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2000/06/27 産経新聞夕刊
【日刊じゅく〜る】1112号 授業時間減が“学ぶゆとり”なくす
 
 大学生の学力低下が問題になっています。学力低下は、国・私立、文・理系を問わず広がっていることが、大学入試センターや大学独自の調査でも、裏付けられています。高校で生物を学んでいない医学部生、物理をやらなかった理学部生、数学の苦手な経済学部生の存在の背景には、大学入試制度や、改定のたびに授業内容や時間数を減らしている学習指導要領の問題があると大学関係者は指摘します。学力低下の実態や原因などをみます。(大塚昌吾)
 
◆日本は米国の二の舞い、米国はすでに克服
◇国立大の半数が実感
 大学入試センターが平成十年に国立大の学部長に行ったアンケートでは半数余りが学力全般について「低下している」「やや低下している」と回答。学力低下がはっきりするのは五割余りが教養的教育段階、七割余りが専門的教育段階としています。
 学力低下が深刻な側面で多いのは「自主的、主体的に課題に取り組む意欲が低い」「論理的に思考し表現する力が弱い」「必要な基礎科目は履修しているが理解が不十分」「外国語の基礎学力が低い」などで、特に理系学生の論理的思考力が落ちているようです。
 学力低下が目立つようになった時期は文系の六割、理系の五割が「センター試験が始まった平成二年以降」と回答。学力低下の背景は「受験学習に偏り、問題解法は知っていても概念理解に欠ける」「高校以前の教育目標の『自主的に考え、表現する能力』が身に付いていない」「進学率上昇、選抜の多様化などで学力が低い学生が入学するようになった」など。
 東大工学部が行った調査では、学生の数学の学力が昭和五十八年から平成六年にかけて大幅に低下。京大が平成十年に教育学部と理学部の一年生に「講義で理解困難と感じた科目はあるか」と聞いたのに対し、各九割、八割の学生が「ある」と回答。理学部は半数以上が理数系科目でした。
 文部省調査(平成十年)では105の大学が高校レベルの補習を行っており、平成八年に比べ倍増していました。
 
◇最“薄・短”
 「分数ができない大学生」の著者で慶応大経済学部の戸瀬信之教授、京都大経済研究所の西村和雄教授らのグループは「先進国やアジア諸国と比べて、日本の子供たちは最も内容の薄い教科書を用いて、最も少ない授業時間で主要科目を学んでいる」として、学習内容を三割削減する新学習指導要領の実施中止を求めています。
 文部省の教育課程審議会では、指導要領改定と学力低下は関係ないという声も出ていますが、戸瀬教授は特に算数・数学、理科の分野で「ゆとり教育が逆に学ぶゆとりを失わせ、学年が進むほど理解に苦しむ構造は加速する。枝葉のない公式の羅列のような教育によって論理力、構成力が養えなくなる」と指摘しています。
 戸瀬教授はまた「日本の現状は一九七〇−八〇年代の米国に似ている」と言います。当時の米国ではやはり個性重視の教育哲学が支配的で、科目選択の拡大などで著しい学力低下が起こりました。その後、国家的に学力向上に取り組んだ結果、大学入学の統一試験SATの数学の平均点が過去二十五年間で最高を記録するまでに回復しました。
 日本では平成十四年度完全移行の新指導要領で小中学校の学習内容が三割削減。西村教授は「数学の学習は繰り返しが必要で、むしろ授業時間数は増やさなくてはいけない。日本の授業は40人の生徒に同じことをやらせて、ちょっと教えたら次に進み、分からない子供もそのまま進んでしまう。真のゆとりの実現には、小人数学級や教科書を詳しくするなど別のやり方があるはず」と指摘します。
 
◇企業活動に影響
 戸瀬教授も「日本の学習指導要領は、できる生徒のレベルを一律に下げている。高校で生物を学ばない医学部生が問題になったが、理系学生が物理をやらないで大学に入る方が深刻。今の学生は大学入学時に高卒レベルに達してないから大学で高校の補習をする。大学院の修士課程で学部レベルの教育をする。学習指導要領によって教育を先延ばししているが、その先の態勢が整っていない。大学では物理を教える態勢になっていない」としたうえで、「米国でも生物の未習者はいるが大学で手厚く時間数をとって勉強できる。指導要領を元に戻せないなら国が大学で基礎教育を行うための予算措置をとるべきだ」と言います。
 学力低下は企業活動にも密接に関係します。京大で、あるメーカーに物理の実験用の機械を特注したものの、注文通りにできなかったことがあるそうです。製造業の基盤にかかわる問題です。
 「経済学部の統計のスペシャリストの数学力が低下すれば、社会や経済の統計が維持できなくなる。金融分野でも金融商品が高度化して文系では対応できなくなり、理系の人材がますます必要になっているのに大学の理系枠は小さい」と戸瀬教授は指摘します。
 
◇技術の断絶も
 高専や工業高校の卒業生のレベルも下がって技術伝承が難しくなり、高度化した工場の機械に故障があっても、構造を全体的に把握し、問題個所を論理的に見つけることができないといわれます。
 戸瀬教授は「日本がロケットを飛ばせないのも当然だ」と言います。東大教養学部の松田良一・助教授も「十年後の日本はどうしようもなくなる。科学技術立国としての道を計画的につぶす方向に進んでいる。理科教育の基盤をしっかりやらないと国力が低下しても浮上できない」と心配します。
 経団連は今年、企業には学生を採用後に教育し直す余裕がないとして、基礎学力の欠けた学生の卒業を認めない制度をつくることを教育改革の提言に盛り込みました。
 大阪工業会も、企業に対する調査を行い、日本のモノづくりの将来に何より重要なのは「若者の理科・数学離れへの対応」を挙げます。同工業界は「世界的な競争の時代において、日本企業の強みがモノづくりにあることを再認識することになる。モノづくりを担うヒトづくりに本腰を入れなければいけない。日本の理工離れの現状は、技術立国の将来に大きな不安だ。社会全体がまだ事の重大性に気付いていない」と警告します。


 
 
 
 
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