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2002/11/22 産経新聞朝刊
【透明な歳月の光】曽野綾子(34)ボランティア活動 若者たちに労働の快感を
 
 十日余り雨模様が続いた後、十一月十七日に奇跡的な晴天に恵まれた金沢で、私は郊外の雑木林に侵入した孟宗竹の伐採の仕事を手伝わせてもらった。同行した六人のボランティアは、五人の若い日本財団職員と、夏の間財団に実習に来てくれていた一人の東大大学院生である。
 竹は雑木林に入ると猛威をふるう。日差しを遮(さえぎ)って昼なお暗い森にし、木を取り囲んで最後には枯らしてしまう。昔は人を入れて竹を駆逐していたのだが、今では誰も働き手がないので放置したままになり、その結果山は荒れ放題になっている。
 財団の職員たちは、里山の保全などにも働いているのだが、全員が都会育ちで山の体験など多くはなかった。先方もよくそれを知っていて、傾斜がきつい斜面では足場を確保することもできないだろうと思ってくれたらしく、ちょっとした丘のような場所を伐採地に指定してくれた。
 初めは誰もがのこぎりの歯を獰猛(どうもう)な竹に取られ、数分間に一本切るのがやっとだった。しかし一時間ほど経つと、どの竹から切ると搬出が楽かといういわゆる手順も読めるようになり、一分間にあちこちで数本の竹が倒れて来るほど能率が上がって来た。
 その日がいい天候である幸運を私は感謝もせずに、
 「これでは訓練になりませんね。みぞれまじりの手のかじかむような日だったら冷たさが身にしみてよかったのに」
 などと嫌がらせを言っていたのだが、一本の竹が倒れるとさっと日差しが躍り込む爽快さは、確かに予期せぬ贈り物であった。
 真っ暗だった地面のところどころに、実に数年か十数年ぶりに木漏れ日が入る。すると既に弱々しく生えている実生の雑木も大きくなることが保証されたようなものである。
 来年は掘り立ての筍を食べに来て、と言われた時、筍をそんなにごちそうになっては悪いと思ったのだが、筍のうちに食べれば、こんな騒ぎも少しは減るというのである。
 わずか三時間半ほどだったが、素人にしては作業の痕跡も残せた。十メートルはありそうな竹が、青空を背景にばさりと豪快に倒れて来る快感は、実感しないとわからないと皆思っているらしい。来年はチェーン・ソーを数台入れて、切る係と捨てる係を初めから分業にすれば、ずっとはかが行くだろう。仕事が終わったら近くの野天風呂で入浴を済ませ、寝袋持参で、ご飯も竃を借りて自分たちで煮炊きをする計画など立てている。独立して生きて行く精神がボランティアの基本だからだ。
 私が教育改革国民会議でボランティア活動を義務づけたいと思ったのも、若者たちに、この労働の快感と、国土は自分たちの手で経営する他はない、という基本的な認識を持ってほしかったからである。
◇曽野綾子(その あやこ)
1931年生まれ。
聖心女子大学卒業。
作家。日本財団会長。


 
 
 
 
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