1999/06/10 読売新聞朝刊
[社説]塾の隆盛が迫る学校の改革
文部省が初めて学習塾を「認知」した。全国の小中学校を合わせた数より多くなっている現状を見れば、塾を抜きに教育を語ることはもはやできない。ともにあるべき姿を追求する出発点としたい。
全国の塾の数は五万近いとされている。約三万五千の小中学校をはるかに上回る。塾通いは小学生で二割強、中学生は六割近くに達し、子どもたちが学校から帰ったあと、もう一つの教育の場に通うのは、今やありふれた光景になっている。
塾には大ざっぱに言って二つのタイプがある。学校の勉強を補う補習塾と、私立中学などの入試突破を目的とする進学塾だ。中小規模の補習塾が大半を占め、いわゆる進学塾は数パーセントにとどまるという。
生涯学習審議会の九日の答申が、学校教育を補完するものとして位置づけたのは補習塾の一部と言っていい。キャンプなどの体験教育や科学の実験を取り入れたり、友だちづくりや人間形成に力を入れている塾があるのだそうだ。
塾を一律に「悪者」ととらえないで、こうした面に着目した答申は評価したい。答申が言うように、学校五日制などで学校外の教育の比重が増せば、勉強に偏らない塾と協力することは意義があろう。
一方、進学塾については、答申は厳しい姿勢を崩していない。確かに、小学生が弁当を抱えて塾に行き、深夜まで受験勉強するというのは、常識的に考えて心身の発達に影響がないとは言えない。
答申は午後七時までには塾から帰すよう父母や塾関係者に求めた。PTAと塾関係者でそれが守られるよう意見交換する場を設けることも提言している。地域社会がギスギスしてはならないが、ゆがんだ実態を考え直す場や機会はあってもいい。
ただ、こうした対症療法のほか、学習塾へのニーズが厳然としてあるという事実にも目を向ける必要がある。そこには学校の現状がそっくり反映しているからだ。
補習塾の関係者によれば、最近は「教室が騒がしくて授業が分からない」と、やってくる子どももいるという。「私たちは学校では味わえない、分かる喜びを教えるために懸命の努力をしている」との声はそのまま鋭い学校批判でもある。
進学塾に関しても、小学校が進学指導を一切しないので、塾に頼る結果になっているという指摘がある。私立中の入試問題の中には、自由な発想や総合力を見る問題もあるが、それを解く力が学校ではつかないことにも思いをいたす必要がある。
個に応じ、能力に応じた指導を、というのがこのところの教育改革の方向だ。教育内容を減らし、学校生活にゆとりを持たせるようにしたのもそのためだった。
しかし、実際には、授業が分からない子どもが学校からはみ出し、その授業では飽き足らない子どもがやはり学校からはみ出している。塾の隆盛がそのことを痛烈に示していると言えよう。
塾の現状を見据えることは、学校の現状を見直すことだ。塾の認知がそのきっかけにならなければならない。
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