1997/10/17 毎日新聞朝刊
[社説]教育の分権 学校にも教委にも個性を
日本の教育システムは、画一的かつ硬直的である、とよくいわれる。とにかく、中央政府による統制が、欧米諸国に比べて際立って強い。功罪それぞれだが、「追いつき追い越せ」時代が終わった今、その弊害の方が、目立ってきた。
もともと、文教行政の実質的主体は、自治体の教育委員会にある。地方教育行政法により、教委は、学校の設置、組織編成、教育課程、学習指導、生徒指導、教科書の扱いなどについて、職務権限を持つ。
ところが、同じ法律の規定で、文部大臣は、そのほとんどすべてにわたって、指導、助言できることになっている。著しく適正を欠くときは、是正を求めることができる。
こうしたシステムのもとで、教委は、文部省の指示を待って、それをただ学校に伝達する下請け機関のような色彩が強くなってしまった。教委が職務に忠実になるほど、学校に対しては、細かい点まで規制し、逐一報告を求めることになる。従って学校もまた、教委の指示待ちにならざるをえない場面が多くなる。
現行制度上でも、教委や学校は、地方の独自色や、現場の創意工夫を生かした学校運営、授業ができる余地はある。近年になって、そうした動きも出ているのだが、周囲と同じでないと不安、という横並び意識、言われた通りやっていた方が責任を問われず無難、という依存体質から、なかなか抜けきれない。
この現状を考えると、町村信孝文相が先月末、中央教育審議会に「今後の地方教育行政の在り方について」諮問した意味は大きい。教育行政はどうあるべきか、そもそも文部省の存在意義は何なのか――。中教審は、徹底的に議論してほしい。
強い中央統制は、昔からあったわけではない。教育の民主化を求めた戦後の教育改革の中核は、教育の地方自治を保障する公選制の教育委員会の創設だった。知事や市町村長の指揮命令は受けず、さらに「文部大臣は――行政上及び運営上指揮監督をしてはならない」(教育委員会法)ことも明記された。
この教委制度が発足して、来年で50周年を迎える。しかし、内実は、公選制が廃止され、新たに地方教育行政法が制定された1956年を機に大きく変わっている。
今回の諮問は、まず国・都道府県・市町村の役割分担や関与の在り方を、全面的に見直すことを求めている。大事なことだ。
中央統制の象徴である教育長の任命承認制度(都道府県の教育長は文相の承認が必要)について、地方分権推進委員会は廃止を勧告した。当然であろう。中教審では、教委が主体的に教育行政を担い、その創意を生かせるシステムにするために、何が必要か、提言してほしい。公選制の復活、あるいは準公選制の採用も視野に入るだろう。
諮問はまた、学校の自主性・自律性の確立という観点から、教委の学校への関与の在り方の見直しを求めた。これも大事だ。子供たちと日々向き合う学校の判断で、大概のことはできるようにした方がいい。教育行政は、学校、そして子供の支援に徹すべきである。
社会状況は、教委創設のころとはもちろん、文部省と日教組の対立の時代とも、大きく変わった。21世紀の成熟社会に入りつつある現在にふさわしい改革が求められる。
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