2003/12/27 読売新聞朝刊
[社説]指導要領改訂 誤った教育観が混乱を招いた
混乱の背景には、誤った教育観がある。そのことを見過ごしてはならない。
文部科学省が小中高校の学習指導要領を一部改訂した。授業で教える範囲を制限する「歯止め規定」は残すが、指導要領を超えた内容も教えることを認めた。総合的学習では教科との関連付けを求めた。
子供たちの学力低下を受けての改訂である。改訂の趣旨を踏まえ、学校は、質の高い教育に取り組む必要がある。
改訂は、「ゆとり」「個性化」などをキーワードに進められてきた教育路線の方向転換でもある。何が間違っていたのか、明確にすることが必要だ。それなしでは、また同じ過ちを繰り返すことにもなりかねない。
「指導より支援を」が数年前まで、多くの学校のスローガンだった。子供の自発的な学習を尊重し、教師による教え込みを極力排除しようとする考え方に基づいている。「子供中心主義」と呼ばれる教育観が、背景にあった。
子供の関心に基づく学習は大切だ。だが、どんな力を子供につけるのか、教師が明確な目標と指導方針を持っていなければ、「支援」は、子供に迎合した安易な授業となってしまう。
「教えることは大人の価値観を注入することになる。子供が自ら考えることが大切」と語られもした。そうした考え方は、道徳教育などへの反対にも結びつきイデオロギー的な色彩も帯びていた。
読売新聞は二〇〇〇年十一月の教育改革提言で、「人間とは、教育されなくてはならない唯一の被造物である」とのカントの言葉を引き、子供にはしっかりした指導が必要だと訴えた。
子供は教育と社会的訓練を受けて初めて「人間」になる。そうした道筋のない教育は放縦に結びつく。学力問題の背景には、誤った教育観もあるとの認識からの提言だった。
学力低下批判を受け、学校では今、ドリル学習が盛んになっている。タブー視されていた習熟度別学習や自治体による学力調査も実施されるようになった。
歓迎すべきことだが、形だけの取り組みでは、また流行に流されるだけになりかねない。教師一人ひとりが自分の教育観を見直し、「教える」ことに自信と誇りを持つことが重要だ。
今、脳科学の立場から、小学校では基礎、基本を中心にする授業が望ましいとの指摘がされている。文化審議会国語分科会が、小学校の国語の授業時間を大幅に増やすことを提言もしている。
検討を続け、必要なら、教科構成や授業時間の変更もためらうべきでない。
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