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1993/04/07 読売新聞朝刊
[社説]脱偏差値を目指す新学期に
 
 新入生も、学年がひとつ持ち上がった者も、いささかの緊張と期待感で迎える。それが春の新学期だろう。
 だが今年は、教師をはじめ、およそ教育にたずさわる者全員が、子供たち以上に気を引き締めて臨んでもらわなければなるまい。「脱偏差値」後の教育をどうする、という新たな問題に直面しているからだ。
 当面の課題として、中学の進路指導の改善、高校の個性化、入試改革の三点に全力を挙げる必要に迫られる。
 進路を決めるのは、「あくまでも生徒自身、教師は手助け役」を基本にしたい。文部省も「百パーセントの合格可能性に基づく指導から、生徒の意欲や努力を重視する指導」への切り替えを強調している。
 二十年以上にわたって使われてきた偏差値だから、現場には戸惑いがあるだろう。ただ、四十代半ば以上のベテラン教師は、偏差値のない時代の進路指導を経験している。その知恵を活用して、幅のある目安作りをするのも、一つの方法だと思う。
 生徒のやる気を引き出すとともに、親の不安にこたえる指導を目指してほしい。
 高校の中身の改革も急がれる。単位制総合学科の新設を含め、全体の構造をうんと柔らかくする。それに連動させて、入試の方法や尺度にも工夫を加える。そうすることで、学校の間の格差を「特色の差」へと近づけていかなければならない。
 課題はこれら三点にとどまらない。
 小中高校を通じ、新学習指導要領がうたう「個に応じた教育」と「新しい学力観」を、どう根づかせていくか、である。
 あてがいぶちの授業から、一人ひとりの長所や持ち味を生かす。あるいは、知識の伝達から、創造力や自ら考え、判断できる力の育成に重きを置く。
 選択教科の拡大や体験学習、あるいは、チーム・ティーチングなどは、これらを実現するためと受け止めるべきものだ。子供の目の輝くような授業を進めてほしい。
 業者テストが締め出されるのを機に、日ごろの授業でのテストは何のためなのか、についても、改めて考えてみたい。
 学校は勉強するところだから、テストとまったく無縁という訳にはいかない。けれども、本来は、教師の教え方に対する評価の側面もあるはずだ。もっと上手に教えてほしいというサインでもある。
 それが、一様な序列をつけるための道具として使われ過ぎているのが、最近の実情ではないか。その究極にあるのが、偏差値依存の進路指導と入試だろう。
 だれもが感じていることだが、現代っ子には、自然や生活体験、遊びなどが不足がちだ。自由な時間も少ない。
 それが、長年の「テスト万能主義」がもたらしたものだとしたら、何としても変えて行かなければなるまい。
 人間的な感性や生きる力を育てていく。「脱偏差値の教育」には、教師の意識の変革と熱意に負うところが大きい。
 教員配置など行政の支援とともに、親を含めた大人社会の理解と協力も必要だ。このことを自覚する新学期でありたい。

 
 
 
 
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