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1989/07/29 読売新聞朝刊
[社説]これから問われる大学の理念
 
 大学生が勉強しなくなった、と言われ始めてからずいぶん久しい。むろん全員がそうだというわけではない。主として人文社会系の大学・学部に多い現象だ。
 激しい受験競争をくぐってきた当の学生にしてみれば、せめて大学の四年間ぐらいゆったりしたい、という心理がはたらくのも無理のないことかも知れない。
 だがそれ以上に、進学率の上昇に合わせる形で、学生が意欲を持って学べるようなシステムが用意されてこなかったことの方に問題があるのではないか。
 文部省の大学審議会が、審議の概要報告の形で、学部教育の改善策を打ち出したのも、そうした現状認識を背景にしたものと言えるだろう。
 大学設置基準の簡素化、大綱化をうたった提言の内容は多岐にわたっている。中でも目を引くのは、一般教育と専門教育とのあいだの壁をほとんどすべて取り払おうとしていることだ。
 この結果、授業内容や科目区分、教員配置に至るまで大学の自由裁量にゆだねられることになる。
 提言を評価したい。これまでは行政がこまごまとくちばしを入れ過ぎてきた。それが足かせとなって、新しい試みをふさいできたのは否めない事実だ。
 もともと戦後の新制大学は、専門的な知識に加えて「ものを見る目や、自主的、総合的に考える力を養う」ことを目標に掲げ、一般教育と専門教育との有機的な結合をねらいとして発足した。
 それが一向に根づかず、多くの大学で専門、一般教育がともに中途半端なまま続いてきたのが現状だと言える。その結果が、一部の一般教育科目に代表される「時として高校の繰り返しの中身を、大教室でただ一方的に拝聴する」講義である。
 歴史的にさまざまないきさつがあったとは言え、それにしても、カリキュラム開発をないがしろにしたのは否定できないことであり、同時にある程度そうさせるような規制が加えられていたというほかない。
 改善提言が実施に移されると、各大学は、四年間を通じた教育の目的とそれに沿ったカリキュラムの設計を迫られる。個性的な大学作りの道が開かれることにもなる。
 それは、それぞれが自前の「理念」を明確にすることが伴わなければならない。提言に盛り込まれている大学の「自己評価」の場面で、大学人のモラルと責任が厳しく問われることになろう。
 今後は、教養課程の廃止を検討する大学が出ることも予想される。だが、カリキュラムの自由化がそのまま、一般教育の軽視につながってはならないように思う。
 大衆化によって、多様な学生が集まり、中にはなんのために大学に入ったのかはっきりしない者も含まれている。上すべりの受験学力の持ち主も少なくない。
 その意味で、教養教育は、かえってその必要性を増しているとも言える。一般教育の質を大きく転換し、専門教育と相互にクロスさせるなど魅力的な中身にすることが求められる。

 
 
 
 
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