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1987/09/02 読売新聞朝刊
[社説]親と学校のかけ橋を作るには
 
 新しい学期に入った。子供をはさんで、親と学校との接触が再び始まる。これを機会に考えてみたいのは、父母と学校との関係のことである。
 この十年来、学校は、「過信と不信の中で揺らいでいる」感がある。あるいは、その両方が、ないまぜになっている図式が目立つように思える。
 過信する層は、学校にさえ任せておけば安心という学校信仰タイプである。裏返せば、学校に行かなければ、だめな人間になってしまうと思い込んでいる層でもある。
 一方の不信は、子供たちの伸びやかな生活の場が失われたことに対する危機意識がもたらしたものだ。それは、行き過ぎた管理教育に対する反発などに代表される。
 過信も不信も、子供たちにとっては、ともに不幸せなことと言うほかない。本当の意味で信頼のできる親と学校の関係を築きあげることが急務であると考える。
 その手だてのヒントとなるものは、さきごろ任期を終えたばかりの臨時教育審議会の答申の中にもある。「開かれた学校と管理・運営の確立」などの項目にちりばめられた提言がそれだ。
 自由化論や秋季入学移行論などのかげに隠れてさほど大きな論議とはならなかったが、見逃せないものを含んでいる。
 答申は、家庭と学校の双方に注文をつける。親には、本来家庭で行われるべきしつけが不足していることを説き、返す刀で、学校には、ともすれば教師中心の発想になり、父母や地域に対して閉鎖的だと指摘している。いずれも当を得た分析と言える。
 そのうえで、学校には、その教育方針などを保護者に積極的に説明せよ、情報を流せ、そして保護者の意見を学校の運営に反映させよ、と求めている。
 その具体的方法は、各学校にゆだねられた形になっているが、とりあえずは、PTAがその母体となるだろう。それには、学校の下請け機関にされる傾向のあるいまのPTAを対等なものへと改めるのが先決だ。そして、夜にも集会を開くなどきめ細かい工夫をこらしてもらいたいものだ。
 教育委員会も、バックアップする必要がある。臨教審の言う「教育委員地域懇談会の勧め」や苦情処理体制の確立などは、いますぐにでも実現できることだ。
 とはいっても、親や地域の住民が、ただ一方的に要望や苦情を出せばいいというものではないだろう。特に許されないのは、親のエゴむきだしの意見だ。自分のことは棚に上げておいて、要求だけを声高に言うタイプである。
 学校や教師の側もまた、よくありがちな「聞く耳持たぬ」体質を変えてもらわなければならない。テーマは、あくまでも、子供たちが健やかに、しなやかに過ごせるようにするにはどうしたらいいか、である。学校や教委と父母・地域の間の話し合いは、それぞれのでき得る役割とその限界を考える場となってほしいと願う。
 教育改革ができるかどうかは、最終的には、国民一人ひとりの意識のありようにかかっている。地道で息の長い作業が求められる。

 
 
 
 
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