1992/02/27 読売新聞朝刊
読売憲法問題調査会第3回 「―国防衛」は時代に逆行 西広整輝氏の見解
二十六日の読売新聞社「憲法問題調査会」における西広整輝・防衛庁顧問の冒頭説明とこれに続く各委員との質疑の主な内容は次の通り。
【冒頭説明】
◇西広整輝氏(防衛庁顧問)
〈集団的自衛権〉
集団的自衛権の関連で答弁らしい答弁があったのは昭和三十四年の林修三内閣法制局長官のころです。「武力行使との関連において集団的自衛権と言われているのは、要するに自国と非常に関連のある他国が侵略された場合、その他国を援助する、これは国連憲章上、違法な武力行使にならない、こういうことだと思う。そういう意味の自衛権は、現在の日本の憲法からは認められないことだと考えている」(昭和34年3月16日、参院予算委)と答えており、その後、一貫して変わっていません。
日米安保のように、片務的でいいと言っている米国のような同盟国を日本は持っているからいいが、仮に日米安保がなくなり、どこの国も同盟は相互主義じゃないといやだという状況になった場合、日本は一国防衛の道に進むしかないのか、同盟国は持てないのかという疑問点は残っています。
▽補給業務との関係 「経済的に燃料を売るとか、貸すとか、病院を提供するとかは軍事行動とは認められないし、朝鮮戦争の際にも日本はやっているわけである。こういうことは日本の憲法上禁止されないのは当然だと思う。しかし、極東の平和と安全のために出動する米軍と一体をなすような行動をして補給業務をすることは、憲法上違法ではないかと思う」(昭和34年3月19日、参院予算委での林長官答弁)という議論もありました。これは、いわゆる(武力行使との)「一体化論」のはしりと言えます。その後、一体化論は度々問題となり、これを厳密にしていこうというのが最近の傾向になっています。
湾岸危機の時も一体化論というのがありましたね。医療支援をする場合、野戦病院に組み込まれるのはダメだというのが一つの例です。
輸送は何の法的手当てもいらないのではないでしょうか。旧ソ連の独立国家共同体(CIS)への緊急物資輸送を海上保安庁がやったが、それならなぜクウェートに対する緊急輸送が出来ないか、ということになります。
▽海域分担と海峡封鎖、米艦護衛問題 日本が武力行使を許されているのは、現に(日本に対する)侵略が行われた場合に限られる。他国が攻撃される時には自衛権の行使は出来ないということです。昭和五十八年当時、日米で防衛協力をやる際に、この海域は日本、この海域はアメリカと地域分担的な防衛行動が出来るかという質問がありました。
地域分担となると、そこに入ってきた飛行機が、日本を攻めるために来たのじゃないかもしれない、そんなものまでやっつけるのはよろしくない、というのが政府見解でした。
同じ時期に、津軽海峡などの海峡を封鎖出来るかどうかの議論があった。まだ日本が攻撃されていない、しかし、船舶等がやられている、アメリカが海峡を封鎖したい、と言ったときどうするか。これは、アメリカの要請を受け入れて、彼らがやることは妨げられないという解釈です。
また、公海上でアメリカの船が攻められている場合、それを守っていいか、悪いかという問題もありました。日本を防衛するための共同対処行動をやっている味方を守ることはわが国の個別的自衛権に基づく武力行為ということで、この部分は、従来から防衛庁が言っていたことが政府見解になっています。
▽情報提供との関係 アメリカの飛行機が、日本の基地から発進した場合、敵の航空機を日本のレーダーで見つけたら、それを知らせるのはいいが、米軍機を誘導するのは集団的自衛権の行使ではないか、作戦行動と一体化した情報提供じゃないか、という意見を法制局は持っている。防衛庁は、それをやらないというのでは、日米安保上問題ではないか、しかもアメリカばかりでなく、日本の航空機もやられるかもしれない状況だから、集団的自衛権には入らないと考えており、意見は、まだ分かれています。
▽武力行使との一体性の基準 戦闘行動とはやや離れた補給、医療、情報などの支援行動について、それが武力行使と一体のものかどうかの基準も問題です。「前線へ武器弾薬を輸送するようなことは問題があろう。戦闘行為のところから一線を画されるようなところまで医療品や食料品を輸送することは、憲法九条の判断基準からして問題はなかろう」(平成2年10月29日、工藤敦夫内閣法制局長官)としているが、どこで仕切るかは非常に難しいし、ハッキリしない。そのあたりに、湾岸危機の際、物資輸送や医療支援がなかなか決まらず、立ち遅れた理由があったと思います。
▽集団的自衛権と費用の支出 政府答弁では、費用の分担は集団的自衛権の行使にはあたらないと言い切っています。ただ、湾岸戦争の時の経済支援で「武器弾薬の購入には充てないでほしい」と米国に要請した。資金援助は合憲としながら、まだ遠慮しているというのが現状です。
