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1999/08/10 産経新聞夕刊
【教育直言】文部省は学校現場に目を向けよ
 
 文部省の教育改革は、中学校をも混乱に陥れている。
 学校五日制の導入が教育内容の削減を伴っていなかったため、授業時数の確保と行事の精選が叫ばれてきた。素直に指導に従った学校では、例えば、家庭訪問がなくなり、春の遠足もなくなった。
 文化祭も準備のために授業をつぶすのはまずいと、単なる夏休みの作品展示の場になり、クラスごとに展示や劇などに取り組むこともなくなった。
 授業中心の学校は混乱を生み出している。新学期、クラス替えがあって、生徒たちは新しい教室に集まり、そこで一日生活することになる。クラス担任としては、なるべく早く一つの社会をつくり、安定した生活をつくり出すことが当面の最大の課題となるが、そのために行事は決定的に重要なのである。忙しい中、五月の中ごろに春の遠足を設定したのは大きな意味があった。
 遠足を企画・運営するために生徒の委員会をつくる。クラスや学年が一緒に行動し、楽しくすごすために具体的な取り組みを始める。その準備の過程で少しずつクラスや学年が一つにまとまってくるのだ。
 生徒たちは楽しいことには積極的になる。個人主義的な生き方では、みんなで楽しむ遠足は実現できないのである。
 最近は、行事に生徒たちを引きずり込むことが年々難しくなっているが、行事がなくなると、クラスや学年をつくることが極めて困難になる。一緒に生活する必然性がなくなるからだ。
 授業は基本的に個人主義的なものである。毎日の生活は個人主義だけでは成り立たないのだが、掃除や係の仕事は必ずしも楽しいことではないから、生徒が夢中になって一緒にやろうということにはならない。
 こうして、行事の削減は、クラスや学年という社会をつくりあげることを困難にし、学校を不安定にしていくのである。
 自由化・個性化という改革が「学校=授業」という形までつき進み、クラスなどつくらず、生徒が個人的に授業に参加することになれば、社会など成立しなくてもいいかも知れない。
 しかしそうなったとき、生活の仕方や社会性はどこで教えることになるのだろうか。
 そんなことを考える教師が多い学校では、行事の削減をさぼっている。行事が盛んな学校は、教師や生徒の共同性が生まれ、まだ混乱が広がっていない。
 学校の役割は何なのか、という根本的な論議が必要な時である。
◇河上亮一(かわかみりょういち)
1943年生まれ。
東京大学経済学部卒業。
埼玉県川越市立高階中学校教諭、同城南中学校教諭、同初雁中学校教諭、2004年退職。教育改革国民会議委員を歴任。


 
 
 
 
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