2002/09/25 読売新聞朝刊
[社説]教育基本法 新理念の前に「総括」が必要だ
根っこがぐらついたままでは枝や葉も茂らない。大本に踏み込んだ論議が必要だ。
文部科学相の諮問機関、中教審が行っている教育基本法の見直し論議が迷走している。
同法改正と教育振興基本計画策定について、昨年秋から論議を始め、年内の中間報告を経て、答申する予定だ。
最終段階に入りつつあるのに、何をどう改めるか、論議は拡散している。具体的な改正案を詰め切れるかどうか、極めて微妙な状況だ。
意見を集約し切れないのは、現行法の成立過程や果たしてきた役割など、根本的な問題の検証を避けているからだ。
一九四七年に公布された同法は、比較的、日本側の自主的な審議によって策定されたとされる。だが、重要な部分で、GHQ(連合国軍総司令部)の干渉を受けている。
日本側の原案にあった「伝統を尊重して」はGHQの指示で削除され、「宗教的情操の涵養(かんよう)」も書き換えとなった。
現行基本法に、伝統、宗教などに関する条項がなかったり、記述が乏しかったりするのは、占領教育政策の結果であるとの認識が必要だ。
歴史的に見れば、基本法がイデオロギー闘争の材料となってきた面もある。同法一〇条は、教育が「不当な支配」に服することなく行われなければならないとしている。それが、教科書検定などをめぐる国の教育行政を、日教組などが「介入」として否定する根拠とされた。
中教審への諮問に当たり、遠山文科相は、現行法の理念の維持を前提に、不足しているものは何かを論議することを求めた。だが、不足しているものを指摘するにせよ、これまでの総括がなければ、真に、自主的で時代に合った理念は示せないはずだ。
今回、中教審の専門部会は、現代の教育課題についての報告案をまとめた。法改正にあたっての考え方を示したものだが、グローバル化の進展などについて多くのことが書かれているものの、羅列的に過ぎ、物足りない。
保護者などから、「基本法をいじっても、いじめや不登校などの解決には結びつかない」との声も聞こえる。
そのことは、基本法がこれまで、イデオロギー闘争の材料ではあっても、様々な教育課題に対する指針の裏付けとなる理念的な基盤とはなりえていなかったことを示している。
教育の基盤を示す新しい理念の提示を求めたい。
そのためには、同法のこれまでについての真剣な総括が必要だ。
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