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1998/06/04 産経新聞朝刊
【教育再興】(61)広島の教育(1)反「日の丸・君が代」
 
 初夏の緑が目立つ広島市の原爆ドームには、今年も県外から多くの修学旅行生が訪れている。広島県では被爆地としての平和教育の一方で、国旗(日の丸)・国歌(君が代)に反対する教育や子供たちの努力を正当に評価しない教育が行われている。この四月末から五月にかけて、文部省の異例の現地調査を受けた。広島の教育に何が起きているのか。
 広島県東部の福山市は人口約三十八万人、広島市に次ぐ県内第二の都市。瀬戸内海沿岸の交流拠点として栄えた歴史があり、新幹線・福山駅からは福山城が間近に見える。
 福山市内の市立小学校は六十三校、中学校は二十七校。反「日の丸・君が代」色の強い広島県教育界の中でも、際立った反日・反天皇制教育が行われていることで知られる。
 昨春、卒業・入学式の国旗(日の丸)掲揚率は三〇%台、国歌(君が代)斉唱率は〇%。それが今春は、国旗掲揚率だけ一〇〇%にはね上がった(別表参照)。
 昨秋以降、県議会などで福山市の教育の問題点が指摘され、それを受けた改善の結果のように見えた。だが、保護者の有志らが各校長に聞くなどして独自に調査したところ、ほとんどの学校は日の丸を会場の目立たない場所に三脚で掲げた程度だったという。しかも、卒業式の前、子供たちの多くは日の丸が嫌いになるような教育を受けていた。
 例えば、中学校長の一人は卒業式前日のリハーサルで、こう述べている。
 「日の丸を掲げていますが、一部に狭い日の丸意識があることを残念に思います。日の丸については、国民の人権や他国の主権を侵害してきたという観点に立ち、世界の平和とすべての人々の幸福な社会をつくるために使われるよう努力しましょう」
 福山市内で君が代を斉唱した小、中学校は今春もゼロだった。
 
 福山市立加茂中学の佐藤泰典教諭(三六)=社会科=は昨年三月まで勤めた前任の市立城北中時代、国旗・国歌問題を取り上げた授業が「日の丸・君が代を賛美する差別教育にあたる」として、広教組(広島県教職員組合)の組合員らから突き上げられた。
 佐藤教諭はこの四月一日、参院予算委員会で、いじめや対教師暴力など同市内の「荒れる教室」の実態を報告した先生だ。
 城北中は卒業式前に三年生のクラスで「日の丸・君が代」に反対する人権学習を行うことが恒例になっていた。
 学年の担当教諭が作成した人権学習指導案は「反天皇制学習」をうたい、日本の「侵略」や「民族差別」を批判する在日朝鮮人の講演のほか、「消えた日の丸」と題するビデオの上映を予定していた。
 このビデオは平成三年に東京で行われた陸上世界選手権大会で優勝した谷口浩美選手がゴールインする場面から始まり、途中で昭和十一(一九三六)年のベルリン・オリンピックのマラソンで優勝した孫基禎選手の胸の日の丸を消して掲載した東亜日報の新聞写真などが映し出され、最後は在日韓国人少女が「『君が代』歌えません」という題の新聞投書を朗読する場面で終わっている。
 三年のクラス担任だった佐藤教諭はこのビデオを三年生全員に見せることに強く反対した。その結果、教材は各クラス担任の裁量に任された。
 昨年二月十五日の人権学習の授業で、佐藤教諭は「これからみんなは社会の中に出ていくが、社会にはいろんな考え方がある。自分の考え方をしっかり持ってほしい。いろんな資料を見せるが、これは先生の押しつけではない」と元号や日の丸に反対意見があることも教えたうえで、「日の丸・君が代」の由来や日教組が反対闘争からの撤退を決めた新聞記事などのコピーを配った。
 五輪の田村亮子、有森裕子選手らのポスターを見せながら、選手が沿道で振られる日の丸の小旗を見て元気づけられたエピソードも紹介し、日の丸を見たことのない生徒のため、日の丸の旗を黒板に掲示した。
 生徒からは、こんな感想が寄せられた。
 「日の丸は世界の国旗の中でも、ひと目見ただけで日本の国旗と分かるし、ちゃんとした由来もあって、いいなあと思う」
 「日の丸と君が代は大嫌い。日の丸は日本を象徴していない。君が代は歌詞の意味がよく分からない」
 「日の丸や君が代が今までは嫌いだったが、昔から伝えられたいい面もあるんだと勉強になった。これからは、日の丸を見る目も少しは変わると思う」
 さらに、佐藤教諭は三日後の二月十八日の学級活動の時間に「世界の中の日の丸・君が代」(国旗国歌普及会)のビデオを見せた。各国の国旗・国歌を紹介し、国際社会に生きる日本人が、自国の国旗・国歌と同様に他国の国旗・国歌にも敬意を払うことの大切さを教えた教材だ。
 この授業が職員会議などで問題視され、佐藤教諭は連日のように、教職員や校長、市教委などから追及を受ける。
 
■日の丸・君が代の由来
 日の丸の旗印は南北朝時代や戦国時代にも使われたが、国の代表的な旗として使われるようになったのは江戸時代以降といわれる。幕末は日本の船印として使われ、万延元(1860)年、日米修好通商条約批准のため米国に赴いた咸臨丸は日章旗を掲げて太平洋を渡った。明治3年、太政官布告により、船舶に掲げる国旗と定められた。
 君が代の歌詞の原典は和漢朗詠集や古今和歌集にさかのぼる。メロディーは明治初期、イギリス人フェントンの作曲や宮内省式部寮雅楽課の作曲、ドイツ人エッケルトの編曲などを経て、明治13年、吹奏楽総譜として完成した。
 
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