2002/11/15 読売新聞朝刊
[社説]教育基本法 改正を「再生」への一歩としたい
戦後教育の転換点となりうるかどうか。
文部科学相の諮問機関である中教審が、教育基本法改正案の中間報告を答申した。
戦後、タブー視されることの多かった、愛国心や伝統の尊重、家族の役割重視などを打ち出しているのが、最大の特徴だ。日本人のアイデンティティー形成を意識したものと言っていい。
基本的に、賛成できる方向だ。
GHQ(連合国軍総司令部)の干渉を受けながら一九四七年に制定された基本法は、「個人の尊厳」「人格の完成」をうたっている。その一方、個人と国家、伝統などとの結びつきは、意図的にあいまいにされた。
戦前の教育が、偏狭なナショナリズムを生んだとの見方に基づく。
だが、国や伝統とのつながりを排除したことによって、失ったものは大きかった。よりどころがなくなったことで、基本法に掲げられた理想すら、実現にはほど遠いのが現状だ。
個人を超えたものが存在することを知らないままでは、子供が自らを律し、目的を持って生きていくことは難しい。
他の先進諸国に比べ、日本の子供は規範意識や社会に貢献する気持ちに乏しいとの調査結果もある。これも、教育理念の空洞化と無関係ではあり得ない。
保護者の大多数が基本法の内容すら知らないという調査結果は、基本法が定着していないことを示している。
愛国心や伝統の尊重、家族の重視などは、国による価値観の押しつけだとする反対意見も、依然根強い。
しかし、社会が目指す方向性を国が示すことは必要だ。それを否定すると、今の基本法すら成り立たなくなる。
個人の自発性は尊重しなければならないが、現状ではそれが放縦に流れる傾向が目立つからなおさらだ。
「教育は個人のため」と主張し、個人と公とのつながりを否定するのが、反対論者の主張だ。しかし、それは、事の半面しか見ていないものである。
教育の理念と方法を示す教育基本法制定の動きは、近年の先進諸国に共通のものだ。国家戦略としての教育指針は国際競争に勝ち抜くためにも不可欠、との観点に立ったものである。
新たな教育指針の構築は、過去の“失敗”の総括が前提だ。
その点で、中間報告には不満も残る。今の基本法に新たな条項を付け加えるだけで、戦後教育のゆがみを、真正面から見据えていない。本来なら、基本法全体を根本的に見直すほどの姿勢が必要なはずである。
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