2000/08/23 毎日新聞夕刊
[特集ワイド1]学問と知 浅田彰・京都大学経済研究所助教授に聞く
◇哲学の問題だった「生命とは何か」ということが現実に判断を迫られる。そういう意味でも、新しい教養が必要です。
◇効率的な基礎詰め込み必要 数学、物理で大きな革命進行
政治・経済の惨状はともかく、知的水準さえ音を立てて崩れていくように見える世紀末の日本にあって、大学に再生の可能性はあるのか、新たな学問と知はどこへ向かうのか。自然科学から人文科学までさまざまな知の領域を自在に横断する浅田彰・京都大経済研究所助教授に聞いた。【井田純、写真も】
――最近指摘される大学生の学力低下をどう見ていますか。
◆現在の教育改革は、暗記式の語学や数学の証明問題をどんどん落とし、会話ごっこや集合論ごっこをやらせる。それで基礎学力を骨抜きにしたかわりに、応用力や創造力が伸びたかというとまったくそんなことはない。その結果がいわゆる学力崩壊だと思います。
学校などというところは、語学なら語彙(ごい)と文法をきっちり暗記させればいい。臨機応変に会話する力とか、創造的に考える力とか、それは個々人が社会生活の中で身につければいい。果ては学校で「生きる力」を育てるなど、傲慢(ごうまん)だと思います。学校ではむしろ基礎知識の詰め込みを効率的にやって、後は個々人の自由な活動の機会を増やしていくべきでしょう。
――学生と接して「学力崩壊」の実感がありますか。
◆たとえば初歩的な英会話の力は上がった。しかし、文章を読み、書く能力は、劇的に落ちている。日本語でもそうなんだから、英語や他の言語では言うまでもない。いわゆる「バイリンギャル」のように、外国人に話しかけられてもブロークン・イングリッシュで答えられるのは悪いことではないけれど、それだけでは困る。
数学の力も同様です。福井謙一さん(日本人初のノーベル化学賞受賞者)が教育課程審議会にいた時は「証明問題はものを考える基礎だ」といって頑張っていたのが、その後「生徒がついてこないからやめてしまえ」となった。そうなると、考える力がつかない。これは、大学生が分数の割り算もできないといってよく話題になる計算力の低下より深刻な問題です。
そもそも、かつては高校を終わった段階で簡単な微分方程式が解け、それを応用して運動方程式を解くと2次曲線になることがわかって、その過程で近代科学の基礎を体得する、という理想があった。古いと言われようが、それには意味があったと思います。そういう基礎的な部分を落とし、かわりに中途半端な集合論なんかを入れているけれど、そんなものはほとんど役に立ちませんからね。
――教育改革は今までのところ失敗だったと。
◆結局、1968年の大学紛争以後、学校批判が妙な形で結実して、文部省が全共闘よりも過激に学校解体を進めてしまった。今の文部省は、「詰め込みはいけない、生きる力が大事だ」などと言っている。それは大昔に日教組が言っていたことですよ。ものすごい倒錯だと思います。
――知の潮流が特に自然科学分野で変わってきた気がしますが。
◆20世紀は物理学に代表されるハードな科学とそれに基づく「重厚長大」型の技術で前進してきた。しかし、最後の四半世紀になって、情報や生命をめぐるソフトな科学と「軽薄短小」な技術に重心が移行してきた。コンピューターで人工知能をつくるとか、遺伝情報を読み解いて遺伝子操作をやるとか、かつてSFでしかなかったことが現実化しつつある。
なかでも「脳」は大きなフロンティアの一つだと思います。脳が行っている情報処理を分析する、また、それを人工的にシミュレートするといったことですね。
――来世紀も情報・生命科学の時代が続きますか。
◆もちろん進んでいくと思いますが、情報と生命については、だいたい方向が見えていて、あとは腕力勝負という感じもする。むしろ、もう一度数学や物理学の領域で大きな革命が起こっているように思います。
20世紀は量子力学の世紀といわれたけれど、ちゃんとした数学的根拠はなかった。それが今、数学が爆発的に進化して、どうやら量子力学を裏付けられる水準に到達しつつある。その意味で、数学と物理学は100年前と似た沸騰状態にあると言っていいでしょう。
また、実験の面でも、電子一個を操作することまで可能になりつつある。そこでも、粒子と見えるものが実は波であるといった量子力学的な効果が、現実的に出てくるわけです。それを使った量子計算機のようなものがすぐにできるとは思いませんが、長期的には世界観を大きく変えるような力をもつでしょうね。
◇パラダイム共有する時代 「多様な交流」で大学再生を
――新しい学問の枠組みが生まれる可能性は。
◆「情報」を核にしたある種の総合は考えられるでしょう。かつては物理系、生命系、精神系と分かれていた、それらを貫く原理としての「情報」ですね。それは、計算機を作ることから始まり、生命情報の分析や操作をへて、脳の情報の分析や操作にまでいたる。そうなると「生命とは何か」「意識とは何か」といった哲学的な問題にもかかわってくるわけです。
