石原慎太郎・東京都知事は都立高校の学区制を全廃も含め大幅に緩和する方針を打ち出し、特色ある学校づくりを求めた。学校群制度の導入以来、低迷が続く都立高校を活性化するためのカンフル剤になることを期待したい。
現在、都立高校は十四学区に分かれている。平成六年からは、隣接学区からも受験できるようになり、受験生の選択の幅は広がったが、依然、私学人気に押され、低迷している。石原知事は就任後初めての都議会答弁で、学区制について「全廃したらいい」「中には受験用のガリ勉の学校もいい」とも述べた。石原知事の教育改革の姿勢を支持したい。
第一に、狭い東京を十四学区にも分ける意味は、これだけ交通機関が発達した現在、ほとんど失われている。学区制は本来、地域住民の規模と児童・生徒が通学可能な範囲を考えて設定されたものだ。学区を減らし、一学区の通学範囲を広げるべきだ。
第二に、学区制の緩和は受験生だけでなく、高校間の競争も促すことになる。競争は大学受験だけではない。スポーツや芸術など各学校が特色を出し合って競争し、受験生がその特色に応じて志望校を決めるのが好ましい選抜システムである。
そのためには、校長を中心に各教師が特色ある学校づくりに向けて努力しなければならない。現在、東京には、勤務・休憩時間に関する「東京都方式」と呼ばれる労使間の了解事項があり、先生の午後四時の帰宅が許されている。先生の勤務評定は行われているものの、その結果は人事や給与に反映されていない。このような“ぬるま湯”を改めるべきである。
都立高校が落ち込んだ最大の原因は、美濃部都政がスタートした昭和四十二年に敷かれた学校群制度である。各学区をさらに二−四校ずつの学校群に分け、合格者を均等に振り分ける。その結果、都立高校の学力レベルは急速に低下し、その間げきをぬって私学と塾が台頭した。高い教育費を出して塾や私学に通わせないと、志望大学に進めない状況が生じた。
「結果の平等」を目指した美濃部都政が逆に、不平等を招くという皮肉な結果になったのである。その後、鈴木都政下で、グループ合同選抜制(昭和五十七年)などの入試改革が行われたが、都立の人気は回復していない。
東京都と同じように公立が低迷しているケースは京都府や神奈川県などにもみられる。他の自治体も今回の石原発言を機に、真の「教育の機会均等」を保障するための学区制を含めた入試改革を検討する必要がある。
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