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2000/04/24 読売新聞朝刊
2年後の新学習指導要領 「3割削減」こう変わる 学力低下、危ぶむ声も
 
 「3割削減」は英断か、それとも“暴挙”か――。子どもたちの「生きる力」の育成を目指す新学習指導要領の実施が2年後に迫り、教科書作りは今がヤマ場だ。ところが、教科内容が「厳選」されたことを巡り、激しい議論が巻き起こっている。「総合的な学習の時間」の創設など、わかる授業、楽しい学校が強調される一方、教科の学習内容は一気に3割も減る。これに対し、「基礎学力が低下する」「学びたい子が学べない」など、懸念の声が理数系の専門家や教育関係者から上がっているのだ。文部省の反論やいかに。
 
■消える台形公式
 算数 小学五年生では、図形の面積のうち「(上底+下底)×高さ÷2」でおなじみの、台形の公式が消える。
 算数教育の専門家らからは、「台形の面積は三角形や平行四辺形の学習を応用する喜びを見つける絶好の材料。解き方はいくつもあるが、最後は公式に帰結するというダイナミックさを味わえなくなる」といった批判が聞かれる。
 文部省も「台形はとても大事。だからこそ公式をただ覚えて過程を考えないのはやめようという趣旨。習ったことを総動員すればできますから、面積を求める問題を出すなとは言わない」と説明する。
 算数ではこのほか「四年生で三けた同士のかけ算を扱わないのは大問題」「筆算する場合、円周率を『3・14』ではなく『3』で計算するのは乱暴過ぎる」など、新要領批判がかまびすしい。
 しかし、同省の教科調査官(算数担当)は「数量、図形の意味や学習の楽しさを分からせるのに不可欠な要素は一切削られていない」と断言、「三けた同士のかけ算は二けた同士が分かれば出来る。共通に学ぶ内容としては必要ない」などと、個々に反論を用意している。
 科学技術分野の専門家を育てるという視点で見ればどうか。元日本数学会理事長の浪川幸彦・名古屋大教授は「新要領は骨格だけで肉も顔もない。算数が面白いという喜びに達するには遠い」と嘆く。
 同省は、これに対しても、「厳選はしたが、中高で選択の幅を広げており、小学生で理数系に興味関心を持てばどんどん伸びていける。算数能力が激しく落ちることもない」と、自信たっぷりだ。
 
■「人体の仕組み」も
 理科 「これ以上減らすのは難しい。私は理科の専門家なので悲しくないわけではないが、問題解決能力を養うためです」
 担当の教科調査官がそう話すほど、内容がぎりぎりまで削られた。前の指導要領で盛り込まれ、「性教育元年」などと言われた「人体の仕組み」も削除された。「三年から六年まであったのに全部なくなった。科学的な性教育という観点は大事だと思うのだが」と、理科の教師らで組織する科学教育研究協議会の小佐野正樹委員長(公立小教師)はいう。
 文部省は、「見通しを持って取り組む観察実験を大事にした結果。人体は観察、実験しにくく、調べ学習くらいしかできない。中学の保健体育で扱う」と話す。
 だが、遠西昭壽・愛知教育大教授はこう指摘する。「問題解決能力には知識が密接にかかわるが、文部省はそれを軽視している。科学者は過ちを犯すもので、それを監視するには一般国民が新聞の科学記事を理解できる程度の力が必要。新要領ではそれは無理です」
 
■漢字は「読み」優先
 国語 「雨」は一年、「愛」は四年と、指導要領は各学年ごとに学ぶ漢字を決めている。新要領では、それを「読める」よう指導するのは変わらないが、「書く」方は、その学年だけでなく、例えば三年で習う漢字は四年までに確実に書けるようにすると改めた。だがこれは、現場の先生に「書くのは後回し」と受け取られる可能性がある。
 「日記を書いてこない。作文は原稿用紙を半分埋めるのが精一杯。高学年でもこんな状況が目立つ。ますます子どもが文章から離れていくことにならないか」。ベテランの小学校教師がそう心配する。
 小学校の教師を長く務めた教育コンサルタント・岸本裕史さんも「読み書きを分けて論ずることは出来ない。漢字の細かな違いに気をつけ、部首や作りを組み立てながら書くことで、漢字がきちんと認識できる」と指摘する。
 国語の教科調査官は「漢字の読み書きを一緒に教えることに変わりない。じっくり二年かけるという趣旨だ」と強調。「これまでは書き方を全部暗記させる傾向が強かった。そんな指導から脱却し、常に辞書を机に置いて意味をつかむという形に変えたいのです」と説明するのだが……。
 
◆「多くの内容、後で学ぶ」 文部省
 「『生きる力』なんて、単なるレトリック(言葉の飾り立て)。問題解決能力・体験重視というが、英米ではその結果が学力低下で終わった。あえて詰め込みは大事だといいたい」
 「分数ができない大学生」などの共著がある戸瀬信之・慶応大教授はいう。新要領を実施しないよう署名運動を始めたほどだ。
 「アジアで一番勉強しない国になる」と断言するのは中学受験専門の学習塾「日能研」(本部・横浜)の高木幹夫代表。「大学進学を前提としないという方向は画期的とも言える。だが国際競争力を身につけるというベクトルからは完全に外れた。最低限を教えればその先は興味と関心で大丈夫というのは無責任」
 浪川幸彦・名大教授も「文部省は『要領から発展して教えるのは構わない』というが、教科書には最小限しか載らず、発展する保証はない。理念はいい。だが教師が対応してくれるのか」と心配する。
 
 こうした声に、文部省の寺脇研・政策課長は、「新要領は全員が共通して勉強しなければならない『ミニマム・スタンダード』だ。もっと学びたい子は、興味や関心に応じて通常の授業や総合的な学習を通じて学ぶこともできる」と話す。さらに、「学力最優先でやってきたことが、いじめや自殺などの問題を生んだのではないか。学力低下より子供の心がむしばまれるほうが心配であり、現状にノーと言うところから(改革が)始まったことを忘れて欲しくない」と強調する。
 その上で、「『三割削減』というより、『三割減速』という言い方がふさわしい。多くの内容は後で学ぶのだから。いたずらに保護者の不安をあおって欲しくない」と注文をつける。
 
 何をどう教えるかは現場の教師にゆだねられた部分が大きい。だが、忙しい先生たちが要領の理念を理解し、さらに教科書に頼らない授業を実践できるのか、不安も残る。
 同省にも「総合的学習に目が行くあまり、各教科がおろそかになりかねない」との危機感があるため、全教員に新要領の趣旨を訴えるパンフレットを配るなど、徹底を図っている。
 〈学習指導要領とは〉
 指導要領は、小、中、高のカリキュラムの基準として国が定める教育内容で、約10年ごとに改訂される。国、公、私立を問わず拘束力があり、教科書はこれに沿って作られる。
 今回の改訂の基本的な狙いは「ゆとりの中で子どもたちの『生きる力』を育成する」こと。「自ら学び、自ら考える力の育成」「基礎・基本の確実な定着と個性を生かす教育の充実」など4つの方針が示された。5日制の完全実施に伴い、授業時間が削減され、学習内容は3割程度減る。
 文部省は、「時間削減以上に教育内容が厳選され、ゆとりが生じる」として、新要領の内容は授業時間の8割で教えることができ、残り2割で基礎を繰り返し学習したり、発展した学習をしたりできる、という計算をしている。

 
 
 
 
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