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1998/06/03 産経新聞夕刊
【日刊じゅく〜る】710号 「心の教育を考える」曽野綾子講演(上)
 
 少年犯罪が相次ぐ中で、子供たちの心の教育を考えようと「曽野綾子講演会とココロ・コンサート98」(産経新聞大阪新聞厚生文化事業団、大阪新聞社主催、産経新聞社など後援)がこのほど大阪・サンケイホールで開かれました。「人々の中の私」と題した講演で作家の曽野さんは、戦後教育の最大の悪弊でもある「権利だけの主張」を厳しくたしなめながら、私たち日本人が忘れた「与えることの幸せ」と、それこそが人間の尊厳であることを説いています。曽野さんの時宜を得た熱弁を2回にわたり紹介します。
 
 私は昨日一人の方の訃報(ふほう)を受けました。それは韓国人のイ神父さんです。ソウルから南に車で四十分ぐらい下がった街でハンセン病の患者さんのために三十年ぐらい、もっとかもしれませんけど村を作ってらっしゃる方なんです。
 それで最初の時ではないんですけど、数回目に私のところへきたときに「曽野さん、六百万、お金ほしいんだ」とおっしゃるんです。「何になさるんですか」。「はじめは掘っ立て小屋みたいなところに住んでましたけど、今はそれぞれのお部屋もこざっぱりしたものがあるようになりました。食堂がないんです」と。やっぱりコーラスをしたりお話を聞いたり映画会をしたいんですね。その時の部屋がないから六百万円というんです。
 当時私どもの仲間に梶山季之という大流行作家がいました。梶山さんのバーの払いはひと月百万円というウワサがありました。そこで私は梶山さんに三カ月分の三百万円だしてもらって、残り三百万円をあちこちの友達に電話して集めたら何とかなるんじゃないかと思いました。
 それはほんとに瞬間的に思ったんですけど、イ神父さまが「曽野さん、このお金は一人の人から出してもらわないでください」とおっしゃるんです。私、読心術みたいで気味悪くなりましてね。
 「なぜですか」と聞いたんです。そしたら「人を助けられるという素晴らしいチャンスは一人の人が独占しないで、みんなに分けてあげてください」。
 
 こんな言葉それまで私に日本人のだれも言わなかったのです。
 それは日本のそれまでの教育が人間のもらう権利、つまり「取る」ことばかり教えて「与える」ことがどんなに人間の尊厳にかかわっているかということを何も言わなかったからです。
 私はその日からイ神父さまの弟子になりました。
 私は戦争が終わったときは十三歳でした。ずっと欠乏の中で母の世代と私の子供時代を生きてきた。ですからわれわれは要求すべきだ、というのも当然でしたでしょう。半分はホントでしょうけど、私は半分しか容認しません。
 しかし日教組を中心とする日本の教育は何をなさったか。もらうのは当然だ、もらうのは権利だ−というばかり。そうじゃないですね、人間というのは。いただいて与えるという両方です。人間の呼吸もそうです。栄養もそうで、食事をして排せつをする。呼吸して吐き出す。私たちもお金をもらって、ずっとカメに入れてためてたら守銭奴ですね。
 それをどうやってやりくりして見苦しくないような服を買うとか、今月は音楽会に行こうとか考える。お金は取ることも入れることも大事だが、使うことも大事。そういうバランスのある教育をだれもしない。権利ということばかりだったんですね。
 昭和三十年代後半だと思うんですけど、ある新聞社が出していた教育雑誌があるんです。学校で黒板の隅に「損になることには黙っていない」ということを書いた先生がいて、そのことを褒めたたえた記事が載っていたんです。私はホントに怒りました。
 損をしないことがいいんだったらそれはライオンと同じなんですね。ライオンというのはオスがいてメスが何匹かいて、そのハーレムだけには獲ってきたシマウマかなんかを食べさせるけど、よそから来たメスには食べさせない。
 人のために自分を差し出すというのは絶対しない。じゃ動物と人間はどこが違うかというと、それをするかしないかですね。
 聖書の中に「受けるより与える方が幸いである」という言葉があるんです。二千年前の言葉ですよ。でも私なりに改変すると「多く受けて多く与えるのが幸いである」と。いただいてお返しする。
 新宿を歩いていると、道がわからなくなるんです。そこで、私が道を尋ねると、ある奥さまがご一緒しますよっておっしゃってくださった。
 私は「奥さまにお礼をさせていただくことはできないと思います。でも、どこかで困っている方がありましたら、奥さまのことを思いだして私のできることをさせていただきます」と申し上げたんです。
 人間は「受ける」と同時に「与える」ことができるのが幸いである、ということを教えなかったんです、日本では。
 
 私は三十年前にコルベというポーランド人のカトリックの神父のことを調べたことがありました。
 長崎にいたことがあるんですが、ナチスによってアウシュビッツに入れられた。神父がいた兵舎みたいなところから逃亡者がでる。ナチスは一人の逃亡者がでるとそれを許した兵舎全体に罰を科すために十人から二十人を処刑者に選ぶ。その中にガルニチェックというポーランド人の軍曹がいた。その人は自分が処刑されると知ったときに「ああ私の妻子はどうなるんだろう」ってつぶやいたんです。
 それをたまたまコルベ神父が聞いて「私はカトリックの司祭で結婚しておりません。妻子もおりませんから私があの人の代わりに死にます」と言った。
 それでナチスは驚いて、ガルニチェックの代わりにコルベ神父を処刑者の中に入れた。神父は周りの人を励ましながら十四日間生きた。
 バチカンはコルベ神父を異例の速さでもって聖人の席にあげた。何をバチカンは言いたかったかというと、自分の命を捨てて人に与えるということの崇高さなんです。それは人権ばかりを大合唱する日本と全く逆さまのものです。
 
 人間だけがモノだけじゃなく、命さえも与えることのできる可能性を有する存在であるということを、われわれは忘れてはいけない。
 もしそんな人がいてあなたの息子は偉かった、娘は偉かった、といえなければ人間は利己主義者の塊になる。そうでなくても利己主義なんですね、私たちは。
 だいぶ前にアメリカの五大湖に飛行機が落ちて、皆が氷の湖の中にいました。そこへヘリコプターがきてわっぱみたいなのを下ろして、みんながつり上げられていくわけですけど、最後に一人の席しかないというときに、男の人とスチュワーデスの女の人がいらした。すると、男の人が女の人に最後の生きるチャンスを譲ったんです。
 私は、そういうとき国をあげて「私たちの同胞の中に立派な人がおります」というべきだと思います。日本にはそういう気風がないんですね。


 
 
 
 
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