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1987/04/03 読売新聞朝刊
[社説]たゆまず教育改革を進めよう
 
 臨時教育審議会は一日、第三次答申を中曽根首相に提出した。昨年四月の第二次答申と合わせて基本答申とされるものである。
 今回の答申では、審議の経過で対立が目立った三つの重要課題、「九月入学」「教科書制度」「大学の設置形態」がどのようにまとめられるかが、一つの見どころだった。答申を見ると、対立点の克服には、やはり苦労のほどがしのばれる。
 「九月入学」はなお審議継続、「教科書」と「大学」は、辛うじて両論併記を避けたかたちという印象が強い。物足りなく思う向きも少なくないだろう。
 
◆「九月入学」は先送り
 「九月入学」は、臨教審発足当初から検討すべき大きな課題とされており、さきの「審議経過の概要」には、九月入学に移行した場合のメリット、デメリット、あるいは考えられる移行方式などがかなり詳しく述べられていた。この経過を踏まえて、答申は「秋季入学制への移行には大きな意義がある」「種々の問題点が指摘されているが、いずれも決定的な支障となるものではなく、実現可能である」など、方向としては、かなり「秋」に傾いた表現となっている。
 しかし、結果は審議継続である。世論調査や教育関係団体の意見などからみて、国民一般には「四月入学」を好む意見が強く、「九月」に移行する意義、必要性がまだ受け入れられていないという判断からだという。
 臨教審の残された任期の間に世論の動向が急変するという性質のテーマとも思えないから、審議継続といっても、今後臨教審として考えられる手立ては、「九月入学」のメリットを国民に呼びかけるあたりに落ち着くということだろうか。
 「教科書制度の改革」は、特に検定制度をめぐって意見が対立していた。答申はどうやら一本にまとめはしたが、玉虫色の側面を色濃く残した。原稿本、内閲本、見本本と三段階にわたる審査手続きを一回に簡略化する、三年ごとの検定周期を長期化する、検定の経過を公開する、などが改革の主な内容だ。
 著作、編集者の能力向上と検定に頼る側面を正すねらいだといい、高校教科書は教科によっては検定対象からはずすことも検討していくなど、将来の方向性ものぞかせたが、大枠では現行制度維持であり、申請本の一本化は現行制度より厳しくなる側面もある。成否は運用に大きく左右されそうだ。
 
◆大学が変わらなければ・・・
 「大学」にかかわる課題は、わが国の教育改革の根本課題だと考えてもいい。
 大学そのものが変わらない限り、入学試験や高校から下の仕組みをいくら動かしてみても根本的な改革にはつながらないからだ。昨年四月の第二次答申に盛られた高等教育の改革を目指す数々の課題、現在の大学を風通しのよいものにする提言を実現させるには、大学自体の組織と運営がどのようであるかにかかわるところが大きい。
 今回の答申は、大学、ことに国公立大学における自主自律体制の確立などに触れはしたが、それをもう一歩進めた議論である特殊法人化など設置形態の問題については将来の課題とするにとどまった。
 今後は、新発足する大学審議会あたりで検討することになろうが、せっかくの臨教審でこなし切れなかったのは残念なことだ。
 今回の答申には、このほかにも「公的資格や受験資格から原則として学歴要件を除くこと」や「教育、文化施設のインテリジェント化」「大学教員の任期制導入」「教育財政」など提言は多岐にわたった。だが、審議の経過で対立の目立った課題を見どころとしたのは、今回に限らず、これまでの臨教審審議には、どうにも折り合いがつきにくい面が常について回っていたと思うからだ。
 臨教審の任期は、この八月で終わる。それまでにもう一回、最終答申が予定されているが、それは、これまでの審議と答申を総括するかたちになると見られる。「九月入学」は継続審議となったが、岡本道雄会長は「それ以外の具体的課題についての提言は、今回で終えた」としている。臨教審は審議のヤマを越え、整理、総括の段階に入ったわけだ。
 そこで、すべての総括は夏まで待つとしても、この際、ここまでの経過について触れるならば、率直に言って、三次にわたる答申の内容はいずれも物足りない感が否めない。
 それは、主として、改革の基本的な方向づけに説得力はあるのだが、一方、その方向へ持っていくための具体的な手立てが、羅列的で弱く、改革への起爆力を感じさせる迫力に欠けていたからだと思われる。
 
◆偏差値体制の打破はどこへ
 また、今春の大学入試の混乱などを見るにつけ、道遠しを痛感する。共通一次試験に代わる「新テスト」などを提案した臨教審の一次答申には拙速のうらみが残る。
 臨教審の発足に国民が期待したのは、何といっても過熱した受験戦争にみられる偏差値体制の打破であり、それにからんで荒廃した学校教育を立て直すことではなかったか。一次答申は改革への突破口ということで、ある程度の拙速もやむを得なかったかも知れないが、最大の関心事ともいうべき入試のテーマなどは、その後の審議でもフォローがあってよかったのではないか。
 臨教審に対する不満、物足りなさは、あるいは、こうしたいらだち、長期的展望と現実の手立てのギャップのようなものが大きいからかも知れない。
 しかし同時に、教育改革には一つの手立てで決め手になる即効薬などないことも冷静に見つめる必要がある。臨教審への不満は、教育改革に寄せられた期待が極めて大きいからだとも言える。個々の具体的手立てが迫力に欠けるのは、平時における教育改革の難しさを示すものでもあろうか。
 物足りなさは残るが、これで改革を絶望視するなど、臨教審の果たした役割を過小評価することも、とるべき態度ではないと思う。
 臨教審が打ち出した「個性重視の原則、生涯学習体系への移行」という改革の基本方向は、進むべき確かな道だと思う。それは「人生の初期に集中し過ぎた学校教育の肥大化」「学歴社会の弊害」を正すことでもある。
 臨教審はかつてない一大教育シンポジウムにも見立てられる。多岐にわたる審議は今後の改革の土台となる。臨教審の審議は整理、総括の段階に入ったが、教育改革に終わりはない。まずは提言が適切に実行に移され、個々の対策が有機的に働くことを期待する。そのためには、国民の意識変革に負わなければならない部分も少なくはないが、答申を受けた政府の責任はいよいよ重くなる。
 反省を生かし、ポスト臨教審に適切な体制を作り、改革をたゆまず前進させよう。

 
 
 
 
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