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1999/05/30 読売新聞朝刊
[社説]「学力低下」大学に責任はないか
 
 大学生の学力低下が問題になっている。国立大学全学部を対象にした調査でも、八割の学部長が「学力低下がある」と回答した。どこに問題があるのだろうか。
 大学入試センターが先日発表した調査結果では、国立大九十五大学のすべてに最低一人は学力低下が問題と答えた学部長がいた。その数は全三百六十二学部長のうち二百八十一学部長に上る。
 「低下が問題」と答えた学部のうち三割では「補習授業」を実施している。この調査とは別だが、私立大などでは、一般教育科目の廃止と入れ替えに、事実上の補習を基礎科目として正規授業にしてしまった大学も少なくない。
 英語が読めないのはもちろん、日本語テキストも十分読めないため音読させて指導している大学もあるという。「もはや大学教育とは呼べない」などと自ちょう気味に語る関係者も多い。
 深刻化する学力低下問題を考えるには二つの視点が必要だ。その一つは大学生の多様化という現実だ。
 文部省の試算では、十年後には大学・短大の志願者と定員が同数になり、志願者全員が入学できる「全入時代」が到来する。その兆しは既に顕著で、日本私立短期大学協会によると、この春には三割を超える私立短大で定員割れが生じている。
 希望者全員がどこかの大学に進むことになれば、ひと口に大学生といっても、その能力や興味、関心には大きな開きが出てくる。そうした現実を受け入れた上で、学生の実態に応じた教育を工夫しなければならない大学が出てくるのは当然だ。
 どんな能力を、どこまで要求するのか。どんな付加価値を付けて社会に送り出すのか。そういう視点で各大学は教育内容を点検し、再構築する必要があろう。
 もう一つの問題は、希望者が集中し、厳しい選抜が行われている大学でも学力低下が問題になっている点だ。放置すれば科学技術などで日本が国際的に後れをとりかねない、より本質的な問題と言える。
 こうした大学で言う「学力低下」の実態は先述のケースとは趣が異なる。入試センターの調査では「問題の解き方は知っていても概念理解に欠ける」「自主的に考え、表現する能力が身についていない」などが問題とされている。
 これは時代の共通認識でもある。小中高校の学習指導要領も同じ危機感から既に改訂された。一律に知識を押し付ける教育から能力に応じて個性豊かな人材を育てる教育へと転換を急がなければならない。
 ただ、これは高校までの教育だけに任せておいていい問題ではない。転換期にあるとすれば、大学もまた新たな学力観にもとづく教育改革の一翼を担うのは当然だ。
 「大学入試が変わらなければ日本の教育は変わらない」との説には、良くも悪くも一面の真理がある。大学は「概念理解」を問い、自主的に考える力やそれを表現する力を試す方向に入試を変えるべきだ。入試を通じて高校までの教育に注文を出せば、改革は一気に進む可能性もある。

 
 
 
 
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