〈国連軍参加〉
◆国連軍参加、狭められた憲法解釈 昭和36年には前向き答弁
▽国連軍参加の解釈の変遷 当初は、「将来理想的な国際連合ができて国家間のいろいろな紛争を解決していくという形になった場合、それに参加することを今の憲法が全く認めていないかといえば、必ずしもそうは言えない」(昭和36年2月10日、林長官)という前向きの答弁がしばらくの間基本となりました。
その後、朝鮮戦争の時の国連軍に参加できるかどうかという質問に対し、「各国がその名と責任において行動するというようなものに兵力を提供するのは、憲法上非常に疑義があり、できないのではないか」(昭和44年3月22日、高辻正己内閣法制局長官)との条件が加わった。これは湾岸の際の多国籍軍のようなものには参加できないという見解だが、基本線は変わっていません。しかし、昭和五十五年十月二十八日の政府答弁書では「国連軍の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されない」と、非常に解釈を狭くしてしまったわけです。
▽国連憲章に基づく国連軍参加と憲法 「任務が我が国を防衛するものとは言えない正規の国連憲章上の国連軍に自衛隊を参加させることは、憲法上の問題が残る」(平成2年10月22日、工藤長官)という最近の答弁は、昭和五十五年以来の「国連軍に自衛隊は出せない」という狭い解釈を再確認しています。林長官の答弁について「前提としているのは、いわば理想的な国際社会における国連軍であって、国連憲章に基づく国連軍より一歩先の理想的社会を描いての答弁だ」(平成2年10月30日、工藤長官)と政府は解釈しています。
〈自衛権の範囲〉
◆長距離ミサイルは違憲 日米安保解消の場合、問題も
▽自衛権の範囲 他国から長距離ミサイルで攻撃されたような場合どうするかについて「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない。そのような攻撃を防ぐのに必要最小限度の措置をとることは自衛の範囲だ」(昭和31年2月29日、鳩山首相答弁)とし、反撃を認めている。しかし、岸内閣のころ、日米安保条約によりそうした際の措置は米国に依存できるから、反撃用の兵器を持つのは違憲ではないかとの見解が出され、長距離ミサイルのようなものの所有は違憲とする解釈に変わった。ただ、日米安保条約が解消された場合どうなるのかという問題は残っています。
▽在外邦人救出のための自衛隊派遣 「邦人救出のため、武力行使の目的をもって自衛隊を海外派遣するのは憲法上許されない。当該外国の要請または同意を得て、平和的手段によって救出することを任務として自衛隊をその外国に派遣することは、憲法上許されないわけではない」(昭和55年10月11日、角田礼次郎内閣法制局長官)としています。
▽危機の際の内閣、議会のあり方 憲法上の規定がないため、戦争が長引けば、任期が切れて国会議員も首相もいなくなってしまうという問題があります。
《質疑応答》
◆国民心情の考慮重要/猪木氏 何をなすべきか優先/宮田氏
猪木正道会長(平和・安全保障研究所会長):なぜ、政府は「集団的自衛権はない」との前提で答弁するのですか。
西広氏:集団的自衛権がないとは言っていないわけで、自らの憲法で制限しているという考えです。
斎藤鎮男氏(元国連大使):権利としては、集団的自衛権と個別的自衛権があるが、政策的に、集団的自衛権を行使しない、ということですか。
西広氏:憲法解釈として集団的自衛権を行使しないということです。
宮田義二氏(松下政経塾長):日本が国連に加盟していることと、集団的自衛権との関係は。
西広氏:海部前首相が「憲法に反する国連憲章上の義務はない」と答弁(平成2年10月18日)しましたが、これは、国連側も日本の憲法の制約を知っていて、(実力行使などを伴う国連の活動に参加してほしいと)日本に言ってこないだろう、という期待の意味に近いわけです。
宮田氏:では、今、日本は安保理常任理事国になりたいと手を挙げていますが、どうですか。
西広氏:恥ずかしくて、手を挙げるわけにはいかないでしょう。
島脩氏(読売新聞社論説委員長):集団的自衛権の政府見解は、冷戦時代に通用した解釈で、今のように敵、味方がはっきりしない時代にいつまでこんな解釈を続けられるのか。集団的安全保障と集団的自衛権を、全く別の問題として考えて良いのではないでしょうか。
佐藤欣子氏(弁護士):憲法の法的解釈は裁判所の役割ではないか。それをさしおいて内閣法制局長官の憲法解釈で国民がしばられるのはおかしいのでは……。
