1988/02/17 読売新聞朝刊
[社説]新テストをどう生かすか
大学進学を目指す高校生たちは、うんざりしているのではないか。文部省の大学入試改革協議会が、共通一次試験に代わるものとして打ち出した「新テスト」構想の最終報告のことである。
この三年間、国立大の入試制度は、まるで猫の目のように変わってきた。科目減らしに始まって、受験回数の複数化、そのグループ分けをめぐる大学エゴむき出しのごたごた。それは、受験生不在の「制度いじり」としか言いようのないものだった。
新テストは、私立大学も参加を予定している点で我が国初のシステムだ。本番は、来年の十二月、そして、参加の名乗りを上げる期限はこの七月。もう目の前に迫っている。
その意味で、各大学に問いたいのは、新テストに対してどんな理念と心構えをもっているかである。
というのは、新しい仕組みの最大の特色は、「アラカルト方式」を採用しているからだ。いままでの「定食メニュー」一点張りと違って、さまざまな選択を認めている。
まず、特定の教科や科目にしぼって使うこともできる。その中の特定分野をピックアップしてテストしてもいい。そのうえで、個別の大学で、面接や小論文をじっくり行うことも可能になる。
成績の配点比重を自由に設定する傾斜配点方式とか、得点を大まかにグループ化して、基礎的学力を見ることもできる。
これに、各大学で個別に行われる試験が加わってくるのだから、やりようによっては、数限りない組み合わせができる。利用する大学や学部にとっては、自由度のきわめて高いシステムと言えるだろう。その意味では、一歩前進した改善ということもできる。
そこで大きく問われるのは、おのおのの大学の姿勢ということになる。どのような試験にするかは、その大学がどんな学生像を求めているかにかかわってくる。それは、大学自身の持つ個性や特色と見合ったものでなければならない。
つまり、入試というのは、ただ単に「入り口」の技術論であるかのように見えて、実は、このところ個性化・多様化を求められている大学の中身とつながっているのだ。
一方で、よりましな入試制度になるだろうとの期待を持ちつつも、他方でためらいを覚えるのは、まさにこの「生かすも殺すもやり方次第」という一点にあると言っていい。
現行の共通一次制度十年の歴史を振り返ってみてもこのことは言える。
一次では、基礎的な学力を、二次試験では、多様な能力や適性をみるというのが、いまの制度に当初込められた趣旨だった。
そのねらいは一向に根づかず、偏差値輪切りでかえって弊害の目立つものになってしまった。原因はさまざまだが、二次試験の多様化が十分に行われなかったことが大きく響いている。その底流には、各大学の基本姿勢に問題があったというほかない。
ともあれ、新テストは予定どおり実施に移されるだろう。近い将来には、実施回数を増やすとか、同じ科目で違った出題をするなどの課題もある。だが、それもこれも、大学人の姿勢ひとつにかかっている。
ボタンのかけ違いを繰り返されるのはもうごめんである。
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