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2000/08/16 産経新聞朝刊
【主張】凶悪少年犯罪 自己責任を厳しく教えよ
 
 大分県の一家六人殺傷事件は、十五歳の高校一年の男子生徒の犯行だった。このところ凶悪な少年犯罪が続発している。愛知県の主婦殺害事件、高速バス乗っ取り事件、岡山県の金属バット殴打事件…いずれも高校生か、同年代の少年による凶行である。この連鎖はただごとではない。
 逮捕された男子生徒は「自分はやっていないのに、ふろ場をのぞいたと言われ」「たまたま倉庫でサバイバルナイフを見つけたので犯行を思いついた」と供述している。さらに「家族全員を殺そうと思い、ナイフで刺したあと、自宅から混合油を持って戻り、火をつけた」という。
 あまりにも身勝手で短絡的な犯行である。しかも、残忍な手口で六人も殺傷したというのに、捜査員に「(これで)高校に行けなくなるのだろうか」と語ったというのだから驚く。
 短絡と衝動、そして罪の意識のなさは最近の少年犯罪に共通してみられるものだ。そこには子供たちの社会に対する“甘え”が色濃く感じられる。
 少年法では刑事事件を起こした場合、十六−十九歳では、家庭裁判所から検察庁に逆送され刑事処分を受けることもある。が、今回のように十六歳未満であれば刑事罰は科せられず、家裁で保護処分となるだけだ。こうしたことを子供たちはよく知っている。
 われわれはかねて刑事罰適用年齢の引き下げを強く主張してきた。低年齢化、凶悪化する少年犯罪に、現行少年法が合わなくなっているからだ。少年法は非行少年の保護と更生を目指したものだが、罪を犯せばそれに見合う罰が与えられる、言い換えれば自己責任を厳しく教えることこそが立法の精神にかなうと考える。
 少年法の改正問題は日弁連や一部マスコミの反対で骨抜きにされたり先送りされてきたが、今こそ真剣に論議しなければならない。
 教育関係者も事件を深刻に受け止める必要がある。
 首相の私的諮問機関・教育改革国民会議のメンバーで作家、曽野綾子さんが、分科会の議論をもとに「日本人へ」と題して呼びかけた中に「教室で道徳を教えるのにためらう必要があろうか」という一節がある。
 「そこでは、肉体的な生と、精神的な生との双方の充足が、人間を満たすことを知らせる。(略)あらゆる失敗は補てんできるが、自ら命を絶ったり、人の命を奪ったりすることだけは、取り返しのつかない行為だということを、改めて教えなければならない」
 少年法改正も道徳教育も、もはやためらっているときではない。


 
 
 
 
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