1999/02/28 産経新聞朝刊
【一筆多論】論説委員 石川水穂 学級崩壊を隠す学校側
児童生徒が騒ぎ、授業が成立しない「学級崩壊」。深刻な問題となっているにもかかわらず、ほとんど表面化しない。学級担任は一人で問題を抱え込もうとする。それを校長が知っても、表に出したがらないからだ。
本紙にも、そうした学校側の「秘密主義」を批判する投書が寄せられている。
神奈川県綾瀬市の主婦は「娘の通う小学校での出来事」と題し、こう書いていた。
《新学期を迎え、五年二組は新卒の先生がいらっしゃいました。その直後、学級崩壊は始まってしまったのです。もともとこの学年は入学時から問題の多い学年でした。それでも何とか乗り越えてきたのに、五年になってあっという間の出来事でした》
そのクラスに一人だけ集団生活になじめない子がいた。最初は、その子がいじめられた。次に、その子をかばった学級委員の子がいじめられた。保護者からの訴えもあって、いじめた子があやまった。今度は、その加害者とされた子が仲間はずれにされた。
《もう誰が悪いとか、やった、やられたの問題ではなくなってきたのです。ムカつけば殴る蹴る。気が乗らなければ授業中でも外へ出る…》
《校長先生らは、担任から問題提起がない以上、手は出せないと背を向けました。親が学校の様子を伝えても、「へえ、そんな事があったのですか」との返事。担任の先生に叱咤(しった)激励しても「わかりました」と言うばかり。他の先生は自分のクラスを守るのに手いっぱい。教育委員会へ相談に行っても傍観視されてしまいました》
担任の男性教諭は昨年十一月、病気休暇願を出し、その後、教務主任が担任を代行しているという。
投書は《「臭いものにふた」の学校側の態度が気になります。このまま先生がおやめになってしまうのかも心配です。せめて先生が現状をさらけ出してくださっていたら、学校が担任をサポートしてくださっていたら、と悔やまれます》と結んでいた。
川崎市の主婦の場合、夏休み前、小学校三年の息子が落ち着きをなくし、目つきも悪くなってきた「変化」に気づき、担任の女性教諭に面会を求めた。
《授業中は息子も含めて、多くの子供達が立ち歩き、ケンカをし、席に居る子供達もおしゃべりにふけっている状態。本当に驚きました。訪ねて行って聞かなければ、明かされない。これが学校の実態かと思い知らされました》
夏休みには、学校で生徒としてあるべき姿について親子で話し合った。息子は少しずつ落ち着きを取り戻したが、二学期に入り、また、不安定な状態に戻ってしまったという。
《学校に行けば、やはり、その集団の中で、一人だけ平静を保つことは無理だったようです。…私の方から、学校の様子を聞くために学校を訪れた事は何度かありましたが、担任からは親に何の呼びかけもありませんでした》《「学校に子供を壊される」ような思いまでしている親もいます。学校は選べない、先生も選べない。仕方ない、あきらめるしかない。結局、子供は人質。この閉塞感を持たざるを得ないのが今の学校です》と書いていた。
先月、岡山県で開かれた日教組(日本教職員組合、旧社会党系)の教研集会(教育研究全国集会)でも、「学級崩壊」に論議が集中した。その機関紙、日教組教育新聞はこんな組合員の先生たちの意見を紹介している。
「荒れる子はそれだけエネルギーがあり、卒業後問題なくやっているが、波風立たない子が本当は問題なのではないか」「子どもたちはチャイムが鳴ったら席につく、つまらない話も静かに聞くもの、などを前提とする意識は捨てるべき時代だ」「学級は不動産のようにはじめから確固としたものではなく作り上げ、同時にくずしていくもの」
同時期、滋賀県でも、日教組と対立する全教(全日本教職員組合、共産党系)の教研集会が開かれ、やはり学級崩壊が主要テーマになった。機関紙、新聞全教は《多くの発言は、「荒れ」は子どもたちの人間らしく生きたいことの現れ、その中から願いをうけとめ、発達の課題を探ろうとする試みが交流されました》と書いていた。
こんな先生たちが今日の学級崩壊を招き、それを助長しているのだ−と思った。
日教組も全教も以前は同じ組合に属し、「教師は労働者である」「教師は団結する」とする教師の倫理綱領を掲げながら、子供を人質にとっての勤評(勤務評定)反対闘争などに明け暮れていた。
「先生と生徒は対等」「子供の目線に立って」という教育観は共通している。ともに教員定数を増やす「三十人学級」を主張している。だが、こんな先生を増やしても、学級崩壊はなくなるどころか、拡大するだけだ。
群馬県の小学六年生の女児からは、こんな投書が寄せられた。
《いろんな先生を見てきました。…いわゆる「学級ほうかい」におちいってしまったのはほとんどです。私がさわいでしまうこともあります。もとにもどしてください。それが教師だと思います》
本当は、まじめな日本の子供たちは、先生にしかられるのを待っているのである。
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