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1994/12/31 読売新聞朝刊
[社説]「臨教審の10年」とこれから
 
 今進められつつある教育改革のほとんどは、臨時教育審議会の四次にわたる答申を下敷きにしている。その臨教審の発足から今年はちょうど十年の節目だった。
 「個性の重視・生涯学習体系への移行・変化への対応」の三本柱は、その後、中教審や大学審のほか、各種の専門家会議の答申や報告に引き継がれ、これらを受けて、個性化・多様化・活性化のための具体策が相次いで実施に移されている。
 いずれも、進むべき方向としては、おおむね納得のいくものが多い。
 にもかかわらず、現実の学校状況や教師集団に、いま一つ活力や覇気が欠けるように見えるのはなぜだろう。
 そうしたいらだちは、いじめによる自殺事件を相次いで目の当たりにさせられていることで、一層強まった感がある。
 先ごろ文部省が「いじめ緊急アピール」を発表したが、実は、ほぼ同様のものが臨教審発足の翌年にも出されている。異質を排除する、子供を一定の枠にはめるといった社会の風潮や学校の画一的体質がまだ改まっていないことの表れだろう。
 臨教審後に具体化された主な施策としては、次のようなものが挙げられる。
 大学政策は、かつての「行政指導」型から「自由競争」型へと転換された。
 高校以下では、学習指導要領の改訂で、新学力観を前面に押し出すとともに、相対評価がわき役に回った。選択教科の拡大も、中学、高校で広がった。
 「脱偏差値時代の入試と進路指導」への模索が始まると同時に、高校の構造的な改革も進められようとしている。
 さらに、教員配置計画が、一律的・機械的なものから、意欲ある学校などに重点的に配置する方式になったほか、学校五日制は来春から月二回へと拡大される。
 全体を貫くのは規制緩和の方向だ。本来なら、自由化の中で現場の裁量が広がり、腕の振るいどころになるはずだろう。
 問題は、中央の政策転換と学校現場とがミスマッチを起こしている気配があることだ。例えば、高校、中学とも、選択の自由の拡大が思い通りには進んでいない。「学校選択」の形のお仕着せで、お茶をにごしているところも少なくない。
 新しいことに拒否反応を示しがちな学校の体質もあろうが、「人と予算」の面での行政の支援の問題でもあろう。
 こうした点を含めて「臨教審後」を検証することを提案したい。とりわけ、規制緩和がどこまで進んでいるか、その手当ては十分か、の洗い直しは避けられない。
 その際、教員免許法の制約で規制緩和の「外」に置かれている教員養成大学のあり方の見直しも必要だろう。
 学校五日制の完全実施をにらんだ教育課程の「基本哲学」作りも大きな課題だ。精選の必要性と、小学校での英語など新しいニーズとの衝突で「総論賛成・各論反対」になることが目に見えているからだ。
 五日制時代の新しい学校像を模索する意味でも、四年近く開かれていない中教審の再開を考えるべき時期にきている。

 
 
 
 
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