教育課程審議会で、大学生などの学力低下への危機感が生まれ、ゆとり教育のあり方をめぐって白熱した議論が展開されている。遅すぎた感はあるが、この問題を取り上げた審議会の姿勢を評価したい。
教育課程審議会は十四年度からの完全学校五日制に伴い、小中学校の教科内容の三割減を求める答申を出した文相の諮問機関である。これまでの文部省や中央教育審議会の「ゆとりの中で生きる力の育成」を求める路線を踏襲したものだ。十四年度からの新学習指導要領は、この教育課程審の答申に沿った内容が盛り込まれている。
とりわけ、算数(数学)や理科など理数系科目の削減が著しく、理科離れや算数嫌いが進み、大学生の学力低下にも拍車がかかるのではないか、との懸念が指摘されていた。そうした声が審議会委員の耳に達したのか、従来の「ゆとり路線」を疑問視する意見が次々と出されるようになったという。
この中には、「知識軽視に走ることに危機感をもつ」「よい点を評価することも大切だが、むしろ改善すべき点の克服が必要だ」といった注目すべき発言もかなりある。「教科内容三割減」の既定方針にこだわらず、徹底した議論を行ってほしい。
一方、森喜朗首相の諮問機関「教育改革国民会議」では、学校評価制度の導入が検討されている。児童生徒の学力は、学校や教員の評価と密接な関係にある。英国では学校監査制度により、生徒の学習成果や授業の質、校長の指導力などが厳格に評価され、それが子供の基礎学力向上につながっている。日本も、教育熱心な教員が報われ、意欲的な学校には予算が重点配分されるような評価制度が必要だ。
教育界には、競争を罪悪視し、子供たちの学力に差がついたり、学校間格差が広がることを、必要以上に懸念する声がある。だが、均等な教育の機会を与えられた子供たちが、それぞれの特性や努力に応じて学力に差がつくことは、少しも不公平ではない。それは学校間についてもいえる。
東京都品川区などでは、通学可能な範囲で児童生徒側が学校を選べる学校選択制の試みが始まっている。これも一つの学校評価である。こうした試みが全国に広がり、学校が競いあうようになれば、子供たちの学力もおのずとアップするはずだ。
学校教育に一定のゆとりは必要である。文部省のゆとり路線が、一時期の過度の詰め込み教育や受験競争を緩和した役割は否定できない。だが、今のゆとり路線は行き過ぎの傾向にある。適正な競争はむしろ必要なのだ。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。