1987/11/29 読売新聞朝刊
[社説]「個性重視」は生かされるか
文部省の教育課程審議会が、これまでの審議結果を「まとめ」として発表した。来月に予定されている本答申の草案とも言うべき性格のものである。
戦後五回目に当たる今回の改革の特色は、人間形成重視の姿勢を、現行教育課程以上にはっきりと打ち出してきたことだろう。
それは、二つの側面を持っていて、互いにからまりあっている。
一つは、個性と創造性を伸ばすことを目指す方向であり、いま一つは、人間としての生き方、あり方を考えさせる「心の教育」の導入である。
いずれの方向も、少なくとも言葉の上では、異論はない。小学校低学年の生活科、中学での選択の拡大と習熟度別指導、高校で学習指導要領に示す以外の科目を設けることができるとしたことなどは、これまでの学校教育を大きく変える要素を持っている。
だが、同時にやり方一つでは、個性重視の原則に逆行し、かえって弊害の方が噴き出してしまう可能性をあわせ持っている。とりわけ中学での選択の拡大は、生徒の主体性が無視され、「学校選択」という形のお仕着せとなってはなんにもならない。受験科目に振り向けられる心配も否定できない。
生活科を含めどれもこれも、本腰を入れた準備と研究、それに入試や評価、つまり現在の点数至上主義とのかねあいをどうするかが不可欠のポイントである。
もう一つの道徳教育の充実路線にも大きな問題がある。内容の再構成と重点化を図るというが、しょせんは「徳について言語や文字で表された知識」を教え込むという、いま行きづまりを見せている構造のままである。
道徳というのは、実体験を通してみずからの内面に働きかけるのが本来の姿だろう。その意味で、国語に道徳の教材を入れるとか、副読本の使用の奨励の方向に走るのは疑問が残る。広い意味のボランティア精神を培う学習の導入を含め、価値観の多元化の中の道徳教育のあり方とその方法論を、これからもなお模索する作業が望まれる。
一方で学ぶ者の主体性をいいながら、他方で押しつけとなっているものをもう一つ指摘できる。入学式や卒業式で、「国旗を掲揚し、国歌を斉唱することを明確にする」というのがそれだ。
現在の「望ましい」という姿勢をさらに進めたわけだが、国旗や国歌に対する国民の合意は、まだ十分できているとはいえないのが実情である。具体的実施に当たっては、一律的、強制的に拘束するのではなく、「まとめ」のあちこちで強調している「弾力的な運用」を望みたい。
この審議会は、約二年間、臨時教育審議会と重複して進められた。この二つの審議会で、決定的な違いを見せたのが、その運営方法である。臨教審は、すべての論争や対立の経過を公開したのに対し、教育課程審議会は、残念ながら「密室性」が目立った。
その象徴的な表れは、土壇場になって突然公にされ、大急ぎで結論の出された高校社会科の解体劇に見ることができる。
今後、学習指導要領を作成する段階で、少なくとも基本的な問題や対立のあるテーマについては、可能なかぎり国民の前に提供する姿勢が必要と考える。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
「読売新聞社の著作物について」
|