2002/11/19 毎日新聞朝刊
[新教育の森]基本法見直し 「日本人」をつくる/中 「私」よりも「公」強調
◇「家庭の役割」に展望なく
「規範意識」「互恵の精神」「新しい公共」……。中央教育審議会中間報告には「公」を強調する言葉が並ぶ。
「現行法の制定当時は『私』を強調するのも必要だったが、時代背景も変わった。だから正そうというだけで、戦前の滅私奉公とは違う」。「公」の必要性を熱心に主張した中教審委員は話す。
背景には、行きすぎた「私」の意識が学級崩壊や荒れる子供を生んだという考えがある。
授業妨害を注意され、「騒ぐのもうちの子の個性だ」と真顔で反論する親。校則違反が見つかっても「『正直に規則を守っていたらバカを見る』と親に言われた」と悪びれない子供。「私」の主張が秩序や規則に優先すると信じる親子に学校は手を焼き、退却を余儀なくされてきた。
東京都内の小学校教諭(56)は「規範意識などを盛り込んだら、法律が個人の内面を規制することになる」と改正に反対し、集会にも足を運んでいる。しかし最近、児童が電器店でインターネットのポルノサイトをのぞいているのを目撃し、「何のために道徳の授業をしているのか分からなくなった」という。「子供の人権を唱えても、援助交際したり、電車内でわが物顔でふるまう中高生を見れば、世間が『何とかしなければいけない』と思うのも仕方ない」と打ち明けた。
「生徒に迎合していてはだめ。規則を守らなくていいと思わせたら学校は持たない」
富山県婦中町立速星中の石倉秀一校長は力説する。
赴任前年の00年度まで、速星中は授業妨害や校内の器物損壊、暴力事件が相次ぎ、県内でも指折りの荒れた学校だった。
石倉校長はまず、有名無実化していた自転車通学時のヘルメット着用を徹底させた。生徒会を巻き込んで「上履きのかかとを踏まない」「他人の傘を勝手に持ち帰らない」といった運動にも取り組んだ。学校に秩序が生まれると生徒も落ち着きを取り戻し、問題行動も減った。
今、言葉遣いを見直す活動に取り組んでいる。学級活動の時間に、相手を傷つける言葉を列挙させ、そんな言葉を使わないためにどうしたらいいか、話し合ってルールを決めさせる。
1年生の学級では、傷つける言葉を使ったら罰を与えるという案が出た。「それではかえってお互いの溝が深まる」「罰を受けて悪口を言わないようになるのだから問題ない」。意見を戦わせることで、相手を思いやる気持ちが確かになり、学級のモラルや生徒の社会性が高まるという。
しかし、学校5日制で授業時数が減り、こうした手間のかかる指導はやりにくくなった。「個に応じた授業」の流行で、学級を解体し、少人数の生徒に教える授業も増えた。
埼玉県川越市立初雁中の河上亮一教諭は、00年に基本法見直しを求めた教育改革国民会議の委員を務めた。個性重視の改革が公共性をはぐくむ学校の力を奪っていると指摘する。
「集団生活になじめない子供が増えれば、教科の授業も成り立たない。法改正より先に改革路線を見直し、学校が行事などの集団活動に力をさけるようにしてほしい」
しつけは家庭の問題でもある。中教審も家庭の果たすべき責任を法に規定せよと提言した。子供を教育できない家庭には行政が積極的に関与し、教育力を補うべきだという意見も出た。
しかし、文部科学省は「家庭の問題について、どこまで何をやるかはなかなか難しい」と腰が定まらない。法改正がどこまで実効ある対策に結びつくか。展望は開けない。
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