1987/04/02 読売新聞朝刊
臨教審 どうする学校制度改革 過熱入試にも足りぬ問題意識(解説)
臨時教育審議会(岡本道雄会長)が一日、第三次答申を提出した。具体的な改革提言は今回でほぼ完了、夏までに最終答申を出して、八月に解散する。(1面)(政治部 松本 晋)
「今回は首相官邸からも文部省からも、注文がついてこないね」
第三次答申に向けて審議がスタートして間もない昨年夏、ある臨教審幹部はサバサバした表情でこう言った。
大学入試改革を急ぐ中曽根首相に配慮して、肝心の大学自体の改革論議をあと回しにしてまで「共通テスト」構想を打ち出した第一次答申(六十年六月)、文部省百年の悲願である教員試補制に代えて「初任者研修制度」を盛り込んだ第二次答申(六十一年四月)――。
昨年の衆参同日選での自民党大勝後に本格審議に入った第三次答申で、臨教審幹部が「もう義理は果たした。のびのびやらせてもらう」ともらした言葉には、ようやく「政治」から解放されて教育改革に専念できるという意欲すら感じられた。
事実、今回の答申では、「これまでの答申を通じて、主要課題全般にわたり、一応具体的な改革提言を行った」(答申)と自画自賛する余裕すら見せている。
だが、「これで教育改革の全体像が明らかになった」と言い切るには、ためらいが残る。明日の教育や学校がどう変わるのか、これからの子供たちにどんな教育の機会が提供されるのか、という点が、今ひとつ不鮮明だからだ。
臨教審が発足した当初、教育改革への期待として寄せられた声は二つあった。
ひとつは、「我が国における社会の変化及び文化の発展に対応する教育の実現を期して各般にわたる施策に関し必要な改革を図るための基本的施策について」(首相諮問文)、つまり二十一世紀のわが国の教育のあり方であり、もうひとつは「いじめ、校内暴力などの教育荒廃や、偏差値偏重の受験戦争を何とか解決してほしい」という親や子供たちの悲痛な叫びだった。教育改革に対し、未来からと現在からの二つのアプローチが臨教審に求められていたといえる。
前者の、教育の未来像については、臨教審は比較的まとまりのあるイメージを描き出した。教育体系を、地域社会にも開かれた「インテリジェント・スクール」を軸とした生涯学習体系に改める。学校・社会の評価のあり方を多元化し、特定分野の秀でた能力にも着目する――。
いずれも、偏差値偏重の学校中心思想から脱却して、真に個性を重視した教育を実現しようというのがねらいだ。しかし、こうした理想は、いきなり実現されるわけではない。現実の学校の制度や仕組みのどこをどう改めて、そうした未来像に結びつけるかの道筋の説明が不可欠だろう。ところが、それは第一次答申で六年制中等学校、単位制高校を提言した程度で、これからの学校教育システムの全体像がどんなものになるのかのイメージはまったく提示されていないように思える。
臨教審内に、学校制度改革のアイデアがなかったわけではない。とりわけ、大学への進学ルートが単線型になっているために進学競争が過熱化し、しかも年間十万人もの中退者を出している高校の問題など、後期中等教育に関する改革については、臨教審発足以来、多くの委員、専門委員が発言したり、文書で提案してきた。
「医学、芸術、体育などの分野で、高校・大学一貫の七年制学校を創設する」「高等専修学校、職業訓練校を『高等実業学校』という正規の学校として認知し、大学入学資格を与える」「職業教育専門の一、二年制の『短期高校』を創設し、普通高校への三年編入を認めて高卒資格を与える」――など、いずれも不適格入学の解消と大学進学ルートの確保をねらいとした学校体系複線化の提案だった。
だが、臨教審でこうしたアイデアが真剣に論議された形跡はない。今回の答申は制度の多様化を「専門的、多角的な調査研究を進め、改めて検討する必要がある」と将来の課題に先送りして終わった。
また大学入試に関して、「一つの高校から入学者は何人までと決めればよい」というやや乱暴な提案があったが、これも今年の国公立大入試で特定の私立高校が大量の東大、京大ダブル合格者を出したのを見ると、また新たな問題提起として受け止めるのは可能だったのではないか。
教科書検定、大学の設置形態、九月入学と難問が山積していたという事情があったにせよ、それは臨教審のお家の事情にすぎない。ようやく「政治」から解放された臨教審が、どこまで現実に目をすえて、「子供たちに多様な教育機会を与えてほしい」との願いにこたえようとしたのか、疑問が残ってしまう。
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