1992/03/12 読売新聞朝刊
読売憲法問題調査会第4回 9条、「平和回復」も含む 斎藤鎮男氏の見解聞く
◇元国連大使
十一日の読売新聞社憲法問題調査会での斎藤鎮男・元国連大使の冒頭説明と質疑応答の主なやりとりは次の通り。
◆国際貢献と憲法の問題 政策判断で論議を
〈冒頭説明〉
「国連憲章と憲法第九条」について、私なりの考え方を説明します。
【国連憲章の加盟国に課する義務】
「平和および安全を維持することへの協力」(前文)、「平和・安全のための集団措置」(第一条)、「国連の取る行動への援助など」(二条)、「安保理の決定(要請)の履行」(二四、二五条)、「平和破壊に対する強制措置」(第七章)、「国連決議への共同相互援助」(四九条)、「加盟各国の自衛権行使は、国連の安全保障措置には影響を与えない」(五一条)。総括すれば、これらは加盟国による集団的相互援助と国際義務を規定しています。
【憲法と国際義務】
九条第一項が戦争放棄ならば、第二項は戦力放棄です。その間に「前項の目的を達成するため」とあり、(国際紛争を解決する手段としての戦争のための)戦力放棄なのか、あらゆる戦力の放棄なのかが問題となっています。
これに関連して、幣原首相(当時)がマッカーサー連合軍最高司令官に平和主義の説明をした際、戦争放棄だけでなく、戦力放棄まで触れたかどうかも問題となっています。
憲法制定後、米国の考え方が変わっているということは、どなたもお認めになるでしょう。マッカーサー司令官自身、朝鮮戦争後に日本国民に呼びかけたメッセージの中で、侵略の排除のための武力行使を認める発言をしています。
【日米安保条約と国際義務】
旧日米安保条約も新安保条約も、(将来の)国連の安全保障上の役割を予期していて、それがしっかりすれば、安全保障を委託するのだという意味のことを言っています。
九条で「戦力」という言葉を使っているが、それは一切の軍事力、兵器ということではなく、陸海空の軍隊を指しています。国際義務を履行するための個人やグループの自己防衛まで禁じているわけではありません。
自衛隊についても、国家目的に反しない限り、自衛以外の任務を行うことも可能ではないでしょうか。
「自衛隊の海外出動の禁止」に関する参院決議(昭和29年6月)には、国際義務の履行や個人的な任務で自衛隊員が海外に行くことまで含まれていないと思います。
【国連軍と多国籍軍】
国連憲章四二、四三条に基づく「国連軍」は、部隊の規模やどこに配置するかなどの軍事的な問題で米ソが衝突したまま、できていません。
これを補う意味で作られたのが国連平和維持活動(PKO)であって、国連憲章を侵さないことを前提に、〈1〉相手国の同意を必要とする〈2〉指揮権は国連が持つ〈3〉経費は各国が平等に負担する――ことが特徴です。国連がPKOと言う時は、国連平和維持隊(PKF)を含めて言うので、PKOとPKFを分けるのは日本的な考え方です。国際紛争に巻き込まれるから、危険だから――というのは、PKO参加を避ける理由にはなりません。
国連決議に基づく多国籍軍は、レバノン、シナイ半島、先のイラクと、これまで三回出動しています。国連軍のルールに合わせるようにという“条件”が付いていますが、実質的に国連軍ではありません。
【国連の要請と政府の対応】
国連加盟申請時に「日本国政府は国際連合の加盟国としての義務を、その有するすべての手段をもって履行する」との書簡を国連事務総長あてに送り、これにより武力行使を禁じた憲法の特異性と義務履行の関係を説明したつもりでしたが、今、国連側がどう解釈するかは問題が残ります。
PKOについては、「自衛隊は精鋭であり、日本は比較的、植民地関係で手がきれいだから、できるだけ手伝ってもらいたい」というのが、国連の基本的立場です。ただし、「日本には難しい憲法があるのも承知している」と付け加えることも事実です。
レバノンへの停戦監視団派遣で、国連から自衛隊将校十人の参加を要請された時、国会で大議論の末、断りました。当時の国連事務総長は非常に不快感を示したと言われます。
【九条の解釈と国連強化】
九条の平和希求の意味は、再び日本が侵略をしないことを誓ったもので、これを第一の平和主義とします。しかし、現実に平和が破壊された時に、第一の平和主義では対抗できません。平和の破壊を回復するための措置が第二の平和主義であって、九条にはこの二つが含まれているということをハッキリさせる必要があると思います。
日本がPKOなどで国連の安全保障に協力するのならば、日本の安全をゆだねるわけですから国連がしっかりしなければ困ります。国連強化に努力すべきです。また、日本の意思が国連に尊重される仕組みにする必要があります。
PKOなど国連加盟国として当然のことを行う際、周辺国に報告したり説明するのは当然ですが、了承を得る必要はないと思います。
【結論】
従来のPKO批判は、国民にPKOは危険な悪いものだという印象を与えているようだが、事実は違います。スウェーデンのPKOの訓練所には自分の意思で入る人が多い。その理由を所長に聞くと、「国のために」「外国で働きたい」ということだそうです。また、新しい技術、作戦を取得するために、PKOに参加することは有利だと言います。積極面をもっと強調する必要があるのではないでしょうか。
国際貢献と憲法の問題は、単に法律論では片付かず、国民が本気にならなければ、仮にPKOに人を出しても、国際的には喜ばれません。その意味で、私たちの議論を参考に国民の皆さんがPKOへの理解を深めることを期待したいと思います。
◆PKOの役割 限定的/北岡氏 第三国の理解は必要/猪木氏
〈質疑応答〉
諸井虔氏(秩父セメント会長):多国籍軍に協力あるいは参加することは憲法に抵触するのですか。
斎藤氏:それは場合によります。
佐藤欣子氏(弁護士):日本人は、平和主義は不戦主義であると考えているので、他国の平和が破壊された時にこれを回復するために共に戦い、制裁を加えることを国民は納得しないのではないでしょうか。
