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1997/08/13 産経新聞夕刊
GHQも評価した「修身」 今でも通用する道徳観 /石川水穂(編集委員兼論説委員)
 
 神戸の児童連続殺傷事件を機に、「心の教育」の重要性が改めて求められているが、戦前、それを支えていたのは「修身」という教科だった。「修身」を頭から軍国主義・超国家主義教育の象徴と決めつける学者・文化人には反発を招くかもしれないが、その教科書を改めて読み直すと、今でも通用する道徳観がふんだんに盛り込まれている。
 例えば、昭和八年から十五年まで使われた第四期国定修身教科書の巻一(尋常小学校一年用)は目次で「過ちを隠すな」「うそを言うな」「思いやり」「親を大切に」など基本的な徳目を示し、本文で各徳目にふさわしい具体的な話を紹介している。「過ちを隠すな」では《とらきちの投げたマリがそれて、お隣のしょうじを破りました。とらきちは悪いと思って、謝りにいきました》、「思いやり」については《子供が大勢集まっています。目の見えない子供もいます。手を引いてあげたり、物を取ってあげたりして、みんな一緒に、楽しく遊んでいます》という話が載っている。
 学年が進むと、二宮金次郎、上杉鷹山、本居宣長、毛利元就、新井白石、吉田松陰、中江藤樹、ジェンナー、ソクラテス、ナイチンゲールといった内外の偉人が次々と登場し、それぞれの伝記が簡潔に紹介されている。例えば、二宮金次郎については、貧乏な家に生まれた金次郎が父母の仕事を手伝いながら勉学に励んだ話を聞かせ、「孝行」「勤労」「学問」の大切さを教える構成になっている。
 「国旗(日の丸)」「国歌(君が代)」についても《外国の人も自分の国の国旗を大切にします。私たちは外国の国旗にも、礼儀を失わないように心がけましょう》《外国の国歌が奏せられるときにも、立って姿勢を正しくして聞くのが礼儀です》というくだりを忘れていない。
 日清戦争で死んでもラッパを離さなかった木口小平(きぐち・こへい)の話などもあるが、全体として、今でも世界に通用する「ためになる話」が多い。
 だが、昭和十六年から使われた第五期の教科書には、真珠湾攻撃に参加した特別攻撃隊や加藤隼戦闘隊を率いて戦死した加藤建夫少将の話などが登場、戦時教材としての性格が強まる。
 
 実は、GHQ(連合国軍総司令部)も当初、第四期までの修身教科書を肯定的に評価していたという研究がある。
 高橋史朗・明星大教授や貝塚茂樹・国立教育研究所研究員らの調査によると、米国では、終戦前から、日本占領を想定した教育政策に関する研究が行われ、CATS(シカゴ大学民事要員訓練所)は一九四五年(昭和二十年)一月に第四期修身教科書の分析を終えていた。分析にあたったロッカード大佐とエアレット大尉の二人はその教科書を(1)子供の望ましい行動様式に関する説話(2)天皇制に関する説話(3)社会や国家に関する説話−の三分野に分け、それぞれ「占領軍に不利な効果を及ぼさない」「占領軍の安全と成功を脅かすものではない」「米国の小学校の教材と大差ない」という結論を出していた。
 また、CASA(カリフォルニア州モンテレイ民事要員訓練所)では、戦後、CIE(民間情報教育局)の教育班長を務めるホール中佐が分析を担当、昭和期の軍国主義への傾斜を問題視しながらも、「修身」そのものまで廃止するという結論は出していなかった。
 ホール中佐は占領後も修身教科書の分析を続け、第五期の教科書については顕著な軍国主義・超国家主義的傾向を認めたものの、修身科という教科の停止には否定的だった。しかし、マッカーサーを中心とする総司令部は分析結果にかかわらず、「修身」の停止を強く求め、昭和二十年十一月、CIEのダイク局長はホール中佐を解任、同年十二月三十一日、修身・国史・地理の三教科停止指令を出した。
 これが、高橋教授や貝塚氏らが調べ上げた「修身停止指令」の真相だった。
 
 ホール中佐は後に自著で《連合軍の公式見解は修身のすべての教授を即座に停止することを求めていた。しかし、修身教科書の詳細な分析は、問題となっている教科書が相対的に無害であることを示しており、全体に及ぶ禁止は適切なものではなく、もしそのような措置が実施されれば、「思想統制」と「焚書」を根拠とする深刻な非難にさらされるだろう》と書いた。
 昭和三十三年、「修身」に代わって「道徳の時間」が特設されたが、日本教職員組合(日教組)の反対闘争の標的にされた。
 当時、文部省側に立って校長や指導主事の指導にあたった日本道徳教育学会会長の勝部真長(かつべ・みたけ)お茶の水女子大名誉教授(八一)は同年九月、東京都内で行われた道徳教育指導者中央講習会を振り返り、「最初はお茶の水女子大講堂(神田)を会場に予定していたが、日教組がピケを張って入場を阻止することが予想されたため、会場を東京国立博物館(上野)に変更し、日教組の裏をかいた」と語った。東京国立博物館にもまもなく日教組の教師と支援学生が押しかけ、機動隊に守られながら講習会を行ったという。
 その後も、道徳教育をめぐる論議は常に政治問題化し、教育問題としてまじめに論議されることはなかった。神戸の事件を機に、「修身」の教科書をもう一度ひもとき、そこから戦後教育が失ったものを謙虚に学び、「心の教育」に生かすのも一つの方法だろう。(いしかわ・みずほ)


 
 
 
 
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