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1997/08/15 読売新聞朝刊
[社説]六・三制50年の歩みに学ぶもの
 
 日本が敗戦を迎えた五十二年前、学校の多くは、ほとんど「学校」の体をなしていなかった。都会の児童たちは、戦火を逃れるために地方に集団疎開させられた。その数は約四十五万人にも及ぶ。
 中学(旧制)以上の学校は、「決戦教育措置要綱」の閣議決定などに基づいて、授業は停止され、生徒たちは軍需工場で働いたり、食糧増産に駆り出された。
 日本中が、ひもじさに耐えてもいた。敗戦翌年の一九四六年五月に東京都教育局が実施した児童の食事調査によると、一日三食のうち、お米のご飯をまったく食べていない者が、四二・九%もいた。
 
◆命をつないだ代用食の時代
 口にするのは、イモやヒエ、アワなどいわゆる「代用食」だった。都会地では、多くの親が買い出しに走り、ひたすら子供に食べさせることに心を砕いていた。
 学校では、軍国主義的な記述を消すために、教科書に墨を塗る作業に追われた。
 そうした混乱の中、新しい教育制度が模索され、四七年四月一日から「六・三制」がスタートする。学校教育法が、その前日の三月三十一日に公布されるというあわただしさの中だった。
 その六・三制が発足してから、今年は五十年の節目に当たる。五十二回目の終戦記念日に際して、これまでの教育で、私たちが手にしたものは何か、逆に失ったものは何か、について考えることは、十分意味のあることだと思う。
 それは同時に、親や社会の教育観・子育て観の問い直しにもなるはずである。
 戦後教育の基礎は、四六年に来日した米国教育使節団の報告に基づく。ただ、義務教育年限の延長は、戦前から模索していた日本側の意にも沿うものだった。
 六・三制の骨子は、小学校を卒業した全員に中学の門戸を開いたことと、教育の機会均等をベースにしたことにある。
 さらにその上に、だれでも挑戦できる高校をつなげたから、複雑でかつ袋小路の多かった戦前の学校制度に比べて、きわめて開放性の高いシステムとなった。
 ただ「新制」中学だから、どの自治体も校舎の確保に悩んだ。国庫補助が中止された四九年には、全国で四人の市町村長が資金の捻出(ねんしゅつ)に行き詰まって自殺している。
 
◆形式的に流れた「平等」
 単線型の学校システムは、若者の上昇志向と進学意欲を刺激し、競争の参加者を増やすことにつながった。
 それは、戦後の経済成長を促し、生活水準の飛躍的な向上に貢献すると同時に、高学歴社会を形成した。
 五〇年に四二・五%だった高校進学率は七〇年代半ばに九〇%の大台に乗り、現在の九六・八%に至っている。大学も大衆化の時代に入りつつある。
 反面、受験競争の過熱という「負」の側面にも直面させられた。それは「客観的で公平な」偏差値という物差しだった。知識の量で測る成績が「人の品定め」の道具になり、学校や教育内容がますます画一的になるという図式を生んだ感がある。
 
◆豊かな人間性をどう培うか
 そうした横並びの競争が、子供たちを息苦しくさせ、ゆとりを奪い、一人ひとりの個性的な面を殺してきたのではないか。本来大切な「平等」の概念が、いつしか形式的に流れた面があることは否めない。
 かつて、村長の自殺者を出してまで整えられた学校に背を向ける登校拒否が増え続けている。何という皮肉だろう。
 先進国に追いつけ・追い越せの時代には有効だった学校システムの耐用年限は、すでに切れていると言っていい。
 戦後の日本は、人間性の教育にあまり力を入れてこなかったという側面もある。言い換えれば、「時代を超えて変わらない不易の価値」の教育のことである。
 五八年から、小中学校に「道徳」の時間が特設されたが、いまだに上すべりの感を免れない。六六年に中央教育審議会が打ち出した「期待される人間像」も、世間の猛反発にあって棚上げされている。
 自由や個性を大切にするとともに、社会規範を培うことをうたった答申に対する拒絶反応は、戦中の国家主義的な教育に戻りたくないという心理からだろう。
 しかし、人間は一人で生きていける存在ではない。社会の中で他人とかかわりながら生きていくものだ。従って、一定のルールを守ることが要求される。それが、自己抑制力や他人への思いやり、正義感など、豊かな人間性につながっていく。
 戦後教育を大づかみに振り返ると、文部省と日教組の不毛の対立と、受験競争の中で、社会性や公共心が十分身につかなかったことに集約されるのではないか。
 昨年来、中教審は、「生きる力をゆとりの中ではぐくむ」「形式的平等から個性や能力に応じた仕組み」を柱に、学校のスリム化を目指し、中高一貫教育や、いわゆる飛び入学などを提言している。
 神戸の小学生連続殺傷事件を契機に「心の教育」のあり方の検討にも入った。
 「自ら考える力と社会性を培い個性に見合った教育」を重視する方向は、道筋として正しい。後はどう具体化するかだ。
 その際、学校でできないことは何か、家庭や地域社会がしなければならないことは何か、という発想が必要だろう。
 家庭は、子供のしつけを行う基本的な場だし、学校のスリム化は、企業を含めた社会の支援抜きには成立しない。
 
◆学校支えるネットワークを
 そうした芽は、あちこちに散見することができる。一昨年の阪神大震災では、若者を中心に百五十万人ものボランティアの自然発生現象に驚かされた。NGO(非政府組織)のスタッフとして海外で活動する若者も増えつつある。
 企業にも、社会貢献意識が広がりつつあるし、学校を支援しようとするボランティアも出始めている。
 そうした動きが、戦後の都市化で壊れた地域の共同体や、核家族化・少子化で希薄になった人間の連帯感を取り戻すネットワークになるといい。
 五十年前、荒廃の中から、新しい学校制度を立ち上げたエネルギーが、今再び求められている。その認識を持ちたい。

 
 
 
 
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