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2000/09/03 読売新聞朝刊
[論考2000]教育改革の重要事項
読売新聞社客員・江崎玲於奈(寄稿)◇教育改革国民会議座長
 
◆多様な才能の開花を 「一緒に一生懸命」を超えて
 いかにいい人生を送るか。何に自己実現を図るか。どのように世に貢献するか。われわれはそのガイダンスを学校に求めるのである。言わば、自分に合った人生のブループリントを作るべきノウハウを学校教育を通じて会得するのである。
 現在の日本の学校は、この役割を十分に果たしていないのである。高校を卒業しても自分の人生の設計図が出来上がっていない者が少なくない。フリーターが多いことは、この事実を裏付ける。
 多くの人が農村や製造工場で働き、お決まりのルーチンな仕事が主であった時代には「皆さん一緒に一生懸命働きましょう」という十把一からげの平等主義が通ったのである。ところが、今やIT(情報技術)の時代、多くの仕事は、常に考えながら取り組まなければならなくなった。成果は重視され、各人に「的確な判断と創造的手段」の能力が問われることになった。これまでよりも一層、個人の才能発揮が評価される社会になって来た。このためには、各人が持って生まれた素質や才能をどうすれば最大限生かせるかが中心課題となった。
 IT社会では、ICカードを備えた個人の携帯電話がすべての活動の中心になろうとしている。そこでは、集団(全体)の組織力に頼るよりも、自分(個人)の能力に依存する傾向が強くなり、集団の中に安住するよりも、個人として生きたいという一匹オオカミが多くなっている。この生き方の方が「自分の運命は自分で決める」という民主主義の原則に一致するからであろうが、アメリカにおいてこの傾向は一層顕著である。
 アメリカの一流大学卒業生は、既存の大組織の中での出世を望むよりも、自分の会社を設立、発展させることに自己実現を図ろうとする。ビル・ゲイツなどはその典型であろうが、もっとも、彼は起業精神が旺盛(おうせい)過ぎて大学卒業を待てなかったという経緯がある。
 
◆“米並み”にはあと7兆円
 私はアメリカに長く住んでいたが、アメリカの強さの一つはやはり内容の充実した学校教育にあるように思われる。アメリカは何事も民主導の国であるが、注目したいことは教育に対し、日本よりはるかに多く公財政支出をしている点である。
 アメリカはGDP(国内総生産)に対する初等中等教育への公財政支出の割合は3・5%であるのに対し、日本は、2・8%、高等教育への割合は、アメリカ1・1%であるのに対し、日本はわずか0・4%、両者の差の合計は1・4%になるので、日本のGDPは約五百兆円であるから、アメリカ並みにするには合計七兆円の教育への更なる支出を求めねばならない。ヨーロッパの先進国の教育への公財政投資も大体アメリカ並みである。
 我が国では、私立大学の在学生の割合は全学生の約八割、欧米の先進国に比べて甚だ高いが、これは高等教育の大衆化が他国とは異なり私学主導で行われた結果であり、公財政支出が極めて少ない理由である。親たちの負担になる教育費は、これと逆比例することは言うまでもない。
 もちろん、我が国には輝かしい伝統のもと、優れた教育の実を上げている私学は多いが、学校の経常経費の大部分は授業料に依存するので、「多人数教育」を行わざるを得ない場合が多い。特に近年、教育対象人の急減に伴い多くの私学は厳しい経営環境にさらされ、教育内容の低下も避けられないことは認めねばならない。
 私立大学の独立行政法人化も視野に入れた私学助成も考える必要があろう。ともかく、八割の大学生の教育に携わる私学を除いて、我が国の高等教育の改革は論じられないことは言うまでもない。
 
