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1991/05/24 読売新聞朝刊
[ニューヨークから]教育改革で対照的な日米
江崎玲於奈(寄稿)
 
◆勉強時間、日本は2倍
 もうだいぶ前になるが、娘が通っていたアメリカの高校のオープンハウス(学校参観日)で生物の先生が話した言葉が頭に残る。「私の授業を取る生徒は一日、十五分程度のホームワーク(予習、復習)をしてもらわねばなりません。しかし、もし、一時間も勉強しているとすれば、どこか不都合があるに違いないので、すぐ知らせてほしい」
 これは勉強時間は長いほど良し、とする価値観ではなく、十五歳の子供に即した健全な生活のなかでは、適度の時間を学習にさけばよいという考えである。では実際、子供たちは毎週、何時間ぐらい勉強しているか。表に示した日米比較の調査報告によると、日本の中学、高校生の場合、学校と学外(家庭)の時間を合計すれば約六十時間であるのに対し、アメリカではこの半分、わずか三十時間である。そのうえ、年間の開校日数は日本よりは四、五十日短く、百八十日程度である。これは、アメリカ人の大半が農業に従事し、農繁期には大いに子供たちの手助けを要した前世紀に決められたままであるという。
 いずこも教育制度は時代の進展に後れをとることが多い。もっとも日米では制度の基盤が大きく違っている。米国の学校運営は、それぞれの市町村と州政府が主役を演ずるという地方分権型であるのに対し、わが国は中央集権型である。
 ところで、先月、時を同じくして、わが国では高校教育改革についての中央教育審議会の答申が出されたし、米国では懸案になっていたブッシュ大統領の小、中、高校教育改革議案の骨子が示された。
 この両者の要旨を比べてみると、はなはだ対照的で、文化の違いが浮き彫りにされている。一言でいえば、日本では教え込み過剰、アメリカでは教え込み不足といえる。表でもわかるように、前者では遊ぶ暇を与えないので心の抑圧、人間性にゆがみが生じ、後者では人間はのびのび育つが、何としても学力不足、落ちこぼれを多く出す。
 通常、日本人の多くは「よい成績の子は生まれつき頭がよいから」と決めてしまわないで、「だれでもよく勉強さえすれば、良い成績が取れる」と考えるので、子供の教育には熱心である。アメリカはプラグマティズム(実用主義)の土地柄だけに、子供の学業の成績には親たちは大してこだわらないようであるし、自分の子供が通う学校は良いのだと頭から信ずる傾向が強いので、改革意識が薄いことも問題の一つであろう。
 
◆競争力回復を狙う米
 わが国においては、産業国家日本の繁栄の要因が現在の教育制度にあると信じられている限り、そこに諸問題があるとしても、大した改革は望めそうにない。一方、ブッシュ大統領は日本を意識してか、教育改革によってアメリカ産業の国際競争力と効率を高めようとしている。
 中教審は評価尺度の多元化、複数化を訴えているが、アメリカではむしろ連邦政府により、主要五課目である国語、数学、科学、歴史、地理の成績の一元的評価尺度を導入して、全土の生徒の学力を国際的水準に引き上げようとしている。大統領の提案は、下院議員の選挙区に各一校、計五百余りのモデルスクールを作るとか、政府の助成金を受ける生徒にも、私立校、カトリック教区学校などを選択する自由を与えるとか、優れた先生には相応の報酬を払うなどの刺激策も含んでいる。もっとも財政赤字のおりから最小限の投資でこれらを実施しようとするのであるから、来年の大統領選までにはとても成果が表れそうもない。
 考えてみると、「各人、それぞれ、個性を伸ばし、豊かな人生を送れるような個人人間」を育てるのと、「産業社会に必要な知識を備え、規律正しい、国家、企業のための集団人間」を養成するのでは、当然、教育課程がかなり違ってくる。そこで、教育改革などというが、実はこの両者のバランスをどこに求めるかが、ボトムライン(bottomline、決算表の最終数字の意から)なのである。
 
数字は日米の小、中、高校生が1週間にさまざまの活動に費やす時間数
(ミシガン大学社会研究所調査)
小学生 中学生 高校生
家  事 3 3 3 5 4 5
学校での勉強 38 25 47 29 42 26
学外での勉強 8 2 16 3 19 4
読  書 3 1 3 1 3 2
テ レ ビ 15 16 15 18 18 14
ゲーム・スポーツ 11 15 3 8 1 7
睡  眠 64 68 57 60 53 60
◇江崎玲於奈(えさき れおな)
1925年生まれ。
東京大学理学部卒業。
東京通信工業(現ソニー)、米IBMワトソン中央研究所等を経て、筑波大学学長。現在、芝浦工業大学学長。1973年にノーベル物理学賞受賞。

 
 
 
 
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