今回の教員養成審の答申は「いつの時代も教員に求められる資質」として、「教育者としての使命感」「子供たちへの愛情」などを挙げた。以前の教師が持っていた「聖職」意識につながる考え方だ。教師は教職員組合が唱える「教育労働者」ではない。これから教師を目指す人たちは「聖職」としての誇りを取り戻してほしい。
戦前、日本の教師は「聖職」として父母や地域社会から尊敬され、子供たちは「三歩下がって、師の影を踏まず」と教えられた。だが、戦後、結成された日本教職員組合(日教組)はその「聖職」の任務と地位を自ら、かなぐり捨てた。昭和二十七年に定めた「教師の倫理綱領」は《教師は労働者である》など十項目から成り、「まえがき」で《人間による人間の搾取を断った平和な社会を求めようとするわれわれ人民の念願は、労働者階級の・・・》と書いている。
その後、子供を人質にとって「勤務評定反対」など組合闘争に明け暮れ、教室では、何でも資本主義のせいにする階級闘争史観、戦前の日本をすべて“悪”とする反日・自虐史観を子供たちに押しつけてきた。
労働者としての権利は主張するが、教師としての義務は果たさない。生徒が悪いことをしても、しかれなくなった。最近のいじめや校内暴力にみられる教育現場の荒廃の責任は日教組にもある。村山政権時代の平成七年、日教組は文部省と「歴史的な和解」を果たし、「日の丸・君が代」反対闘争の棚上げなど柔軟路線を打ち出したが、その後の運動方針を見る限り、「自衛隊」を憲法違反として敵視するなど本質は変わっていない。「教師の倫理綱領」も昭和三十六年の改訂で「搾取」「階級」など過激な言葉が削除されただけで、改められる気配はない。
最近、学校教育の現場にも、ようやく、日教組教育への反省が生まれつつある。近現代史授業の改革を目指す自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝・東大教授)は発足から三年目で会員数七百人を超えた。福岡県で日教組に対抗して生まれた高校教員の組織「新高教組」(今春、福岡教育連盟と改称)は日教組を上回る勢いだ。
日教組の組織率は最盛期(昭和三十三年)の八六・三%に比べ、昨年は三〇・〇%。平成元年に分裂した全日本教職員組合(全教)の組織率(九・六%)と合わせても、四割に満たない。
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