実際、脳や人工知能の研究も哲学にかかわってくるし、哲学者もデカルトを読むだけでなく、脳や人工知能の問題を考えざるを得ない。19世紀からのいわゆる理科系と文科系の分裂が「情報」を中心に統合され、工学者から哲学者までが大きな同じパラダイムを共有するようになってきています。
――教育研究の現場ではその方向で知の再編が進んでいますか。
◆今のところうまく行っていないと思います。情報、環境、国際などという言葉を適当に連ねて新学部や新研究科を作る。それが、ほとんど80年代コピーライター文化的な安易さでまかり通っている。「国際情報環境学部」なんていうのがいくらでもありますよ。かつての教養部をつぶし、看板だけ掛けかえたものの、基礎的な教養を解体しただけで、新しい総合的な知が生まれる兆しはほとんどない。
語学や数学などのがっちりしたベースはどうしても必要です。また、新しい意味での総合的な教養も必要です。文部省の教育改革は、教養部をつぶしてわけのわからないものを作ってしまったけれど、むしろ4年制の大学をまるまる教養部にして、それからロー・スクール(法学大学院)やメディカル・スクール(医学大学院)のような専門課程に進むようにしたほうがいいでしょうね。
――新しい哲学・思想の役割は。
◆「情報」を核にした統合で、哲学が一種の媒介役として新しい世界観を提示することもできるかもしれない。しかし同時に、古い意味での哲学、人類の思想的遺産であるテキストを読み継いでいく哲学は残るでしょう。「ソフィーの世界」的に早わかりするより、偉大なテキストに直接触れて、その「わからなさ」がわかることが大切なんです。それはすぐには役に立たない、というか要するに役には立ちませんが(笑い)、哲学というのはそこに意味があるんですよ。
今はポップ化が進んでいて、教科書も早わかりで面白がらせようとしている。しかし、古典と言われるものは、何度読んでもある種の謎(なぞ)が残るし、その意味で面白い。それは文学も芸術も同じです。世界は簡単に説明し切れるようなものではなく、謎に満ちている、従って面白い。そのことを教えてくれる作品が重要なんです。そういう難解な作品は、ほっといたら触れる機会がないんで、それを無理やり与えるのも教育の役割だと思います。
――浅田さんの専門ですが、経済学に求められるものも変化しているのでは。
◆90年代は新古典派経済学の市場万能主義に傾き過ぎた。すべての人が功利的計算だけで動くというのは極端なイデオロギーだし、完全競争市場というのも虚構です。97年のノーベル経済学賞を受けた金融工学のパイオニアたち(ロバート・マートン、マイロン・ショールズ)は、株価を物理現象であるかのように解析する。ところが、彼らが経営にかかわるLTCMというヘッジファンドがその後、破たんしたというのは、皮肉な話です。
その反省もあって、翌年はインド出身のアマーティア・センが受賞した。彼は数理経済学者だけれど、実はインドの伝統思想にも通じている。そして、市場では解決できないグローバルな不平等や貧困の問題を、理論的かつ具体的に考えている。今求められているのは、そうした方向でしょう。
そのためには歴史や哲学の教養も必要になってくる。自然科学でも同様です。臓器移植やクローンが可能になった現在、昔は哲学の問題だった「生命とは何か」「アイデンティティーとは何か」ということが、現実に判断を迫られるような問題になっていますから。そういう意味でも、新しい教養が必要なんです。
――最後に大学「再生」の可能性について。
◆政治家ですら女性が増えているのに、大学はいまだに男性優位です。しかし、優秀な女性研究者も増えてきている。外国人もどんどん増やすべきでしょう。
日本の大学だから日本語を使わなければいけない理由はない。あるいは、10代の教師と70代の学生なんていう組み合わせがあってもいいでしょう。性別、民族、年齢の壁をこえて、多様なコミュニケーションの場になることが、大学には必要です。新しい教養というのも、そのような中からこそ生まれてくるでしょう。
◇浅田 彰(あさだ あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都大学経済学部経済学科卒、同大学院経済学研究科博士課程中退。経済学、社会思想史専攻。
京都大人文科学研究所助手を経て現職。人文科学研究所助手時代の83年、ドゥルーズやガタリらのポスト構造主義を再構成した「構造と力」がベストセラーとなり、ニューアカデミズムの旗手に。その後、思想誌「GS」「批評空間」責任編集など、さまざまなメディアで活動。著書はほかに「逃走論」「映画の世紀末」「20世紀文化の臨界」など。
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