1989/09/10 読売新聞朝刊
[社説]日教組「分裂」で子供に迷惑をかけるな
日教組は、なお引き続き衰退の一途をたどるのか、それとも現実的対応のできるやわらかい組織として再生できるのか、その岐路に立っているようである。
鳥取市で開かれていた第六十八回定期大会は、反主流派(共産党系)のほとんどが欠席する中で、新連合への加盟を決めた。査問委員会の設置が決まったことで、組織の分裂が確実なものともなった。
労働運動にとって、組織が割れ、組合員の数が減ることは決していいことではない。日教組の場合、教育運動にしぼれば、なおゆるやかな連帯を模索する余地がないわけではなかった。
だが、新連合への加盟をきっかけとした分裂は、二重の意味で必然の流れといえるように思う。
振り返ってみれば、日教組四十二年間の歴史は、組合の外側にある政党間の対立がそのまま組合の内部に持ち込まれ、「綱引き」を演じるというパターンの繰り返しであった。
ことにこの三年間は、労働戦線の統一問題をめぐって、主流派(社会党系)と反主流派がことあるごとにいがみ合い、さらには主流派の右派と左派も対立するという三つどもえの内部抗争を見せた。
教育や子供をそっちのけにしてここまでこじれ切ってしまっては、分裂もやむを得まい。
イデオロギーに固執する時代は変わりつつある。新連合の結成は、そうした対立の図式から脱し、視野の広い現実的な運動を目指すのが、ねらいの一つでもある。その意味でも新連合加盟は避けて通れない課題だったかも知れない。
日教組は、なおしばらくは混迷を続けよう。一般組合員の奪い合いが始まる。査問などをめぐる訴訟合戦も予想される。財政の問題をどうするかという課題もある。
その一方で、急がれるのは、教育改革運動の担い手としての日教組の再構築である。そのためには、日教組の「代名詞」である「反対・粉砕・阻止」の体質を改めることから始めなければならないだろう。
今度の大会論議では、ごく一握りの代議員発言を除いて相変わらず「臨教審路線と対決する」とか「初任者研修の形がい化」などの言葉が目立った。
臨時教育審議会後の文部省の対応に問題がないわけではない。しかし、入り口で「全否定」してしまうと、議論は一向に前進しない。口グセのように言う「国民合意の教育改革」は望むべくもない。
よりよい教育を模索していくためには、もっと柔軟で建設的な発想と構えが要求されると思う。
そして、行政が耳を傾けざるを得ないような運動、一般市民の目からみてもわかりやすい運動を期待したい。
分裂は不幸なできごとではある。しかし、分裂によって予想されるゴタゴタは、子供たちには関係のないことだ。学校現場をいたずらに混乱させ、子供たちに迷惑をかけることのないよう、節度ある姿勢だけは忘れないでほしい。
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