斎藤氏:平和を回復する場合、日本のやれることは憲法からも制限されます。日本には日本としてのやり方があるということも言えるのではないでしょうか。
佐藤氏:日本は日本としてのやり方があるというところでまた問題が出てきます。軍人を送るより技術者を送れ、ということになるわけですね。しかし、平和が確立されていないところに技術者が行って何の役に立つのか、ということまでは問わないんですね。
斎藤氏:ある程度の軍事力を伴わない労働力は意味をなさないんです。ものの考え方として絶対的平和主義だけが憲法九条だということにしてしまってはいけないと思うんです。
猪木正道氏(平和・安全保障研究所会長):パシフィズムという英語は受動的、消極的な意味が強いんです。知人のある米人学者は、他人から「パシフィストだ」と言われ、しきりに「自分はパシフィストではない」と反論していました。英国の有名な政治家(ジョージ・ランズベリー)は極端なパシフィストであったため労働党の党首の座から追われ、結局、首相になれなかったんです。真の平和主義はパシフィズムという英語とは違いますね。
西修氏(駒沢大教授):質問というより、確認という形になりますが、自衛隊の任務について、憲法九条は国際紛争を解決する手段としての戦争を禁じているが、それ以外のことは禁じていないから、政策判断の問題だ、ということですか。
斎藤氏:そうです。
西氏:私も昨年、スウェーデンの国連センターへ行きましたが、副所長は、訓練で大切なのは安全だと強調していましたね。それと、スウェーデン人はPKOに誇りを持っていることを痛感しました。
北岡伸一氏(立教大教授):世界の平和秩序を維持するという点で、PKOの役割は比較的限定されているという気がします。紛争の中で国連の活動できる機会は、国際法的な正当性が極めて高い場合に限定されています。PKO問題が憲法や安全保障をめぐる論議の中で主要な部分になるのはあまり賛成じゃないですね。
あと二点は質問なんですが、PKOの活動範囲を広げようとする動きと縮小しようという動きの相反する流れがありますが、どう展望されていますか。
質問の二点目ですが、私は日本の憲法解釈はどうも縮小解釈だと思っています。PKOはどこにも(違憲だと)引っ掛からないと思います。国連の期待する加盟国に対する義務と、日本の憲法上の制約というのは、どんなふうに理解すればいいのでしょうか。(日本の憲法は)かなり窮屈なものという理解が国際的に定着しているのでしょうか。
斎藤氏:PKOは補助的手段に過ぎません。本来(国連憲章)第七章の国連軍があって、初めて国連らしい仕事ができるんです。それがないために、PKOは穴埋め的、暫定的、不完全なものになっています。
PKOのルールを作った方が良い、という議論もありますが、PKOを枠にはめていたら、従来、果たしてきたような力、機能が果たせなくなります。レバノンでやったPKOのやり方は、今度のユーゴスラビアには適用できないのではないでしょうか。伸縮自在に考えた方が良いのでは。
PKOの機能のうちに、紛争の解決まで入れるべきだという意見もありますが、本来、PKOは解決するまでいかないのです。紛争処理のための雰囲気作りが主体で、後の解決は事務総長の役目です。紛争が一定の解決の方向に向かって、それ以上に発展しないように凍結しておくのがPKOです。私はPKOを狭く、非政治的に考えています。
佐藤氏:私は憲法九条は、戦力そのものを持ってはいけないのではなく、侵略戦争をしてはいけない、ということに過ぎない、と解釈しています。平和を守る義務は、平和が破壊された場合に、その平和を回復する義務でもある。正義と秩序を基調とする平和が破壊された時、その正義と秩序を回復するために戦う、ということは、平和を回復することになるのではないでしょうか。
斎藤氏:そういう意味です。権利の問題ではなく、義務の問題で、しかも憲法に書いていない問題です。憲法は権利の問題なのに、義務までも抑えていることが、根本の問題です。義務については、どこにも制限はされていません。
猪木氏:(自衛隊の海外派遣など国際義務履行にあたっては)第三国の了承は必要ないと思います。ただ、実際問題として、中国は日本の軍国主義の大変な被害者だけに、制服(軍服)の日本人が海外に出て行くということに不安を感じるわけです。韓国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)もそうですね。だから了承は必要ないが、理解してもらう外交的努力が必要です。
斎藤氏:(日本が国際義務を履行することは)当然のことなんだから、近隣諸国の了承を求める必要はありません。
北岡氏:外国の理解を得るのは大事だが、それは、承認を得るとかではなくて、日本外交の自由度を高め、よりよい外交をしていく観点からやるべきです。
島脩氏(読売新聞論説委員長):国連憲章との関係では国連軍への参加には憲章上の義務はない。特別協定を結んで、それぞれの国の憲法の手続きに従って(部隊を)出すことになるが、日本では、頭から国連軍に参加する必要はないとして議論が終わってしまいます。斎藤さんが言うように平和の(概念の)中には自ら侵略しないことだけでなく、破壊された平和を回復する責任があるとの立場から、国連憲章と憲法上の解釈をもう少し、広い視野で考えてみたらどうでしょう。
斎藤氏:私の結論としては、国際関係では米国の優位は確定しており、国際機関を通して優位が保たれることが米国のためにいいし、世界平和のためにもいい。そのためには、どこかの国が米国と同じ立場でモノを言わねばならない。表には出ないが実際米国にモノを言っているのは日本なんです。そこに日本が常任理事国になる意味を持っている。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
「読売新聞社の著作物について」
|