1988/04/06 読売新聞朝刊
[社説]「六年制中学」が育つ条件
「六年制中等学校」実現への方向づけが、文部省の調査研究協力者会議の手で打ちだされた。
中学校と、高校を一つにし、一貫教育の場にする。報告は、芸術、体育、外国語、理数、職業教育などのコースに加え、新たに普通教育中心のものも推進することを明確にしている。普通教育への拡大は唐突の感を免れないが、この新しい学校は、いまの教育に新鮮な息吹を与えるものになるのだろうか。
この制度には、中等教育の多様化・個性化へのインパクトとして大きな魅力が認められる。だが、同時に極めて有害な毒をも含んでいる。よほど心配りのきいた準備が伴わないかぎり、かえって弊害の方が目立つことになるだろう。
この構想が浮かんできた背景には、中学、高校のおのおのの三年間が、ともに中途半端に二分されていて、それがさまざまな影響を及ぼしているという事情がある。最も大きいのは高校受験の圧力だ。
それが一つの学校になれば、入試の準備に明け暮れることがなくなるから、ゆったりと充実した生活ができる。継続教育で、個性や才能を発見し、はぐくむことが可能になる。選択教科も大幅に増えるだろう。
その一方で、長いあいだ同じ学校にいることになって、中だるみ現象が起きる可能性がある。十二歳で進路を決めるのは親にも子にも荷がかち過ぎる。
一部でも学力を物差しに選抜するようになれば、受験競争が下に降りるだけになってしまう。何よりも、六年間が大学への受験準備一点張りになることもありうる。
となると、この学校を設置するためには、メリットと裏表の関係にある副作用をいかに抑えるかにかかっていると言える。
いくつかの、しかも大変な努力と根気のいる条件がある。
第一に、適性や個性を定めにくい年代の生徒を相手にするのだから、学校の中でコースの変更がたやすくできる仕組みでなければならない。それが用意されていなければ、別の学校にすぐさま移ることができるような受け皿も必要だ。
特に前半の三年間は義務教育段階であり、格段の配慮が求められることは言うまでもないことだ。
第二の条件は、いまの高校をどれだけ魅力のあるものにするかという課題だ。
生徒の希望に沿ったものをいかに数多く用意するかという多様化・個性化路線は、埼玉、東京、兵庫、岡山などまだ一部の都県でしか進んでいない。異なる高校同士の間で単位互換の仕組みを働かせているのは、兵庫県だけである。
学校の内側は言うまでもなく、外側とも風通しをよくする。そして、平均点主義ではなく、あらゆる側面で子どもたちの個性や能力を引き出し、励ましていく。六年制中等学校は、そんな下地が十分に整えられて初めて生きてくるように思う。
いまいくつかの県で、進学エリート校なら作ってもいいという意向があるという。ただそれだけの発想では、この新しい学校は根づかない。
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