◆米国 教師にも勉強の機会
 次に、日本より公財政投資の多いアメリカの初等中等教育の一端をのぞいてみよう。アメリカの公立学校制度の特色は、州の管轄のもと、住民からスクール税を取り立て、それを財源に、学区の教育委員会が責任をもって学校を運営していることである。
 実は、去る五月、渡米した機会に私の子供たちが通っていた公立のホーレス・グリーリー高校を訪ねた。ここはニューヨーク市の北約六十キロ、人口約一万七千人のチャパカという町である。ニューヨーク市に通勤している人が多いが、周りと比べても家屋の値段がやや高く、比較的裕福な町ということになっている。町には教育委員会があり、教育長が総予算五十七・七億円(一ドル百円換算)で小、中、高校一貫して運営している。
 ここでは義務教育は何年までなどという議論はない。すべてが高校まで進む。全生徒数は約三千五百人である。
 ちなみに、この高校の名前の由来なのであるが、ホーレス・グリーリーさんは、十九世紀中葉、ニューヨークで活躍した新聞人、アメリカのジャーナリズム史に残る論説は政治に大きな影響を与えたと言われる。最近の話題はニューヨーク州の上院議員選に出馬を決めたヒラリー・クリントン夫人が、一・七億円を投じて家を購入しチャパカに居を定めたことである。
 アメリカでは家に対する固定資産税の約三分の二がスクール税であり、家に対する税率は各市町村によって異なる。親たちが裕福で教育熱心であれば、高いスクール税を容認するので、学校はよくなるという仕組みである。私がこのチャパカの高校を訪問したとき、ちょうど、体育館で学校予算の可否を問う住民投票が行われており、校庭はざわめいていた。
 この税制のおかげで、公立ではあるが、自分たちの学校という観念が強く、学校運営にも住民の関心が高い。九月はじめの学校のオープンハウスには両親そろって出かけるのも、払い込んだスクール税、それは授業料のようなものであるから、それがどう使われているかを見るためでもある。このようにしてアメリカでは公立学校がコミュニティーの結束を固める役割を演じているのである。
 実は私の子供たちのことをよく知っている古参の副校長Bさんを訪ねたのであるが、新任の校長Mさんにも紹介された。彼女の口から出た「本校では先生にも十分勉強してもらう機会を与えているのです」という言葉は印象に残った。勉強に努力する先生によって生徒たちにもやる気を起こさせることが出来るのであろう。また、大体、五十五歳で退職するので先生の平均年齢は三十代の上であるという。日本よりは若い。その秘訣(ひけつ)は手厚い年金にあるという。校長と二人の副校長以外、すべての教員は組合員だそうだが、三十年勤めると現給与の75%の年金がつき、しかもニューヨーク州税が免除されるので実質80%までになるという。ここでは、ほとんどの教員はそれぞれの専門で修士号を持ち、約60%が女性であるという。
 
◆感性を刺激、「自己発見」促す
 「本校は四年制で約千人の生徒がいますが、カウンセラーを含めて約百人の教員がいます」という。十対一の比は私が学長をしていた国立の筑波大学とほぼ同じである。
 すべて生徒二十人前後の「少人数教育」であるとしても、どうして、こんなに多くの教員を必要とするのか、説明を聞いているうちに分かってきた。ここでは高校入試などはなく、町に住む高校年齢の子供全員を受け入れるので多様性を前提とする。だれもが何らかの潜在的才能を持つことを信じ、それを引き出すことに努めるのである。
 学力だけで生徒の価値を決めるわけではないので「落ちこぼれ」という観念は生まれない。学校では、どんな素質の生徒が来ても、興味をそそり、刺激を与えることが出来るように、多岐にわたるコース(科目)が準備されている。まさに教育の機会均等と言える。
 例えば、能力のある生徒のためには、高校時代にコースを取っておけば大学に進学した時、大学の単位として認められる人文、社会、自然科学分野の十七のアドバンストコースが開講されている。約二割の生徒が参加しているというが、これは事実上飛び級に相当するのである。
 一方、さまざまな職業教育のコースも開かれている。自動車修理からはじまり大工や石工、育児や看護、美容や料理、花作りや庭作り、コンピューターのソフトやハード、テレビ作品の制作コースに至るまで多様である。さすがアメリカだけにビジネス関係のコースも経済活動、商法、消費経済、広告など豊富である。さらに、高校に魅力を持たせ、生活に潤いを与えるため、音楽、絵画、彫刻、写真、演劇、ダンス、スポーツなど華やかなコースも大変充実している。サイエンスの体験学習やドライバー教育のコースも人気があるという。私の子供、その友人たちが熱があっても出かけるほど、この高校が好きであったことは事実である。宗教に直接関係するコースは見当たらない。
 このようなバラエティーに富んだ教育環境の中では、様々な知性、感性の刺激が与えられるが、その中で特に自分の心に共鳴するものを見いだしたならば、それが自己発見なのである。各人のすべての特徴は、遺伝情報としてゲノム、DNAの中に刻み込まれているので、自己発見とは、言わば、自分のゲノム解読なのである。
 私は京都にあった旧制の第三高等学校の三年間、数学、理科、語学、文学、哲学、心理学など、幅広い教養教育を受けたが、やはり、私の持って生まれたゲノムが物理学にいささか共感を覚えたので人生の設計図を描くことが出来たと言えるであろう。科学にはさまざまの分野があるが、中でも、自然哲学とも呼ばれた物理学は周到な実験と強固な理論を展開させて、自然の根本に迫るところに感動を覚えたのである。
 「ホーレス・グリーリー高校の生徒の学業成績はどうですか」という質問に対し、校長先生は、本学の卒業生の93%は四年制大学に、2%が短大に進学するのであるが、それでも学業成績は幅広く分布しているという。
 成績評価は通常、A(四)、B(三)、C(二)、D(一)によって示されるが、本校の生徒の約30%がA近傍、40%がB近傍、残りの30%がCとDであるという。
 
