1988/09/21 読売新聞朝刊
[社説]PTA40年、これからの課題
〈先生が中心となった会ではなく、先生と父母が平等の立場に立った新しい組織を作るのがよい。これが「父母と先生の会」である。各小学校や中等学校にこの会が設けられて、子供達、言い換えれば、児童生徒の問題が真剣に取りあげられるようになればどんなによいことであろうか〉
これは、昭和二十二年三月、文部省が各地方長官あてに送付した文書「父母と先生の会」から抜き書きしたものだ。我が国にPTAが誕生する呼び水となった文書である。
翌二十三年の第一回全国協議会結成総会から数えて四十年、この秋には記念式典も行われる。「不惑」を迎えたPTAは、手引書のうたう「子供達の幸福のために努力して行く」場になっているだろうか。
結論から言えば、PTAは、マンネリのままの状態にあると思う。
親と教師の協力関係がうまくいっているところがないわけではない。地区懇談に父親の出番を作るとか、親子で遊びやスポーツ、郷土文化財の継承活動に取り組むなどの例も、数は少ないながらある。
だが、全体をやや乱暴にくくると、学校の「下請け機関」として、行事をこなすだけに終始しているものが多いと思う。まじめに取り組もうとしても、周りや学校から浮いてしまうタイプもある。そして、その中間で多数を占めているのが無関心を装うか、何を言っても仕方ないとあきらめている層だ。
学校と親が角突き合わせるのも、PTAが学校の支配下に置かれて教師と親の対話が成立しないのも、子どもたちにとって、ともに不幸せなことというほかない。
多くの人が、このままでいいはずがないと感じているPTA。それを本来の機能にするには、平凡だが、親と学校のいずれもが意識を変えていくしかないだろう。
ただ、その比重は、学校の方により強くあると思う。いまの学校は、ありのままの姿を親や地域に見てもらえるような仕掛けになっていないからだ。それに、現在の力関係では、明らかに学校の方が強いからでもある。
その意味で示唆を与えてくれるのが、臨時教育審議会の指摘だ。答申は、しつけを中心に家庭の責任を求める一方、学校により強い注文をつけている。
「教育上の配慮」に名を借りた閉鎖性をまず批判し、教育方針などの情報を保護者に提供せよという。そして、保護者や住民の意見を学校の運営に生かすよう要求している。
それには、いままでの学校の物差しから見れば心配になるような情報も提供されるものでなければなるまい。
そうすることで、学校の抱える問題や悩みを親の側に投げかける。それらは父母にとって大きな判断材料になり、学校との話し合いもかみ合ってくるのではないか。
授業参観にしても、指定日だけでなく、いつでもどうぞ、という仕組みがあってもいい。あらゆる場面でオープンなものになれば、学校教育の限界がはっきりし、親の責任と自覚を促すことにもなるだろう。
一つひとつは小さな動きかも知れないが、教育改革が進むかどうかは、こうした地道で息の長い作業にもかかっていると思う。
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