西広氏:法制局長官は内閣の担当弁護士みたいなもの。新しい情勢を踏まえて発言する首相を、百パーセント支えていく立場です。首相が自分の判断を示さない限り、長官は過去の政府見解に忠実にならざるを得ないわけです。
田久保忠衛氏(杏林大教授):まさに、上にいる人の指導力の問題です。
西修氏(駒沢大教授):国連軍の参加について政府は、最初は、肯定的に言ってきたが、だんだん解釈が逆に狭くなっているのはどうしてでしょうか。
西広氏:おそらく、その方が(首相から)いいと言われたのではないのか。(法制局長官がどう答弁するかは最終的に)時の首相の責任だと思います。
田中明彦氏(東大助教授):国連への協力の問題と第三国との共同の自衛は分けて考えるべきでしょう。国連憲章もこの二つは区別しており、分けた方が議論としてはすっきりするし、国際法からもその方がいい。集団的自衛権は、固有の権利として持っている。それが制限されていると言わねばならなかったのは憲法九条の解釈問題があるからです。わが国が武力行使できる急迫、不正の侵害とはどのくらいの範囲を言うのか、など細かく考えていくとやはり今の憲法九条の条文では苦しいのではないかなというのが感じ方です。
国際的(集団的)安全保障の考え方は、憲法上、何も問題はない。国連憲章の七章すらダメということを言い出したら国連の集団的安全保障という考え方自体が成り立たない。
田久保氏:国連憲章、サンフランシスコ平和条約、日米安保条約の前文と、憲法九条の解釈は整合性がとれるようにしないといけません。集団的自衛権の解釈は、だんだん縮小してきた。最初に日本の防衛力の行使を限定的にしよう、拒否しようという考えがあって、与野党の議論の中でこうなってきたのではないですか。
島氏:憲法解釈は、国会対策上の観点からねじ曲げられてきた側面はある。佐藤内閣まではちゃんとしてきたが、その後、だんだん狭まった。冷戦下で、安保問題をあまり真剣に考える必要がなかったという時代的背景はありますね。
諸井虔氏(秩父セメント会長) アメリカも、将来は片務的な安保条約はいやだと言い出すかもしれないし、他の国も同盟を組むなら双務的なものしか結んでくれないでしょう。しかも国連の機能が理想的にうまくいかない事態まで予想すると、同盟国との双務的な、集団的な防衛まで出来るように、この際考えるのかどうかですね。
西氏:集団的安保と集団的自衛権を分けるということだが、対立する概念ではない。集団的安全保障は枠組み、制度の問題であり、集団的自衛権はまさに権利の問題でしょう。
田久保氏:日本の針路は孤立じゃなくて、もっと積極的に国際社会の一員として伸びていくこと。技術、経済力が巨大なものになり、国連の安保理常任理事国にも加わりたいというのなら、大きく(政府見解を)変えていく必要があるのではないでしょうか。
佐藤氏:政府見解が今まで間違っていたというよりは、情勢が変わっているのです。そこの思考方法が日本人は間違っています。
田中氏:政府見解を変える場合、「解釈」を新たな「解釈」によって、変えて国民に受け入れてもらうのか、それでは混乱するから憲法の文言を変えるのか、急ぐことはないが、どこかで一方を選択しなければなりません。憲法の大部分に私は賛成ですが、現実的に日本の国益上こうした方がいいという時には、九条関係についてどうしたらいいのか真剣に考える必要があります。
西広氏:個別的自衛権を金科玉条視し、何でも自分で守ろうというのは今日の国際社会の動向に逆行し、むしろ危険な考え方になってきています。
猪木氏:議論を進める上で、日本国民の憲法に対する心情を考えることは重要だ。仮に九条について見直すとしても、国際関係を害さないための配慮とともに、平和主義を尊ぶ国民をどう説得するかが、大切になりますね。
宮田氏:憲法解釈の問題にウエートを置くのではなく、今の日本は国際社会のために何をなすのかを考えるべきではないか。例えば国連平和維持活動(PKO)に自衛隊が参加すべきだということになった場合、その後で、憲法九条に反するかどうかを検討すればよい。まず現行の憲法解釈の中で何ができるのか、限度いっぱいまで追究することが現実的なアプローチだと思います。
◆国連憲章第7章◆
集団的安全保障の具体的な仕組みを定めており、安全保障理事会が「平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為」(第39条)の存在を認定、これに対して取るべき軍事的・非軍事的措置を決定できるとしている。軍事的措置として国連自身が軍事力(国連軍)を編成することを想定。編成にあたっては、安保理と加盟国との特別協定を結ぶことになっている(第43条)。
また、国家の個別的、集団的自衛権を保障(第51条)している。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
「読売新聞社の著作物について」
|