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2001/02/08 産経新聞朝刊
【正論】千葉商科大学長 加藤寛 基本法改正せずして教育改革できず
 
◆学校の荒廃も基本法に
 教育改革国民会議が最終答申を提出し、森内閣はこれをもって、通常国会を「教育改革国会」とすると宣言した。
 中間答申では教育基本法の改正を慎重であるべきという議論が多かったが、改正すべきであるという意見も根強く、最終答申ではあとで見直すということになった。
 しかし、基本法改正もしないで、どんな改革をやるというのだろうか。基本法は実は、教育勅語を前提にしていたから、これを廃止した以上、基本法は形骸にすぎないことを理解していないのではないか。文部科学省にとっては基本法を温存させておけば、形骸にすぎないから、あとは、文部官僚の意のままに改革できるという安全弁と考えたのかとも邪推したくなる。
 同時に委員の方々は、基本法がいかに歪曲(わいきょく)されて学校教育法に具体化されているかということを知っておられるだろうか。一部の委員の方々は、憲法に基づいて基本法を創ったのだから、憲法改正につながる基本法改正はできないという。
 しかし、現行基本法を温存したままで教育改革ができると思っているのだろうか。もしそうだとしたら、教育基本法を正しく理解していないとしかいいようがない。現状の教育の荒廃の原因は教育基本法に発するともいえる。だから、教育改革への具体的指針を示そうと思うなら、それは基本法を改正しなければならないと考えるのが素直な論理である。
 
◆いい提言も実現不可能
 たとえば、最終答申に、コミュニティ・スクールの提言がある。この提言自体はすばらしい提言だが、基本法を具体化した学校教育法にそれは許されていない。学校設立の自由が認められていないからである。具体的には地区ごとに学校長を公募するのはまことによいことだが、教育基本法には、そのような校長に教育権限はまかされていないのである。基本法を改正しなければ、コミュニティ・スクールは空想にすぎず実現不可能な提言である。
 さらに、奉仕の奨励も、最初は「強制」となっていたものをすべての学生に体験させることをすすめることにとどまったらしい。強制よりもよいことだが、勉強もしたくない、学校にも行きたくない、働きたくもない子供をどうやって奉仕させられるのだろうか。
 「奉仕」を宗教的な精神で「強制」するのはいいが、そんな宗教心を教えていない学校で奉仕の心など出てくるはずがない。いまの学校教育では、修学旅行に行っても鳥居・山門の前で自由解散、参拝自由となっているのだ。そんな学校教育で奉仕の心などできるはずがないではないか。
 いじめ問題、登校拒否が、教育改革の現実だと直視するのは正しい。しかし「ゆとり」とか「多科目受験」とか「総合科目」とかあまりにその対策はおざなりにすぎない。こんな改革案がでてくるのは基本法がしっかりしていないから、文部官僚の勝手な解決策に、国民は踊らされているだけなのである。
 学校に子供たちを惹きつけるには情報教育に大学生をチューターとして参加させたらいい。教師が教えるから子供はついてこない。兄弟の少ない子供たちにとって先輩はよき仲間だから、教師のいうことをきかなくて先輩のいうことはよくきいて勉強する。ところが、こんなことも教職課程制度が邪魔している。教職課程を履修していない学生が子供たちを教えていいのかといわれるのである。
 
◆政・官が泥塗る理想
 教職課程制度は、教員資格を取得するための前提条件で、各大学に設置されているが、どこの大学でも、通りいっぺんの科目履修と、教育実習で単位を認めている。そのための各大学の負担は大きいし、学生も講義などおざなりにしか聴いていないし、実習するときにはその実習先を探すのに苦労している。教師に大切なのはまず教師の人間性であり、教育学や教育史の知識ではない。教職課程など履修しなくても立派な教師になれるのであり、こんなギルド組織(仲間の権益保護のシステム)は不要である。
 さらに、新しい大学や学部を創る時の、教員の資格審査が理不尽である。新しい学問を旧来の学問の専門家が判定できる道理がない。しかもその審査は密室でおこなわれ、結果に異論をはさむことは許されない。江戸時代の「改易」と同じく「上意」なのである。しかも同じ人物がある時は認可され、別な時には否決される例も少なくない。そこには何の客観的基準を決める工夫もなされていない。各大学は否決を恐れて文部科学省の意向を「おうかがい」するだけである。
 不可解なのは、いま問題になっている「ものつくり大学」である。理想はいいが、どんなカリキュラムでそれができるのかよく判らない。こんな大学にKSDがからんで、政・官に圧力をかければ、補助金が七十億円(当初の五十億円を増額)もつくという。これでどうして私立大学なのか。せっかくの理想に政・官が結託して泥をぬったことになる。
 こんな不可解な学校設立を許す学校教育法と教育基本法とはいったい何なのか。これを改革せずして、教育改革など論じられるだろうか。 (かとう かん)
◇加藤 寛(かとう かん)
1926年生まれ。
慶応義塾大学経済学部卒業。
慶応大学経済学部助教授、同教授、総合政策学部学部長を経て現在、千葉商科大学学長。


 
 
 
 
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