名指しされて、その子が自分の親は悪いことをしているんだと思ってしまい、家に帰ってきて“お母さん、家の前のポスター、はがしてよ”と言ったというような話が数多くありました。それで抗議してくれと親から言われたこともあって、自重してくれるように校長先生に申し入れたりしましたが、それ以上はできませんでしたね。それ以上しようと思えば、子供に証言をさせなければいけないでしょ。それはできませんよ。子供は人質にとられているようなもんですから。でも、先生方には自重してくれるような雰囲気はなかったですね。なりふり構わずですよ」
 「反対ハンカチというのがありますね。あれを海山町では子供たちが学校の教室で書いていましたね。親に言われて友だちに書いてもらっていたらしいんです。先生方が奨励したわけではないようですが、書いているのを見ても黙認したり、“ああ、いいことやっているな”程度のことは言っていたようです。そのハンカチを三教組支部の教育会館に持っていって先生方が繋ぎ合わせて、それをスーパーなどの目立つ場所に吊すんです」
 「反対派の集会があった夜に賛成派のポスターが大量にはがされるという事件がありました。それを指示したのが、ある学校の先生だったという噂がながれました。それで、警戒していたところ、翌日の夜、ポスターをはがしている者がいたので捕まえたんです。それが中学生だったのはショックでしたね」(この事実は平成十三年十一月十六日付「伊勢新聞」で報じられている)
 「住民投票の当日、誰が来た、来ないと出口調査をしていたのも学校の先生でした。こんな露骨なまねは商売人にはできません。先生たちみたいに職が安定していませんから、なかなか表立ってはやりにくいんですよ」
 これらの証言を聞きつつ、私は考えた。もちろん、公務員たる教師にも個人としては思想信条の自由があるだろう。しかし、国家から手厚く保護されている公務員が、しかも、子供の将来をその手に委ねられている教師が、それをほしいままに行使すれば、“弱者”たる一般市民にとっては重大な脅威になるのだと。
 さらに、海山町における運動には広域的なネットワークを有する組織の介入もあったようだ。
 「こういう問題が起きる地域には、かならず全国組織のオルグが先乗りで来ていて、それを地元の先生が手助けするという図式があるようですね。なんであの人とあの人が結びつくの?といぶかしく思うような光景がありましたね」
 「“反対して下さい”というハガキが全国から送られてきました。全国的な組織が裏で動いていたんでしょうね」(インターネットをつかって、全国的な運動家への運動方法のアドバイス、支援や資金カンパの依頼が行われていた事実が確認されている)
 「無言電話による嫌がらせも多くありました。中にはノイローゼになるくらいまで追い込まれた人もいました。でも、警察も民事不介入ということで助けてくれませんでした。事件になるまでは手出しできないというんです。ですから、なかなか、マスコミの前で“賛成”なんていえませんよ」
 昨年の中学校の教科書採択に際して、栃木県下都賀地区で、全国的な運動団体の介入によって、いったん決定した地域の意思がねじ曲げられるという“事件”があった。こういう話を聞いていると、それと同様の構図が原発問題についてもあるのではないかと思えた。
 激しい反対運動を受けた結果、地域住民がどんな心理状態になっていったのか。最後にそのへんの証言を紹介しよう。
 「結局だれも守ってくれませんもんね。投票に負けても運動は続けると反対派は公言していました。勝ってもこんなことがずっと続くかと思うとたまらんね、なんて言ってたんですよ。正直言って、負けてほっとしたという気持ちです」
 賛成派をたった八カ月余の間に、このような心理状態にまで追い込んだ反対派の活動は「お見事!」としか言いようがない。しかし、見事な運動は必ずしも正常な事態を意味しない。このような中で示された「住民の意思」を、「町民の良識が示された」と報じた新聞があった。そこまで露骨に誉め称えないまでも、多くの報道がそれに近い論調だった。
 
「歴史的和解」という誤解
 
 読者には既にお分かりのことで、明言するまでもないことかもしれないが、私はここで原発の是非を論じているのでもなければ、住民投票という手法の是非を論じているのでもない。そうではなくて、広域的な組織を有するイデオロギー集団によって地域住民へ圧力が加えられたり、公教育が政治的に利用されたりするという異常事態の中で住民投票が行われたという事実、その結果が「住民の良識」として喧伝されたことに大きな疑問を感じているのである。また、手厚い身分保障を受けている公務員がそれに手を貸すことの問題点を指摘しているに過ぎない。
 「先生方が中立を守ってくださっていたら、結果は違っていたと思われますか?」
 「すべてとは言いませんが、相当影響はありましたね」
 住民の一人はこう答えた。今まで述べたように、海山町の住民投票の実態を知れば知るほど、平成七年の文部省と日教組との「歴史的な和解」とはいったい何だったのだろうかと思わざるを得ない。闘争路線から柔軟路線に転じたとされる内実がいったどこに示されているのだろう。海山町だけではない。歴史教科書問題や東京・国立二小問題、北海道や千葉県での日の丸・君が代反対運動などを見ても、一連の教育正常化の動きに彼らがかたくなに反発しているのは明らかであろう。文部省が期待した譲歩は少しもなされていないではないか。
 日教組が昭和二十七年に決定した「教師の倫理綱領」をいまだに破棄していないことを私たちは見過ごしてはならない。それは、教師は全労働者と団結して階級闘争を勝ち抜くという観点から書かれ、青少年の育成は「われわれに課せられた歴史的課題」を解決するためだと明記されている。まさに原発反対のために児童生徒を“駆り出す”ことは、彼らの歴史的課題を解決することにかなうのである。また「日の丸は天皇制国家主義のシンボル」「君が代は主権在民の憲法原理に反する」という昭和五十年の日教組見解もそのままだ。要するに、日教組の本質はほとんど変わっていないのである。基本的な部分を曖昧にしてなされた“手打ち”のツケが、今この国の教育現場や地域社会を危うくしている。私はその事例の一つとして、ここに三重県海山町を取り上げたのである。
 最後に付け加えさせていただくと、今回の取材を通じてエネルギー立国の根幹に関わる問題が、住民や電力会社の、いわば“私的努力”に委ねられている現状に大いなる憂いを感じざるをえなかった。
◇新田 均(にった ひとし)
1958年生まれ。
早稲田大学大学院政治学研究科博士後期過程に学ぶ。
現在、皇学館大学助教授。


 
 
 
 
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