1995/04/08 読売新聞朝刊
[社説]新中教審への期待と注文
中央教育審議会が、四年ぶりに再開される。その第十五期中教審の委員十八人が、七日の閣議で了承された。
十年前の臨時教育審議会の流れに沿った中長期的課題と目の前の課題のいずれについても、骨太の論議と提言を期待する。同時に、これからの審議は、国民の前に開かれたものにしてもらいたい。
諮問事項は、〈1〉学校・家庭・地域の連携のあり方〈2〉個性や能力に応じた柔軟なシステムの模索〈3〉マルチメディアなど社会の変化への対応――などになると見られる。
臨教審は、「自由・自律・自己責任の原則」を基調に、個性の重視と生涯学習体系への移行などをうたった。言い換えれば、「自由と選択と自己責任の教育」を目指していると言えるだろう。
これに沿ってさまざまな施策が実施に移されつつあるが、これらは「臨教審後」の検証作業を並行させつつ、より確実なものにしていかなければならない。
新たな課題としては、完全五日制時代の学校像の模索が浮上している。授業や教科の大胆な改編や、地域や家庭にゆだねるべきものの整理など学校のスリム化を念頭に置いた「基本哲学」作りが欠かせない。
もう一つは、今の学校の枠組みに合わない者を視野に入れた教育システムの柔軟化だろう。個性化・多様化・自由化の観点から見て、現在の仕組みに問題があれば、思い切った改革が必要だ。
前期の中教審は、数学や物理などの分野で「稀有(けう)な異能の才の持ち主」には、「教育上の例外措置」として、中学、高校段階から、大学レベルの教育研究に触れる機会を与えるべきだと提言している。
一部で、モデル的な実践が進められているが、「例外」の拡大は、異能の才をさらに伸ばす意味で検討されていい。
これまでは、モノ作り社会の中で、協調的で平均的な能力を育てることに、重きを置き過ぎてきた。今は、独創性や感性が求められる時代に入っている。
「学校の枠組みに合わない者」への対応としては、登校拒否(不登校)のタイプも視野に入れるべきだろう。
登校拒否は、右肩上がりのまま一向に減らない。その原因の一つは、多様な個性を認めることよりも、組織や集団への順応が優先される風土にあるのではないか。
教育行政のありようにも、考察が必要だと考える。文部省が基本的デザインを打ち出しても、それを具体化させるのは、地方の教委であり、学校現場だ。
だが、地方や校長、教師には、中央からの指示待ちの体質が色濃く残っている。
この構図のままで、規制緩和や自由化を言ってみてもスムーズに行かない。現に、学習指導要領は改訂のたびに、現場の裁量を広げているが、十分に浸透しているとは言えない。地方や学校が、主体的・自立的に改革を進める仕組みが求められる。
学校をすべての面にわたって柔軟にしていく。それが当面の課題だ。学制改革に手をつけるのは、現行の枠内であらゆる努力を傾けた後のことだろう。
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