小渕恵三首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」(座長・江崎玲於奈元筑波大学長)の委員二十六人が決まり、今月末から会合が始まる。これまでの教育観や学力観にとらわれない自由な論議を期待したい。
現在の中教審は「ゆとりの中で生きる力の育成」を求め、文部省はそれに沿って教育政策を進めている。その背景には、子供たちを詰め込み教育から解放し、ゆとりを与えれば、そこから個性が芽生え、独創性がはぐくまれるという発想がある。昭和五十年代以降、このゆとり路線によって、小中学校の算数(数学)や理科の授業時間が削られ、入試科目も「多様化」「個性化」を名目に削減される傾向にある。
この結果、大学生や大学院生、若い研究者の中で独創的な人材が増えたかというと、必ずしもそうではない。むしろ、大学生の学力低下が深刻な問題になっている。理数系の科目が軽視された分、英会話など語学の授業が充実したように見えるが、単語力や文法の力が落ち込み、原書の読めない大学生が増えているという。
ゆとりをはき違えた教育の結果、日本人の得意分野の能力まで失われようとしているのが現実だ。それは、JCOの臨界事故や相次ぐロケットの打ち上げ失敗など科学技術の「たがの緩み」となって現れている。「ものづくり」に支えられてきた技術立国・日本が危うくなってきているのである。
戦後教育の指針となってきた教育基本法の見直しも、国民会議で取り上げてほしいテーマだ。教育基本法は「人格の完成」「機会均等」など世界共通の普遍的な教育理念をうたっているが、「家族愛」「伝統文化の尊重」といった日本人としてのありようについては、ほとんど触れていない。
「富国有徳」をモットーとする小渕首相は就任当初から、教育基本法の見直しに前向きの姿勢を示してきた。教育問題担当の首相補佐官、町村信孝元文相も「憲法まで議論しようという時に、教育基本法だけ手つかずということはあり得ない」と語っている。小渕首相のリーダーシップや町村氏の手腕も期待される。
日本の未来を担う子供たちが二十一世紀の激動と競争の時代を強くたくましく生き抜いていくためには、活力の回復とアイデンティティーの確立が求められる。国民会議では、このような視点も踏まえた議論を望みたい。
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