1999/01/26 産経新聞夕刊
【教育直言】学級崩壊と“教育改革”の因果
“学級崩壊”や生徒の“暴力”の実態が想像を超えてひどいことが分かるにつれ、ぼう然とし、右往左往している人が多い。
中には学校が“地獄”であり、生徒が毎日苦しんでいるかのように思っている人もいるようだ。ここから学校解体論も主張されるわけだが、それは二つの点で間違っている。
生徒にとって学校は、学習・修業の場であると同時に生活の場でもある。
それが“地獄”だと決めつけるのは、あまりにも生徒をバカにしていることになる。「学校は楽しいですか」というアンケートをとってみるといい。
「はい」という答えが半数を大きくこえる学校がほとんどだろう。私のクラスでも、八〇%を超える生徒が「学校は楽しい」と答えている。
生徒は自ら楽しいこと、おもしろいことを見つけ出して生活している。ドキドキ興奮するようなことに挑戦することだってあるわけだ。学習や修業は辛く苦しいことではあるが、達成し成長していく喜びだってある。
現実を無視した学校たたきも問題だが、実態を必要以上に悪く考え、あきらめてしまうのも間違いである。
学級崩壊や暴力が急速に増えているとはいえ、全国の小中学校を見渡せば、まだまだ少数である。日本の学校は崩壊の方向に大きく踏み出してはいるが、まだよくもっているといってもいい。とくに中学校はそうである。
ただし、問題は日常があっと言う間に崩れてしまう点にあり、そのキッカケもよく分からない。毎日が綱渡りをしているような不安定の中にあるといっていい。
私たちは学級崩壊や暴力の現実を冷静に見るのと同時に、まだよくもっている「楽しい」日常の学校をもよく見る必要がある。崩壊に至る道筋と、崩壊を押し止めている力の両方を見る中で、学校崩壊への対応を考える、ということである。
文部省もやっと重い腰を上げて学級崩壊の実態調査に乗り出すという。結構なことだ。しかし、私は文部省の教育改革が“最も浸透”したのが小学校であり、学級崩壊はその“成果”だと思っている。
願わくば学級崩壊の実態調査が、教育改革との関係で論議されることを期待したい。
“学級崩壊”や“暴力”は単純な原因で起こっているわけではない。
安易な対策を示すのではなく、ここは我慢である。じっくり腰を据えて根本から考え論議することが必要である。
◇河上亮一(かわかみりょういち)
1943年生まれ。
東京大学経済学部卒業。
埼玉県川越市立高階中学校教諭、同城南中学校教諭、同初雁中学校教諭、2004年退職。教育改革国民会議委員を歴任。
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