◆日本 英才の芽を摘み取る
 ところで、このように、さまざまな能力の生徒に対し、学校はどのように学力達成目標を立てるか、ということが話題になった。私がつかんだ議論の結果を図を使って説明してみよう。
 まず、簡略化して、学力あるいは能力(縦軸)に差のある生徒が十人いるとしよう。そして、トップ一位からボトム十位まで能力順(横軸)に並べる。さて、これらの生徒に対し、四種類の学力達成目標を考えてみよう。
(一)すべてに平等に必要最低レベルの目標設定
(二)すべてに平等に高度な、例えば日本の学習指導要領レベルの目標設定
(三)各人の能力に比例した目標設定
(四)トップグループに対して比例を超えた英才教育的達成目標の設定
 このチャパカの高校では、出来るだけ、ボトムグループには(一)、中間グループには(三)、そしてトップグループには(四)の学力達成目標を設定し、特にトップグループは競争させて学力をつけさせるようにしているという。もっとも、このように、個別的な目標設定は多数の教員を抱えているからこそ出来るのである。
 我が国では(二)の目標設定をしているのでボトムグループに大きな努力を求めることになる。しかし、文部省「学校教育に関する意識調査」による高校授業の生徒の理解度は決して高くない。「よくわかる」、「だいたいわかる」と答えた生徒の合計はわずか37%なのである。これでは学校がいやになる生徒が大半である。この日本方式の決定的欠陥は、トップグループに何も刺激を与えないので、英才の芽を摘み取ってしまうことである。
 最後に「貴校のカウンセラーの活動について話してください」と問いかけた。ここでは十一人のカウンセラーが仕事をしており、その内の一人は博士号を持つ心理学者、二人は精神治療の心得があり、家庭との連絡をとるソーシャルワーカーだという。精神障害や心に深い傷を持つ者に対する心理治療、教室の秩序を乱す生徒に対する補導や教護はかなり行き届いているので、チャパカのスクールシステムの中では「学級崩壊」などは有り得ない。まあ、今のところ問題といえば、麻薬やたばこや銃よりもアルコールのアビューズ(乱用)であるという。
 もちろん、カウンセラーの主なる仕事は、相談に来るおのおのの生徒に自分の潜在能力を発見させ、その能力を最大に発揮するにはどうすればよいか。どの分野に進めばよいか。どの大学を選ぶかなどのガイダンスを与えることである。そもそも、このような学校におけるカウンセリング制度の整備は、何としても「個人」を大事にするという文化の産物ではないであろうか。
 今や、われわれはITの時代、有益なものから、有害なものまで極めて刺激的な大量の情報にさらされ、この影響は感受性の鋭い子供たちがもろに受けているのが現状である。これがプラスになって、大変成長を早める子もいるが、マイナスに働いて、精神障害を起こす子もいる。今までよりも多様性が増してきたのである。日本の教育問題を「全体」として捉(とら)えて、どう改革するかを論ずるだけではなく、それぞれ生い立ちの異なる「個人」の差異に応じて個別化し、多様性にどう対応するかを考えねばならない。カウンセラー制度の導入はその一つの答えである。
 ホーレス・グリーリー高校の廊下には、次のような紙が張ってあった。
 「生徒の皆さん、何か難しいこと、大変困ったことに出合った時には、必ず周りを見渡し、近くにいる先生をつかまえて話し掛けるよう心掛けてください」
◇江崎玲於奈(えさき れおな)
1925年生まれ。
東京大学理学部卒業。
東京通信工業(現ソニー)、米IBMワトソン中央研究所等を経て、筑波大学学長。現在、芝浦工業大学学長。1973年にノーベル物理学賞受賞。

 
 
 
 
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